東京は変化の激しい街ですが、その中でも年々変化している街のひとつに中野(東京都中野区)があります。警察大学校などの移転で生まれた駅前の広い土地を利用した開発以降、街は姿、イメージを変えてきました。これからも中野サンプラザ、中野区役所の建替えなど、さまざまな変化が予定されています。

中野の象徴とも言えるのが1973年に全国勤労青少年会館として開業した中野サンプラザ。コンサートホールのイメージが強いのですが、実際には宿泊、結婚式場、ボウリング場、漫画喫茶、レストラン、レンタルオフィスなど多様な施設が入っています(筆者撮影)

2001年以来、ずっと変化が続く街・中野

世界有数の乗降客数を誇るターミナル駅新宿からJR中央線快速で1駅約3分。中野駅は東京メトロ東西線も利用できる交通利便性の高い駅です。東西線は中野が始発駅ですから、単に便利というだけではなく、座って通勤できて、乗り過ごしにくい駅としても知られています。

その中野駅周辺ではこの20年余りずっと変化が続いてきました。さらにその変化は2029年度以降まで続く予定となっています。中野駅周辺がどう変わってきたか、これからどう変わろうとしているのか、順を追って見て行きましょう。

変化のきっかけとなったのは2001年に中野駅の北側、中野区役所の西側にあった警察大学校や警視庁警察学校などが府中に移転し、大きな空き地が生まれたことでした。一部既存建物がそのままという区画もありますが、再開発の対象となったのは約16.8ヘクタールと非常に広大なエリアです。

駅前にこれだけの土地が生まれるのは非常にめずらしいこと。なぜ、ここにこれだけ大きな区画があったか、不思議に思いませんか?

最初の開発地は江戸時代に由来があった!
実は江戸時代、ここには「生類憐みの令」を出し、犬公方として知られる5代将軍徳川綱吉がお犬様を養育するために作った「お囲い(犬小屋)」が設けられていました。中野は徳川家の直轄支配地で、歴代の将軍や紀伊、尾張の徳川家の人々がしばしば鷹狩りに訪れていた徳川家ゆかりの土地。その縁で中野にお囲いが設けられたのでしょうが、最盛期には約30万坪(約100ヘクタール)に数万頭から30万頭もの犬が養育されていたのだとか。

中野区立歴史民俗資料館長が中野の歴史を語る「なかの物語 其の五 徳川将軍家と中野」(中野区ホームページ)にあるお囲いの位置を解説する図。駅周辺には広大なお囲いがいくつもあったことが分かります

お囲いは全部で5ヶ所あり、現在区役所がある辺りから警察大学校跡地にかけては「三の囲」、さらに警察大学校跡地と環状七号線あたりまでには「四の囲」があったそうです。それが明治以降に軍用地となり、戦後は警察関係の施設となりました。そして2001年には警察大学校などの移転で空き地になったわけですが、区画は大きいまま。中野区にとっては幸いなことでした。

最初は清掃工場を作る予定だった
ただ、空き地になった当初はここに清掃工場を建設するという計画がありました。その計画通り、駅前に清掃工場が建設されていたら今の中野はなかったでしょう。

清掃工場建設が中止になった後、中野区では中野駅周辺まちづくり計画の検討を開始、2005年には「中野駅周辺まちづくり計画~にぎわいと環境の調和するまち~」が策定されるのですが、この時点で対象となったエリアは中野駅を中心とした約50ヘクタール。中野駅地区、警察大学校等跡地・その周辺地区、サンモール・ブロードウェイ地区、中野駅南口地区の4地区が対象でした。

再開発で安全な街が実現

2012年、完成後すぐの中野四季の森公園の様子。駅前にこれだけの公園ができたとは!と驚いたものです(筆者撮影)

さまざまな経緯のあった警察大学校等跡地改め中野四季の都市(なかのしきのまち)の開発ですが、2012年の春、最初に完成したのは約1.5ヘクタールの都市計画公園・中野四季の森公園を囲むように建てられた2棟のオフィスビルと1棟の賃貸住宅棟です。特に街の変化を印象づけたのは、中央に作られた公園とその周辺の公共空地を合わせて約3ヘクタールにもなる緑地の存在です。

中野駅北側には多くの飲食店が並ぶ路地が複数あり、それが街の魅力になっています。このような路地が残されているのは戦災に遭わなかったためです(筆者撮影)

中野駅周辺は戦災に遭っていないため、駅周辺を含む広範なエリアに細街路が残り、長らく防災上に懸念がある地区と言われてきました。また、避難場所としての公園の必要性も言われていました。再開発で生まれた公園は、長年の懸念を一気に解決したのです。

