「参院選後」の野党、国会、有権者のあるべき姿とは?ー吉田徹・北海道大学教授に聞く - BLOGOS編集部
※この記事は2016年07月15日にBLOGOSで公開されたものです
今月10日に投開票された参議院選挙では、与党が過半数の議席を確保する結果となった。また、統一候補を擁立する野党側は、憲法改正に前向きな、いわゆる「改憲勢力」の3分の2議席確保阻止を選挙戦の焦点としたが、結果は各社の事前情勢と大きくは変わらなかった。こうした結果を受け、野党各党では代表の辞任や政界引退も相次いでいる。健全な議論のために、これからの野党はどうあるべきなのか。「野党共闘」から学ぶべき教訓は何なのか。『「野党」論: 何のためにあるのか』(ちくま新書)を上梓したばかりの吉田徹・北海道大学法学研究科教授に話を聞いた。【大谷広太・編集部】
■「フェアな競争と透明性」が今後の野党協力の鍵
-参院選が終わりました。与党に対抗した"野党共闘"については、結果として失敗だったという批判もある一方、福島と沖縄では現職閣僚を落選させるなど、一定の成果もあったとみる向きもあります。吉田:野党4党(民進党、共産党、社民党、生活の党)が候補者を一本化した全選挙区32のうち、与党に競り勝ったのは11選挙区です。少なくみえるかもしれませんが、前回2013年の総選挙では候補者調整が進まず共倒れしたこともあって2選挙区でしか勝てなかったことを考えれば、共闘しなかったらもっと減っていたでしょう。共闘の結果、比例での票の積み増しがあったことも検証されているので、共闘は相対的には成功と評価できると思います。民進党に限っていえば、比例区での無党派層からの得票は自民と肩を並べました。
ただ、今回は衆院選と違って政権選択選挙ではない参院選でしたので、野党同士が合意できる「ネガティブリスト」的な協力でした。2018年までに予想される衆議院総選挙を前に、選挙協力に終わらない、政権構想と体系的な政策パッケージがなければ、自公に対する批判票の受け皿とはなりえても、これに代わる選択肢とみなされるのは難しいでしょう。そのために残された時間は決して多くはありません。
共産党への拒否感が強いこともあって、野党が協力を進めると、必ず「野合」という批判が与党やマスコミから寄せられます。有権者が不信感を持つのも当然です。そのため、私はイタリアやフランスで実践されているように、野党各党の代表が自らの政策を掲げて野党ブロック代表の座を争って戦い、これに一般有権者が投票するといった「公開予備選」を提唱しています。いずれであっても、フェアな競争と透明性があること。それが今後の野党協力の鍵になると考えます。
-アニメ問題・表現規制への取り組みを積極的に行い、約29万票を獲得しながらも落選した山田太郎氏のことが話題になっています。
勢力が大きく2つに収斂していく中で、安全保障関連法案の採決における"附帯決議"を行った日本を元気にする会や、かつてのみんなの党など、”ワンイシュー”的な野党や、ユニークなポジショニングの野党が無くなる、もしくは存在感を失っていく状況も気になっています。こうした党がこれから勃興してくる可能性はあるのでしょうか。
吉田:難しいと思います。確かに、かつては「サラリーマン新党」やら「UFO党」やら、政治団体が参院選に出ていました。「同性愛者」だった東郷健が党首だった「雑民党」の政見放送なんかは、知的にも面白かったですしね。
93年に非自民連立政権の首相となる細川護煕の日本新党も、参院選に打って出たのがきっかけです。ちなみにこの選挙ではニュースキャスターから転出した小池百合子さんがはじめて議員になっています。
本来、参議院は衆議院と異なる民意を反映させるためのものですから、社会の多様性がそこにはありました。ただ選挙制度の変更があったり、供託金が引き上げられたりして、そういう多様性は随分となくなりました。三宅洋平さんの「選挙フェス」なんかもそうですが、こういう政治での「遊び」や「試み」が「ふざけ」としてしかみられなくなって、世間の目線が厳しくなっていることも影響しているのかもしれません。
それゆえ、専門用語では「アドボカシーコアリション(唱道連合)」などといいますが、クラブの深夜営業を可能にした風営法改正が市民団体と超党派の議員との協力で実現したように、ワンイシューを軸にした市民社会、実務家、政治家のアドホックな連携がこれから大事になってくるのではないでしょうか。
