イタリア車と日本車のハンドリング追求の違い!?(このバイクに注目)
1985年にデビューしたヤマハ渾身の4st.スーパースポーツFZ750。開発当初は日本初のV4レイアウトでレーシングマシンまで開発していた。しかし発表間近にホンダからV4のVF750が登場、模倣イメージを嫌ってダウンドラフト吸気を活かした前傾45°で片バンクを横へ並べジェネシス・エンジンと名づけた
ドゥカティに代表されるイタリア製スーパースポーツは、不慣れなビギナーには向かない個性的な乗り味のハンドリング……といったイメージがある。確かにキャリアが浅くても何とか扱えるよう敷居を低くする日本車に対し、タウンスピードでの扱いは慣れてもらえば解決するので、肝心のコーナリングで最も効率の良いリーン→旋回ができるよう、エンジンのレイアウトや搭載位置、そして補機類の配置や前輪とのアライメント関係を最優先するのが常套手段だ。
最新世代では電子制御がエンジンだけでなく、サスペンションやABSにも及んでいるので、このあたりを妥協してきた日本製スーパースポーツは最優先してきた海外メーカーに残念ながら後れ気味になってきた。
そうした開発手順のイタリアと日本の違いを象徴する史実として、1985年のヤマハFZ750とそのエンジン供給をうけたビモータYB4での展開が興味深い。
ヤマハは当時4st.エンジン搭載車はツーリングスポーツが主体で、パフォーマンスマシンの領域に斬り込んでいなかったので、渾身の4st.スーパースポーツ本命としてFZ750を開発していた。
開発当初は日本初のV4レイアウトでレーシングマシンまで開発、満を持していた発表間近に、ホンダからV4のVF750が登場したのだった。
ヤマハは模倣イメージを嫌い、V4バンク間で真下へ吸気していたストレートポートのダウンドラフトを活かし、V4の片バンクを横へ並べたジェネシス・エンジンと名づけた前傾45°の直4を発表。
当時、一般的にはダウンドラフトのストレート吸気が効率良いといわれても、ジェネシスエンジンと呼ぶほど大改革には見えず、生粋のヤマハ・ファンには喜ばれたが狙ったパフォーマンスマシンとしてのフロントエンドには位置していなかった。
そこにはハンドリングで先んじたイメージがないのも弱みとしてあったのは否めない。
開発でまず変えたのが前傾45°→38°でT.T.F1で世界タイトル獲得
1987年にT.T.-F1世界選手権でチャンピオンに輝いたYB4。中央が開発エンジニアのフェデリコ・マルティーニ。右がバージニオ・フェラーリ選手,左がダビデ・タルドッツィ選手(現在ドゥカティ・ワークスチームの参謀)。工房レベルの小ファクトリーであるビモータにとって1983年の世界GP350ccクラス世界チャンピオン獲得に続いて2度目の快挙!
ビモータのエンジニア、フェデリコ・マルティーニがFZ750エンジンでまず取り組んだのが搭載位置。既にリヤにワイドラジアルを設定した現在とほぼ変わらない仕様にとって、前輪のプロファイルとの関係でリーンの途中でアライメント変化が起きないエンジン位置は、優れたハンドリングを得るのに必須だったからだ。
前傾45°はクランク軸の位置がどうしても後方になることから、シリンダー角度を35°までリフトしてそこから何十回も適正な位置を実走行テストで探り当てたその結果が38°。これにツインチューブといっても航空機用の剛性と軽量化を両得できるアンチコロダルを採用、T.T.-F1世界選手権で名だたる強豪を扱いやすさで凌駕したのだった。
ヤマハもYB4の成功に導かれるカタチで、ワークスマシンもエンジン搭載角度に位置も変更し、鈴鹿8耐を制するなどを経て1989年に限定マシンOW01(正式名称はFZR750R)の発売へと漕ぎ着け、パフォーマンスマシン・メーカーの仲間入りを果たしたのだ。
そのYB4を設計したフェデリコ・マルティーニの前作が、あの世界が認めた傑作バイクdb1。エンジン位置と取り囲むパイプフレームとの位置関係を、実際にミリ単位で探る緻密な開発で、その正確なニュートラル・ハンドリングと、軽量で高剛性な安定性はまさに伝説の名車としての誉れ高い位置づけにある。
併行して早くから進めていたホンダV4を搭載したハブステア試作車も、イタリアンらしさの象徴だろう。その後ビモータに加わったピエルルイジ・マルコーニに引き継がれ最先端マシンとして徐々に成功への域へと達しつつある。