1966年に開業した中野ブロードウェイは5~10階に住宅、以下に店舗が入った複合ビルで数多くの有名人が居住していたことでも知られています。1980年に入店した漫画専門の古書店まんだらけが成功、一気にマニアが集まるようになり、最近では高級時計店なども増加、趣味性の高い個性的な店舗が集まっています(筆者撮影)

サブカルの街からファミリーの街へ転換

加えて、この公園の存在は中野の街のイメージを変えました。それまで中野といえば漫画やアニメなどサブカルチャーの発信地として知られる中野ブロードウェイ(正式名称はコープブロードウェイセンター)や、コンサートホールとしての中野サンプラザが有名でした。そのため、どちらかといえば単身者に人気があり、ファミリーが住む街としてはあまり認識されていなかったのです。

同じく2012年の完成後すぐに訪れた時の写真。子どもたちの声が響き、それまでの中野にない風景に変化を感じました(筆者撮影)

ところが、公園ができたことで子育て世帯にも中野が意識されるようになります。元々都心に近く、3路線が利用できる中野は交通の利便性は高く、商店街も充実している街ですから、そこに子育て世帯にうれしい施設が新たに生まれれば注目されるようになるのは当然でしょう。

奥左が明治大学、中央が帝京平成大学のそれぞれ中野キャンパス。写真には写っていませんが、右手に早稲田大学の中野国際コミュニティプラザがあります(筆者撮影)

また、警察大学校等跡地にはその後、帝京平成大学、明治大学の中野キャンパス(いずれも2013年)、早稲田大学中野国際コミュニティプラザ(2014年)が開校します。これも中野の街を大きく変えました。街に外国人も含め、若い人たちが増えたのです。その前年にオフィスができたことでビジネスマンが増え、さらに学生も増えたとなれば、街は若返り、多様化します。再開発は建物だけでなく、道行く人も変えてきたというわけです。

第一弾の成功で開発が拡大
その結果、中野駅周辺を訪れる人は開発前に比べて1日あたり約2万人も増えたと中野区のホームページには書かかれています。開発前の2010年とコロナ前の2019年で比べてみるとJR、東京メトロの1日あたりの乗降客数は合計で5万人超増えており、開発の影響の大きさがよく分かります。

この成果を受けて2014年度から2015年度にかけて中野駅周辺の各地区では都市計画決定・変更が行われ、開発エリアは拡大します。2005年には50ヘクタールだった開発エリアが現在では約110ヘクタールと2倍以上になっているのは、最初の開発の成功が呼び水になったわけです。

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駅前で行われている事業はなんと11

駅前の掲示板には中野駅周辺まちづくり情報が貼られていました。11の事業が同時進行とはすごいことです(筆者撮影)

では、現在、どのような開発が進められているのでしょう。中野区の2021年10月現在の中野駅周辺 まちづくり事業 一覧と題したパンフレットに記載されている数はなんと11ヶ所! この中には新しく北口に駅前広場を作る、駅の西側に南北通路、橋上駅舎を作るなど2ヶ所の街路整備事業も含まれており、驚くほどの数です。

中野区のホームページ上の最新情報がこちら。11事業の位置関係がよく分かります(出典/中野区 中野駅周辺 まちづくり事業 一覧)

ここでは住宅に関係するもの、それ以外のものに分けて説明しましょう。まず、住宅が供給されるもののうちで着工しているのは2ヶ所あります。

駅南側ではオフィス、マンションが建設中

駅の南口で行われている開発。既存の建物の背後にオフィス棟、住宅棟の2棟が建設中で、駅前広場もいずれ整備される計画です(筆者撮影)

そのうち、ある程度姿が見えてきているのは駅の南側、中野二丁目で、ここでは市街地再開発事業(中野二丁目地区)、土地区画整理事業(中野二丁目)の2つの事業が行われています。うち、土地区画整理事業では駅前広場を整備、高低差のある地域内の道路を使いやすく整備するなどの事業が行われています。市街地再開発事業では20階建てのオフィス棟、37階建て、約400戸の住宅棟が建設され、低層部には店舗が入る予定です。ただ、東京都の建築物環境計画書制度で公開されている情報では住宅棟の内訳は分譲2戸、賃貸395戸となっており、大半は賃貸住宅になるようです。

着工間近な囲町エリア

囲町東地区から中野四季の都市方面を見たところ。建物の解体が準備されつつあります(筆者撮影)

もうひとつ、着工を目前にしているのは中野四季の都市の南側にある囲町東地区です。再開発の発端のところで中野には江戸時代、お犬様を養育するためのお囲い(犬小屋)があったという話を書きましたが、囲町はその存在が地名として残っている、歴史を身近に感じる一画です。

