「保守」「リベラル」で思考停止するのはもうやめよう~宇野重規×山本一郎対談(1) - BLOGOS編集部

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※この記事は2016年07月28日にBLOGOSで公開されたものです

改憲=保守、護憲=リベラル・革新。あるいは、与党は保守で野党はリベラル・革新。そういったイメージが定着している。一方、「護憲ならば保守で、改憲するのは革新ではないか」という指摘を目にすることもある。一体、「保守」とは何なのか。何を「保守」するのか。

編集部では、先月『保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)』を出版した政治学者の宇野重規氏とブロガーの山本一郎氏に、目下の政治状況を振り返りながら、とかく定義が混乱しがちな「保守主義」の本流について語り合ってもらった。 【大谷広太、村上隆則(編集部)】

■対立軸を提示できなかった与野党

山本一郎氏(以下、山本):先日の選挙は、幸いにして参院選でしたが、これが政権選択選挙だったら、目も当てられなかったと思います。

日本がどんどん貧しくなっていくという時に、じゃあ、社会保障をどうしましょう? このままでもちますか? 日本社会が目指す先は「高福祉高負担」ですか、それとも「低福祉低負担ですか?」というような分かりやすい二元論でさえも議論として成立しない状態になると、なんのための2大政党制なんだと思ってしまいます。

宇野重規氏(以下、宇野):大都市を中心に国際経済の中で勝ち抜いて行くというモデルでいくのか、それとも地方を復活させて成長させるかというのは、路線対立としてあっていいと思います。

山本:どんな努力を払っても、地方にはもう人は増えないという前提で、ですね。衰退はしていくんだけど、そこに住んでいる人達がより幸福で、社会的コストに見合った福祉の行き届いた環境づくりをするためにどういう政策が可能なのか考えた方がいい。それはある種の”撤退戦”なんだけども、そこで”どういう日本であるべきか”ということも合わせてもっておかないといけないと思います。

ただそういうときに出てきがちな、「商店街があって、お祭りができるようなところにするんだ」という若者が地方にいることありきの目標には、ある種の革新系が持つ理想の高さみたいなものがそのまま引き継がれているところがあるのかなと思うんですよ。

宇野:戦後の革新が持っていた、どちらかというと社会保障に関して、幅広く、違う意味で”バラマキ”をするという感覚がまだ残っているのかもしれないですね。

山本:福祉に関する議論にしても、国民は感覚でしか分かっていない部分があります。それをもうちょっと噛み砕いて、政策分野ごとのフレームワークに落としこむ必要がある。地域の貧困率や経済成長率といった尺度で見せるだけでも随分と違うわけです。それが分かれば、今の日本社会において、何が大事かっていう価値判断にも繋がっていく部分があると思うんです。

やはり、戦後の日本人は自分達が豊かになって、その豊かさ次の世代にどう引き継いでいくかという中で、「社会の豊かさを示すパラメーターのなかで、あなたは何を大事にしますか?」というメッセージを出す必要があるんではないかと。

宇野:負担が大きいけれどもサービスも大きい「北欧型の大きな政府」、もしくはサービスは小さいけれど、負担も小さい「アメリカ型の小さな政府」。もはや、そのどちらかのモデルを選択するという時代ではないんですよね。負担は増える一方だけれど、サービスは少ないという時代ですから。

そんな中にあって、経済成長することによってトリクルダウンするモデルか、ボトムラインを支えて貧困層を上に持っていくっていうモデルか。少なくともそれぐらいの選択肢は提示されてしかるべきですよね。

山本:仰るとおりです。それこそ都市と地方、年寄りと若者、富裕層と貧困層などの対立軸があって、どうそれらが壊れようとしているか、分断しようとしているのかを、もうちょっときちんと説明していくべきだと思います。その中で、「みな、日本社会を構成する人々である」という同志意識を持ちながらも、減っていく予算の中でよりしっかりとした社会運営を行うためにはどうしていくべきかと。

宇野:どちらかを捨てるのはムリだと思いますが、比重をどちらに置くかという選択肢は重要だと思います。

そして、同志意識とまで言わないまでも、少なくとも一つの同じ島でともに暮らしている以上、なんとかお互いを支えあっていく理念を持たなければならない。その理屈が飛んでしまって、安易なナショナリズムで煽るしかなくなっている。”敵を作る”発想になってしまうんですね。本当は、「自分達の社会が大切にしている価値とはなにか」を問わなければならないはず。

山本:日本人として「これだけは残したい」と誰かが明言すべきなのに、それが言えてない。

宇野:全てを残すことはもうムリですからね。だからあえて選ばなければいけない。その何を選ぶかということが、前に進む原動力にもなるわけです。だからある意味では、保守主義が社会の推進力になる、変な時代とも言えるかもしれません。

