※この記事は2017年05月27日にBLOGOSで公開されたものです


落語漬けの日々に身を投じた小泉今日子

小泉今日子が落語につながった。キョンキョンが三遊亭円朝の名を口にし、古今亭志ん生について語った、そういう五月だった。ちょっと、キツネニツママレタような時の幕開けは、落語の情報専門誌に掲載された小泉による寄稿だった。

<「東京かわら版」2017年5月号「巻頭エセー 小泉今日子」より>
落語のらの字も知らなかった私が、落語を原作とする演劇のプロデュースをすることになった。まもなく新宿紀伊国屋ホールで上演される「芝居噺 名人長二」。フランスの小説家モーパッサンの「親殺し」を元に、三遊亭円朝が落語に仕立てたものである。新聞連載として生まれたこの噺を、円朝自身は高座にかけたことはなかったらしい。この落語を演劇にしようと、俳優の豊原功補氏からご提案頂き動き出した次第である。(後略)

『名人長二』、原作は三遊亭円朝。落語ファンには言わずもがなだが、円朝は「落語の神様」「落語中興の祖」と言われる明治期の名人だ。『怪談牡丹燈籠』や『塩原多助』を始め名だたる創作を数多く残している。

『名人長二』は名人かくあるべしという潔白な気性を持つ指物師の長二が、自身の出生の因果に遭遇し、運命の転変に飲み込まれるという長編人情噺だ。しかも、落語の中でもかなりマニアックな演目であり、おそらく落語ファンと言われる人々の9割5分以上が辿り着かないような森深いところに位置する一席だ。

残存している音源で通し口演は昭和の名人・古今亭志ん生によるもののみ。『名人長二(一)~(五)』で約2時間半に及ぶ。現在も演じ手は少ない。古今亭の系譜にあるベテランの五街道雲助が物語の序盤で聴きどころとなる『仏壇叩き』の一編をCD化している。

通し口演となると最近では、雲助一門の隅田川馬石が2013年に六夜に分けて行ったが、キャパは100名程の場で、やはり落語好きであってもめったに聴ける噺ではない。

この希少な落語を小泉今日子につなげたのが豊原功補だった。豊原は若き日に志ん生の音源でこの噺に出会ったという。

<「東京かわら版」2012年7月号「巻頭エセー 豊原功補」より>
二十歳前、六本木の青山ブックセンターで、たまたまそこに並んでいた志ん生のカセットテープが目に入ったんです。名前に聞き覚えがあったのと山藤章二さんのイラストが気に入って一本買ってみたら面白くて、結局全巻買ってそれを聞きながら寝るのが癖になってしまいました。

カセットでの志ん生全集によって豊原は『名人長二』と巡りあう。それにしてもだ。時を経て、この知られざると言ってもいい演目が小泉今日子と落語をつなげることになるとは。この、落語の入り口にはおおよそ相応しくない円朝噺に、大丈夫なのかキョンキョン・・・その噺をきちんと聴いたことのない落語家だってかなりいるだろうし、ポニーキャニオンの志ん生名演集CD全41巻でも『名人長二』は39巻~41巻の収録で余程好きでないと辿り着かない、ファイナルダンジョンみたいな噺なんだぞ・・・と不安を覚えた「東京かわら版」読者は自分だけではなかったと思う。

だが、小泉今日子は伊達に小泉今日子じゃなかった。

<「東京かわら版」2017年5月号「巻頭エセー 小泉今日子」より>
でもなんせ、落語のらの字も知らない私であるから猛勉強が必要だ。末広亭に行ってみる。テレビの落語番組を全て録画して観る。落語漫画を読み漁る。すると最初は聴きにくいと感じた落語がどんどん面白くなっていった。何百年も前の江戸の景色が頭の中にちゃんと浮かんでくる。同じ噺でも噺家さんによって見える景色が違うのも楽しめるようになった。どんなに景色が変わってもどうにも変われないのが人間で、今も昔も滑稽に人生を生きているんだなと思うとなんだか赦されたように元気な気分になれる。

落語とはどういうものか、ということを自身に取り込むため、かなりのスピードと密度で落語漬けの日々に身を投じたようだ。そして、落語というジャンルへの理解が逸れることなく真っすぐ的を射ていることに早々と胸をなでおろした。

▽  ▽  ▽

小泉今日子の落語センスに伊集院「悔しい」

この5月、小泉今日子はデビュー35周年のメモリアルとなるCD「コイズミクロニクル~コンプリートシングルベスト 1982-2017~」が発売されるプロモーションも兼ねて『芝居噺 名人長二』の広報に動いた。