図の区画道路を挟んで右側が東地区、左側が西地区で、こちらはまだ詳細は決まっていません(出典/中野区 囲町地区まちづくり方針 2022年1月改訂版)

予定地は線路沿いの細長い約2ヘクタール。区立囲町ひろばを境にA敷地、B敷地に分かれており、駅に近いA敷地には地上24階建ての住宅、オフィス、店舗の入る建物が、B敷地には地上20階建ての住宅、店舗の入る建物が建設される予定で、住宅の総戸数は約720戸という計画です。完成は2025年度を予定しています。

囲町東地区の完成予想図。右の2棟は別々のものに見えますが、基礎、低層部分で繋がっており、1棟という扱いだそうです(出典/三井不動産グループプレスリリース 「囲町東地区第一種市街地再開発事業」市街地再開発組合設立認可のお知らせ)

建物だけでなく、囲町ひろばと一体的な広場形成を行うことで防災機能を充実、回遊性のある歩行者空間の整備なども行われます。

囲町では東地区に隣接する西地区でも住宅を中心にした囲町西地区第一種市街地再開発事業が計画されており、現在は小規模な戸建て、賃貸住宅中心の両エリアは大きく変貌しそうです。

中野サンプラザ跡地に住宅!

現在建設中の新しい中野区役所。中野四季の都市の北側にあたります(筆者撮影)

その後に続くのは中野サンプラザ、中野区役所の建替えが行われる中野四丁目新北口地区の市街地再開発。その前段として現在中野区の新庁舎の工事が進められており、こちらは2023年度には完成予定。その後、2024年度くらいから区役所、中野サンプラザの解体などが始まり、同時に中野四丁目新北口駅前の土地区画整理事業も行われます。

NAKANOサンプラザシティの断面図、配置構成図。現在の中野サンプラザ同様にさまざまな施設が入ります(出典/中野区 中野駅新北口駅前エリア 拠点施設整備に係る 提案概要説明)
完成予想図。既存の建物のイメージを踏襲するデザインが特徴です(出典/中野区 中野駅新北口駅前エリア 拠点施設整備に係る 提案概要説明)

街区名はNAKANOサンプラザシティとなっており、長く愛されてきた中野サンプラザのイメージを引き継ぐデザインその他が意識されているとか。ホール、オフィス、レジデンス、商業施設にホテルの入る大規模複合開発で、中野のシンボルとなる建物だけに人気を呼びそうです。完成予定は2028年度です。

中野サンプラザ裏手にも住宅の予定

図手前の中野駅新北口駅前エリアが現在の中野区役所、中野サンプラザのある一画。中野四丁目新北口西エリアはこれから開発予定とされている区画です(出典/中野区 中野四丁目新北口地区まちづくり方針 2018年3月)

もうひとつ、まだ詳細は決まっていないものの、住宅が計画されているのは中野四丁目西地区です。これは中野区役所の北側にある区画で、2018年の中野四丁目新北口地区まちづくり方針では都市型居住機能という言葉が盛り込まれていました。

駅ビルが誕生、駅も新しくなる

駅周辺のあちこちで工事が始まっており、「西口ができます」という告知もされていました(筆者撮影)

住宅は絡みませんが、街の変化という意味で大きな意味を持つのは中野駅のリニューアルです。これは中野区が中野駅西側南北通路・橋上駅舎を整備、JR東日本が駅ビルを整備するというもの。すでに工事は始まっており、通路、駅舎の完成予定は2026年度です。

新北口駅前広場からの完成予想図。これまでのコンパクトな駅に比べると大規模な駅に生まれ変わることになります(出典/中野区 中野駅西側南北通路・橋上駅舎等事業について)

これに合わせて北口側には新北口駅前広場が作られますし、線路の南側には新たに西口も作られ、駅前広場も整備される予定。既存の南口駅前でも現在、行われている中野二丁目の土地区画整理事業で駅前広場が整備されるので、中野駅周辺は全体として広々とした雰囲気の使いやすい場所になることでしょう。

西口側の工事の掲示。こちら側でも土地区画整理が行われており、駅前広場誕生への準備が着々と進んでいます(筆者撮影)
西口広場から見た駅の完成予想図。これまでなかったところに新しい改札口ができるとなれば、その周辺の価値はぐんと上がりそうです(出典/中野区 中野駅西側南北通路・橋上駅舎等事業について)

中野区では2029年までの予定をホームページ内にアップしていますが、未定となっている計画もあることから、それ以降も開発が続くのは確実。これから10年近く変化が続くわけで、どんどん便利、安全な街になっていくはずです。

元々、交通の利便性には定評があり、商店街、飲食店街は充実しています。そこにどんどん新しい要素が加わると考えると、中野の魅力はさらに高まりそうです。