山本:宇野先生の本でも触れておられた「保守革命」ですよね(笑)。すごく矛盾した言い方ですが。

■揺らぐ「保守」「リベラル」の定義

山本:そうは言っても、今の日本において、どういったものが「保守主義」として定義できるのか、すごく悩ましい。いろんな人が保守を自認して「これが保守主義的な態度だ」と言うものの、よく見てみると単なる民族主義だったり、国家的な全体主義だったりする。たとえば英語圏では”ナショナリスト”とみなされる人が、日本では”コンサバティブ”とみなされるといった具合に、どうしても定義に”ゆらぎ”が生じています。

加えて保守に、”ネット右翼”みたいなものや、反動的なヘイトスピーチまでやってのける民族主義的なものまでが含まれるというイメージがあり、若い人達からすると、なんでもかんでもとりあえず”保守”になってしまっている。

一方で法哲学者の井上達夫さん(東京大学教授)が、「リベラル勢力とリベラリズムは違う」というお話をされているように、「リベラル」の定義も誤解されているように思います。

宇野:確かに今、「リベラルとは何ぞや」ということが迷走しています。それに対して「保守」は明確かと言うと、こちらはさらに混乱しているんじゃないでしょうか。

メディアも含め、「保守」「リベラル」というラベリングをして思考停止に陥ってしまうのはもうやめたほうがいい。本当は、社会の方向性や、どんな価値を守ろうとしているのか、で定義すべきです。

山本:「右」「左」という言い方も、今の使われ方はかなり変ですよね。あるいは「保・革」と言われても「え~!?」って思ってしまう、「戦後保守政治」というのも、ちょっと違う気がする。

■「保守思想」の祖・エドマンド・バークが考えたこと

山本:そこで、本当の意味での「保守主義者」は意外と少ないのでは?という疑問が出てきます。

ただ、「保守思想」の原点であるエドマンド・バーク*に遡って、英国国教会の流れを組む本来の「保守思想」が日本にうまく合致するのかと言うと、そういうわけでもない。宗教的なバックボーンが違いますからね。

*エドマンド・バーク(1729-1797)
18世紀の英国で下院議員として活躍した政治家・思想家。『フランス革命の省察』というフランス革命を批判する内容の著作を公刊したことから、「保守主義の父」として知られる。宇野氏によると、バークの保守主義は、歴史的に培われた制度や慣習を保守しながらも、自由を尊重し、秩序ある漸進的改革を目指すものだとされる。

宇野:「保守とは何ぞや?」と聞くと、皆さん必ずバークを出してきますよね。彼がフランス革命を批判したことから、「抽象的な理念による革命はいけなくて、漸進的な改革を良しとするのが保守だ」というようなことをおっしゃるんですが、「本当にバークって、それだけを言った人なのかな」と思うことも多いんです。

というのも、バークはとても深い人物なんですね。体制派に見える側面もあるが、実はそうでもない。彼はアイルランドという、グレートブリテン(以下、英国)の中ではマイノリティの出身で、王様とはケンカするし、英国と敵対しているはずのアメリカの独立革命は擁護するし、さらに東インド会社のような植民地支配に対しても文句を言ってしまう。

彼が国王にまで噛みついたのは、「自由を大切にしながら少しずつ変えていく、それがイギリスの良き伝統だ」という信念があったからです。

山本:バークははっきりと「アメリカ人の自由に対する考え方は、我々と同じなのであって、擁護されるべきだ」と言ってしまうわけですよね。イギリスにとっては、植民地が独立されかねない瀬戸際の状態で、野党の理論派であるバークが、自由の考え方はイギリスの培うべきものと等しいと言い始めた。宇野先生の『保守主義とは何か - 反フランス革命から現代日本まで』でもきわめて正確にその思想について解説されていますが、彼は単なる野党的な批判をするのではなく、「自由とは何か」をきちんと考えて、それがたとえイギリスの直接の国益にならなかったとしても、考え方が合致しているものに関しては擁護しています。

宇野:バークは議会や政党も非常に重視していました。政党とは国益のためにあるのであって、その実現の方向性をめぐって、分かれて競い合うものなんだと。だから対立はしても体制の全面的批判はしない。あくまで今の国政を前提に改革を目指すものなんだと。

山本:彼は父親が国教徒で、母親がカトリックという家庭で育ちましたから、そもそも多様性をはらんでいたわけですね。そこでうまく整合性を取っていくために、自由という概念やブリティッシュ・コンスティテューション(英国国体)に関する考え方などが整理されていった。だからこそ当時としても非常に破壊力のある批判ができたと思うんです。ただ、それをうまく日本に持ってくることができなかった。

宇野:それは大切な視点です。元々バークは文学青年ですし、美学の研究からスタートしているのですが、均整のとれた美ではなく、ある種の危うさを持った崇高さの概念からスタートしているんですね。

その根っこには、自分の中の軋み合うようなアイデンティティと、多様な人間が一緒に生きていくんだという前提があったと思います。そこから人間が一緒に生きていくためのマナーとか、共存のための作法みたいなものを洗練させてきたのが、彼の保守思想であり、本来のイギリスの保守思想なんでしょうね。

バークにとってフランス革命が気にくわなかったのは、「答えが一つ」だったからだと私は考えています。つまり、様々な声を許すのではなく「これが正解だ」「これが歴史の進歩だ、社会の発展だ。だから作りなおせ」というのがイヤだったんだと思います。

