※この記事は2017年07月15日にBLOGOSで公開されたものです

7月10日、「加計学園」の獣医学部新設計画を巡り、参議院で文教科学委員会、内閣委員会連合審査会が開かれた。参考人として、元愛媛県知事の加戸守行氏が出席。青山繁晴議員の質問に応える形で、今治市へ獣医学部を誘致した経緯、加計学園を巡る一連の騒動についての思いを述べた。この模様を参議院インターネット審議中継より書き起こしでお伝えする。(※可読性を考慮して表現を一部整えています。)

「国家戦略特区が岩盤にドリルで穴を開けてくれた」

もう10年前に愛媛県知事として、当時は「構造改革特区」の名のもとに今治に獣医学部の誘致を申請したことを思い返しまして、鼻にも引っ掛けていただかなかったこの問題が、10年後に、こんなに多くの関心を持っていただいているということに、不思議な感じがしております。

当時、愛媛県知事としてたくさんの仕事を預かりながら、県民の生命、身体、財産、畜産業の振興、食品衛生、その他で、一番苦労したのが、鳥インフルエンザ。あるいは口蹄疫の四国への上陸阻止。あるいはBSE問題の日本への波及阻止。言うなれば四国という小さな島ではありますが、こういった感染症対策として一番防御が可能な地域という意識もございました。

そして、アメリカが狂牛病の体験を受けて、先端を切って国策として、これからはライフサイエンスと感染症対策をベースとした、獣医学教育の充実ということで大幅な獣医学部の入学者の増加。そして、3つの獣医科大学の新設という形で、懸命に取り組んでいる姿を横で見ながら「なんと日本は関心を持っていただけない国なんだ」と、私は少なくとも10年前に愛媛県民の、そして今治地域の夢と希望と関心を託してチャレンジしました。

厚い岩盤規制で、はね返され、はね返され、やっと「国家戦略特区」という枠の中で実現を見るようになった。いま本当にそれを喜んでもおります。

先ほどの話にありました、「(前川氏の)行政がゆがめられた」という発言は、私に言わせますと、少なくとも獣医学部の問題で強烈な岩盤規制のために10年間、我慢させられてきた。国家戦略特区が岩盤にドリルで穴を開けていただいた。ということで、「ゆがめられた行政が正された」というのが正しい発言ではないのかなと私は思います。

「私は、加計ありきではありません」

特区の申請をしてから、何回も門前払いを食らいました。いろいろな方策で模索しましたが、一番強い反対は日本獣医師会でありました。

当時、直接の接触はありませんでしたが、ホームページでは専務理事が、今治の獣医学部新設に関して、ケチョンケチョンの論陣を張っておられました。その中でも、要するに「養成はちゃんとするから、余分なことをするな」というのが基本であります。

そして、当時から私が大変疑問に思いましたのは、まず獣医師の養成が、箱根の関所から東で8割の入学定員があり、箱根の関所から西の方には2割の入学定員しかない。しかも、私学は水増し入学をしますから、実質的には養成される獣医師の数は、箱根の関所から東は80数%。場合によっては90%近くがそちらで徴集。

空白区は、四国であります。獣医師が確保できない。県知事としていろんな対応をしても、とにかく、たとえば、地方公務員は競争試験が原則ですが、獣医師はもう「無試験でもいいから、どうぞどうぞ」と言っても来ていただけない。

獣医師会の反対は何かと言ったら、処遇しないからだと。では愛媛県だけは、あるいは四国は獣医師の給与体系を、国家公務員の獣医師よりも上回る体系を作ることができるのか。それでは、獣医師が充足された時は給料を下げるのかと。給料の問題は、「愛媛は給料が安いから行かないんだよ」とか、「奨学金を出さないから行かないんだよ」と。「全部東京へ来たら、養成して帰すから」と。そういうことでいいのかなというがひとつ。

それから、新しい学部はできないという。それも反対されながら見ていました。でも、自分達はどうであったのかと申し上げると大変恐縮ですけれども、大学教授の定員は10年前と今日と変わらないままで、アメリカは必死にやっているのに据え置いたままで、新しいのはつくるな、つくるなと。

今回のケースにしましても、はるかに多い獣医学の教官をつくって、感染症対策なり、あるいは、ライフサイエンスなり、あるいは動物実験による創薬の研究なりと、幅広い学問をやるスタッフをそろえようと思っても、それにブレーキをかけるというのが、私には理解できない。

それならば、自分達でなぜこの10年の間に、アメリカに遅れないようにスタッフをそろえないのですかと。いまのままで置いておいて、今治にはつくるな、つくるなという。これはあまりにもひどいではないか、というのが私の思いでありました。