伊集院光のラジオにゲスト出演した小泉は、そこで落語の話題を臆することなく語った。

<「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ) 2017年5月10日放送より>
伊集院「びっくりしたのが、いま小泉さんどういうことに興味ある人なのかなと思ったら、落語興味ある」
小泉「そうですね、いま勉強中っていうか、舞台のプロデュースをしていて5月から公演があるんですけど」
伊集院「びっくり!」
小泉「ホント? あ、でも落語詳しいですもんね、もともと」
伊集院「ボクもともと落語、やってたので・・・。で、しかもそれもね『名人長二』っていう舞台なんですけど、この落語ね、わりと埋もれている作品で」      

     (中略)

小泉「もともとがフランスのギ・ド・モーパッサンっていう人の原作『親殺し』っていうのがあって、それを、ええと・・・円朝さん」
伊集院「三遊亭円朝」
小泉「はい、三遊亭円朝さんが新聞連載で、落語噺にしたっていうものなので、ちょっとそういう日本的っていうよりは、推理小説みたいな感じでも作られてるっていうのかなって」
伊集院「落語やっといてよかったなあ~オレ・・・(円楽)師匠、落語やっといてよかったっていま初めて思いました!」
小泉「あははは」

小泉今日子が落語につながり、しかもその口から「円朝」という名が出ることに高揚を覚えたのは伊集院だけではなかったはずだ。そして「円朝師匠」ではなく「円朝さん」と呼ぶ初々しい距離感にこそばゆさを感じつつ、この小泉今日子が落語について語る「時の流れ」のようなものにじっと包まれた。

<「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ) 2017年5月10日放送より>
伊集院「(『名人長二』の)志ん生師匠版を聴いてて思うんですけど、これね、うちの師匠(六代目円楽)なんか聞いたら呼び出されて引っぱたかられると思うけど、いま残ってる音源の志ん生師匠ってね、決してうまくない、音質もすごく悪いし」
小泉「そうなんですよ」
伊集院「当然滑舌がいいっていうのが売りな人でもなければ、流暢なてにをはの人でもないんですよ。だけどあとで振り返ってみると全部通じてるっていう」
小泉「そうなんですよねえ。最初私も志ん生さんの音源を聴くようになって、その音質も悪いので聴き取れなくって、何度も戻したりとかしてたんですけど、聞いてるうちになんかその志ん生さんのクセだとか声に慣れていったら、最近は一回でもちゃんとヒアリングOKになって」
伊集院「志ん生ラーニングだ」
小泉「うふふふふ」

古今亭志ん生は円朝の孫弟子にあたる。落語というジャンルを語る上で外すことの出来ない昭和の名人であり、まるで、落語のおかしみ、落語のあたたかみ、落語の人間くささ、落語のナンダカワカンナイ、すべてを凝縮したような存在だ。

最近では2020年の東京五輪に向けて制作されるNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、宮藤官九郎の脚本により、ドラマの語り手として登場するのがこの古今亭志ん生だとプレス発表されている。

そんな、落語そのもののような志ん生の名を挙げながら、小泉今日子と伊集院光が話しあっている。それは小泉今日子がまごうことなく国境を越えてこっち側へやってきたことの証に他ならない。その国境の内側は呆れるぐらい落語で満ちている。

<「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ) 2017年5月10日放送より>
伊集院「好きなのなんですか?」
小泉「好きなのは、『猫の皿』とか」
伊集院「うわ、『猫の皿』おもしろい!なんでしょう、初めて・・・初めてちょっと悔しいっす!」
小泉「ええ?(笑)」
伊集院「ボクからしてみたら、落語家でスタートしてて『猫の皿』ってちょっとツウっていうか」
小泉「そうなんですか?」
伊集院「イイじゃないですか『猫の皿』って噺自体がとてもいい。誰が利口で誰が悪人で」
小泉「そうですね」
伊集院「小悪党なのか、ほんとの悪党なのかシャレなのかがわからないその複雑さみたいのがおもしろくて。『猫の皿』とか」
小泉「『粗忽の使者』とか」
伊集院「『粗忽の使者』すごい」
小泉「あとなんだろう『大山詣り』とかも聞きました、好きでした。ちょっとこう、楽しい感じっていうか、なんですかね私が好きなやつって」

伊集院が「悔しい」と漏らしたのは、落語という森に入り込んだばかりの小泉今日子がかなり早い段階で、森にあるさりげない甘みの果実を的確に選びとっている、その飛び級をしたようなセンスに対してである。誰でも初めはもう少し大きくて味わいが明確な、そういう果実に手が伸びていておかしくない。森の入り口にはそういう果実がたくさんある。

(ここで『猫の皿』『粗忽の使者』『大山詣り』という落語らしい落語、滑稽な噺を並べたセンスに感心したりホッとしながら、もしここで『あくび指南』『よかちょろ』『ガーコン』なんて並べてたら即座に「東京かわら版」の名誉編集長をお願いするところだろう。)

そして小泉今日子は5月12日、「オールナイトニッポンGOLD」(ニッポン放送)のパーソナリティーを務め、『芝居噺 名人長二』に出演する豊原功補、森岡龍をゲストに招いてその話題にたっぷり触れた。