つまり、みんなで様々な伝統を使いながらやっていくのが社会の発展なのに、答えは一つだと決まっていて、あとは力づくで実現するのが「進歩」だと言われると、それにはついていけないと。

山本:社会の知恵というのは、複数の世代に渡って築き上げられてきた”合理性の塊”なんですよね。それは、真の意味での多様性の包摂だったり、少数の意見の尊重だったりする。

バークも「我々が大事にするべき価値とはなにか、伝統とはなにか?」ということを押さえて再定義し、社会情勢の変化や他国との関わり合いの中で、「ここは合わないから、改善してこう」と進んでいくのが「改革」だと考えたはずです。大切なのは、あくまで「改革」であって「革命」ではないと。だからこそ、フランス革命を批判したんだろうと思います。

宇野:つまり、「自分と意見が違うやつは出て行け」みたいな態度は「答えは唯一だ」という独善的な発想で、それは本来の保守思想じゃないんですよね。

加えて「今の世代のことだけを考えてはいけない」という発想も大切です。バークは「過去の人々とのパートナーシップ」とも言っていますが、過去の世代が大切にしたものも受け継ぐし、場合によっては未来の人達の利益も考えていかなけばならない。

■ナショナリズムや復古主義とは区別して考えるべき

山本:そう考えて行くと、民族主義的な人もそうですが、いわゆる保守的態度をとっている人が、「我々は保守だ」あるいは「保守本流だ」「保守主義者だ」と言っていることの傲慢さというか勘違いというか、本来のバークの思想としての保守主義ともっともかけ離れた考え方だと思います。これに対しては、どこかで修正をかけていかなければいけないのに、なかなか合理的な説明を果たす機会に恵まれず、結果として広く誤解がひろまってしまっています。解説を怠っていますよね。

実際には「保守とは何か」ということに関して、深い議論が戦後だけでなく戦前にもあり、場合によっては江戸時代の良かった面の掘り起こしも必要なはずです。日本が守るべき日本の伝統、知恵の再発見という観点があまり見受けられないのは残念なことです。「日本人とはなんぞや」みたいなものも含めて、次の世代にいかにブリッジをかけていくのか、という視点で考えなければいけないのではないでしょうか。

宇野:「ブリッジをかける」というのは良い言葉ですね。保守主義者って、やっぱりブリッジをかけていく人のことだと思うんです。革命でスパンと切っちゃうんじゃなくて、どう繋いでいくかという視点を持っている人。

歴史の転換点って、結構危うい時もあったと思うんです。日本でも明治維新と敗戦という2つの大きな断絶がありましたが、その断絶を認めながらも、どうやって連続性を持たせて繋いでいくかが知恵の見せ所でした。自分達が昔から大切にしてきた価値は何かということを、常に今の世代から確認し直し、検証していける、そういう態度が必要ですよね。

山本:本当は、日本にもバークのような考え方を持っている人たちがいると思うんですね。そういう方々が、分かりやすく「これが保守主義の本流のものですよ」と提示していただけたらいいなと。バークが何を考えて、どういう主張をしたのかということを理解し、「自由」という重要な起点から考えて、何を伝統として残すべきなのかを、もう一度みんなで再考する必要があると思います。

今まで言われてきた、いわゆる日本の”保守”というのは、「保守的態度」なのであって、違うものなんですよと、うまい具合に説明したいといつも思っています。単に国民が天皇を崇敬する伝統を守るのが保守なんだと言われても、それが本来の意味での保守主義とは違うということになるはずなんですけど、そういう人達も「保守」を名乗るわけですよ。

宇野:仰るとおりです。保守主義というのは、まず、ナショナリズムとは区別するべきです。むしろ多様性に開かれていることが大切ですし、恣意的に過去と紐付けてしまうような、ある種の復古主義とも違うわけです。

要するに、社会が変化しているということを認めながらも、急速な変化に対してはスローダウンしてブレーキをかけ、検証しながら、前に進んでいくということでしょう。

だから、ただ「昔はよかったな」というのとも違います。着実に前に進むんですが、過去との連続性を大切にしながら進んでいく。そういう意味での「保守主義」が本当に日本にあったのかというと、不安になりますね。(後編に続く)

■プロフィール

宇野重規(うの しげき)
1967年東京都生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所准教授を経て、2011年より同教授(政治思想史、政治学史)。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学』 (東京大学出版会)など。

山本一郎(やまもと いちろう)
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる。統計処理を用いた投資システム構築や社会調査を専門とし、東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員、東北楽天ゴールデンイーグルス育成・故障データアドバイザーなど現任。東京大学と慶應義塾大学とで組成される「政策シンクネット」の高齢社会研究プロジェクト「首都圏2030」の研究マネージメントを行うなど、社会保障問題や投票行動分析に取り組む。著書に『ニッポンの個人情報 「個人を特定する情報が個人情報である」と信じているすべての方へ』(翔泳社)、『読書で賢く生きる。』(ベスト新書)ほか。

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