少し時間をちょうだいしてよろしければ、私の知事の任期の終わりの方に、民主党政権が誕生して、「自民党ではできないわ。私たちがやる」と言って、頑張ってくれました。対応不可の門前払いから、実現に向けての検討とレベルアップしました。「ああよかったね」と、私は次の知事にバトンタッチしました。

ところが、自民党政権に返り咲いても何も動いていない。何もしないでいて、ただ今治だけにブレーキをかける。それが、既得権益の擁護団体なのかという悔しい思いを抱えてきました。

そして、国家戦略特区で取り上げられ、私も昔取った杵柄で、いま今治市の商工会議所の特別顧問という形で、この応援団の一員として参加しております。

それを眺めながら、大切なことは欧米に伍した先端サイエンスと、感染症対策と、封じ込めと、私たち日本人の生命がかかるこの問題を、欧米に遅れないような獣医師の養成をしなければならないことに、手を加えないでおいて、「今治はだめ、今治はだめ」「加計ありき」と言うのは何でかなと思います。

私は、加計ありきではありません。加計学園がたまたま、愛媛県会議員の今治選出の議員と、加計学園の事務局長がお友達であったから、この話がつながってきて飛びつきました。これもだめなのでしょうか。お友達であればすべてだめなのか。そんな思いで眺めながら、今日やっと、思いの一端はこの場を借りて申し上げさせていただきました

「獣医学部がおもちゃになっていることが甚だ残念」

私の古巣でありますけれども、やはり文科省も時代の進展、国際的な潮流を考え、これでいいのかということは常に自問自答しなければならないと思っております。

私自身が今回の問題にタッチして、それがはね返され年月が経過する度に、当時同時並行で、たとえば、薬学部。これは医薬分業がありまして、いっぺんに入学定員が5000数百、6000人近く増えました。大学の数も、2倍近く増えました。

でも、そのことに関して「需要ではどうだ」「供給でどうだ」「挙証責任がどうだ」と、誰も問題にされていなかったと思います。そしていま、何が起きているかというと、今後何万人という薬剤師の過剰供与、それをどうするかというのは深刻な問題だということになっている。

かたや、「獣医学部はびた一文だめ」です。そして、「挙証責任があります」とか、私は関係しておりませんでしたけど、議論を聞きながら思いますのは、少なくとも私の知る限り、提案した時点から東京の私学の獣医学部は、45人とか50人とか50数人の、教授陣容のままで、時代の進展に対応しないまま今日に来ております。

その中で、今治で計画している獣医学部は72人の教授陣容で、「ライフサイエンスもやります」「感染症対策もやります」と。さまざまな形で、もちろんそれは、既得のたとえば医学部の一分野で、何かやられているかもしれませんが、そういう意欲を持って取り組もうとしているのに、何といいますか、いびりばあさんではありませんが、薬学部ならどんどんつくってもいいけれど、獣医学部はびた一文だめだって、こんなことがいったいこの国際化の時代に、欧米に遅れていけない時代に、あり得るのだろうかというのが私の思いで参りました。屁理屈はいいのです。

それから、もうひとつ感想を述べさせていただきますと、私は霞ヶ関で30数年間生活しました。

省庁間折衝というのはあります。自分の思いを、省を代表して、激しい言葉も使い、場合によっては虎の威をかる狐のような発言もあり。でも、事柄が決着したあとは、酒を酌み交わして、お互いに「ああ、あんたもきつい言葉を使ったね」と言いながら決まったことに向かっての次の施策へ向かって行く。これが、霞ヶ関の文化でした。

今回は霞ヶ関の文化が感じられません。時代が変わったのでしょうか。少なくとも日本国民にとって、時代の潮流の中でどこが何を求めているのか、それに対応するにはどうすればいいのかを考えることであって、私は本質の議論がされないままに、こんな形で獣医学部がおもちゃになっていることを甚だ残念に思います。

「民間有識者の方々の記者会見に感動しました」

若干感情が高ぶって、思いの丈を申し上げすぎました。ただ、ひとつだけ触れていなかったことがございます。

さまざまなことがありましたが、眺めながら、6月13日の国家戦略会議、諮問会議の民間有識者の委員の方々が記者会見をされて、私は人に知らされて、インターネットのYouTubeで1時間半拝見させていただいて、感激しました。

特に、今回の規制緩和に関して、心に一点の曇りもなくやったということで、これが今回の大きな事件の結論だったのだろうなと。これが国民に知ってもらうべき重要なことなのだなと、私は思いました。

いままでたくさん私のところに取材がありましたが、都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことを、取り上げていただいたメディアは極めて少なかったことを残念に思います。けれども、あのYouTubeがすべてを語り尽くしているのではないかなと、思います。