この放送を聞いて胸を撃ち抜かれたのが太田光(爆笑問題)だった。

<「JUNK 爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)2017年5月16日放送より>
太田「キョンキョンがいま志ん生の『名人長二』をプロデュースしてるって、なんかジーンと来ちゃってさ。その豊原さんって人がオレと同んなしようにカセットで古今亭志ん生と出会って、っていうことも」

太田は最近トークの端々で話題のドラマ「やすらぎの郷」に触れては、自分もまた「テレビをダメにした」当事者であり、だからあのホームには入れないと自身をツッコんでいた。その冗談とも本音とも受け取れる発言の中で「自信なくしてた」とこぼしつつ、

<「JUNK 爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)2017年5月16日放送より>
太田「(オールナイトニッポンGOLDで)キョンキョンが『私達はオトナの人達からね、もうダメな世代かと思われてたかもしれない。・・・新人類とか言われてました。(略) 私達の世代ってそういうふうに言われてたけど、私達の世代でなきゃ出来ないこともあったと思う』と」
「キョンキョンが言ったから、すごい救われたっていうか、すごい誇らしいというかね、ましてや豊原さんとかも同なしで、その人達が古今亭志ん生のそれを掘り起こして、今の現代に問うているということが同い年としてね」

太田光、1965年5月生まれ
小泉今日子、1966年2月生まれ
豊原功補、1965年9月生まれ

三人とも現在51歳~52歳、同学年だ。

▽  ▽  ▽

落語への思い深さが随所に

そして、小泉今日子のリーチが落語に伸びて制作された舞台『芝居噺 名人長二』が、5月25日、新宿・紀伊国屋ホールで幕を開けた。後方の客席で初日公演を観劇した。

この物語に、円朝原作に、志ん生口演に、確かに在りながらも物語が進むにつれて色濃くなる人情噺のフレームが次第に覆い隠していた長二という生き様の命題を、その首根っこを、豊原がむんずとつかんで掲げたような舞台だった。

壊れないものと壊れるもの
壊れやすいものと壊れにくいもの
壊してはならなかったものと壊さなくてはならなかったもの

長二を軸に登場人物達がみなそれぞれに背負う「壊れ」が舞台を押し進める。自身にとって「壊れ」とは何か。この命題を貫くことで原作の終盤を一気に書き換えた豊原版『名人長二』。人情噺はルノワールとなり、2017年の『名人長二』がシャレっ気まじりに姿を現した。

人物達が一人語りで場面をつなぎあう構成、小道具を仕草で見せるスタイル、シンプルなセットの組み換えで想像力を喚起させる演出、そしてラスト、タイトルに『芝居噺』と打った真意と豊原の落語への思い深さが随所に伝わった。

「ナリ、装い」の描写を原作に忠実に残したのは円朝の目に映ったものを再現しようという気概か。また、シリアスな中にも笑いをまぶす塩梅が程よく、その演出に応える役者陣の力量に感心した。(山本亨の「ただ殺しちゃった」の言い回しに腹を抱えて笑った)

明治27年に円朝が書き下ろし、昭和34年に志ん生が高座にかけ、平成28年に豊原功補による企画・脚本・演出・主演によってそのバージョンを更新した『名人長二』。

公演は新宿・紀伊国屋ホールで6月4日(日)まで。

明後日プロデュースVol.2 芝居噺「名人長二」
http://www.nelke.co.jp/stage/asatte_vol2/

初日の幕が下りて客席に明かりが戻ると、劇場の中程で空気が揺れていた。そこにモノトーンのジャケットを着た小顔の女性が遠目に見えた。小泉今日子だった。おそらくはプロデューサーとして客席の反応と共に一喜一憂する個人的な時間を過ごしただろう。笑顔だった。安堵の笑みだと思う。

▽  ▽  ▽

思い返すと、自分が初めて古今亭志ん生を聞いたのは、父親が持っていたSONYのカセットテープCHF-120に入っていた「らくだ」だった。

「これが志ん生か・・・、たけしさんが志ん生が一番すごいんだって『宝島』に書いてたっけ」

テープを再生すると、ゆったりした息遣いでどこかぶっきらぼうにむにゃむにゃ喋るおじいさんの声が聴こえてきた。その口調にすんなりついて行くことが出来ず「このむにゃむにゃのどこがすごいんだろう?」と行き場を見失った。

当時高校一年、16才、1982年だった。この年、小泉今日子は「私の16才」でデビューした。自分も小泉今日子と同い年だ。

あれから35年が経った。キョンキョンと言えば小泉今日子だったのにいつからだろう、落語が身近な日常が続いてキョンキョンと言えば柳家喬太郎になっていた。だが、この5月はどうあれ、どうあろうとも、キョンキョンと言えば、なんてったって小泉今日子、なのである。