-現在、「改憲勢力」という観点では与党側に括られてはいるものの、連立与党でも、野党共闘でもない「第三極」として、おおさか維新の会の存在が挙げられます。まだ地域政党のイメージが強いためでしょうか、「日本維新の会」に党名を戻すことも報じられていますが、国政の場で、与野党の間に立って影響力を発揮する可能性があると思います。
吉田:あまり注目されなかったものの、今回の参院選で特筆されるのは、おおさか維新の会の実質的な「躍進」でしょう。カリスマ的な橋下徹不在の中でも、選挙を戦えることを証明したことの意味は大きいと思います。
“大阪都構想”の住民投票などでは敗れたものの、これは大阪を中心に、賛否両論はあっても橋下行政が様々な結果を残してきたことの結果かもしれません。おおさか維新の会は、いわば「投資」から「収穫」の時期に入りつつあります。
小泉改革以降、みんなの党の解体もあって、日本政治の舞台からは「新自由主義の極」を代表する政党はいなくなりましたが、それを期待する有権者は都市部に一定度存在します。ただ、これが全国的な支持を集めることは難しいでしょうから、与党ブロック、野党ブロックのいずれかと協力を進めていかないと、政権に近づくことは難しいかもしれません。
■国会制度の運営や規則の見直しなどで変えられることも
-「一強多弱」と言われているものの、55年体制の崩壊以降、自民党が単独で政権を維持するのが難しい状況が続いています。衆参両院で見れば、民主党政権時もそうでした。このような”単独で政権を維持できない”状況は望ましいのでしょうか。吉田:この参院選でも、やはり自民党は1989年に失った過半数にわずか届きませんでした。(編集部注:選挙後、無所属の平野達男・元復興相が自民党に入党届を提出したことで、自民党は27年ぶりに参院で単独過半数を回復。)
実際、90年代の政治改革以降、「二大政党制」が喧伝されながらも、現実に進んだのは連立政権の常態化と参院との「ねじれ」でした。衆議院と参議院の政治制度が異なるのであれば、こうした状況は今後とも続くことが予想されます。「おおさか維新の会」は一院制を主張していますし、かつての民主党もそうでした。政治学者の中にもそうすべきだと提言する人もいます。究極的にいえば「時間がかかる決められない政治」がよいのか、「簡単に決めすぎる政治」がよいのかという選択にもなりますが、長期的視点に立って判断していく必要がある事柄でしょう。
-日本において、二大政党制の実現や、自民党に対抗しうるだけの野党が台頭することに期待をかけるよりも、むしろ自民党内に宏池会があり、党内で綱引きが出来た55年体制的な時代に戻す方が良いのでは、という意見もあると思います。
健全な議論のために、"自民党内野党"が育つことに期待するのか、引き続き公明党のような与党内の"ブレーキ役"に期待するのか。どうお考えでしょうか。
吉田:「ハト派」「タカ派」の両方を含む、ヌエ的な自民党は、小選挙区制を中心とした選挙制度のもとでは、復活しようがないでしょう。小選挙区制のもとでは社会経済政策では中道寄りになっても、理念的には純化路線を歩むのが大政党にとっての合理的な解です。それゆえ、かつてのような「党内多元主義」は期待できません。もしブレーキ役を求めるとすれば、それは従来の派閥均衡や擬似政権交代とは違う方法で実現しなければならないように思います。
-国会の制度面を改革することで、目下の問題点を変えられる可能性はありますでしょうか。
吉田:よく野党は党利党略ばかり、国会でもパフォーマンス狙い、と指摘されます。ただ、これには日本の国会制度の特徴も影響しています。誤解を恐れずにいうと、日本は制度的にはイギリスの議院内閣制をモデルにしているものの、運用規定はアメリカ議会をモデルにしているような、ハイブリッド型です。それが悪いというわけではありませんが、例えば議事日程に政権が関与できませんし、委員会中心主義であるにもかかわらず、実質的な審議というよりは党派的な対立を固定化するような仕組みになっています。
そのため、与党は強引に法案の採決を狙い、野党は会期の短さを逆手に廃案に追い込もうとして、結局、法案の修正が手つかず、などという展開になります。
テレビ中継も入ったことで、結果として、国会ではフリップをつかって世論向けのパフォーマンスがはじまるようになります。議員が使うフリップなどは、本来であれば同僚や閣僚に向けて提示されるべきなのに、テレビ画面を向いているのは、そのよい象徴かもしれません。
もちろん制度をいじればそれで全ての問題が解決するわけではありません。ただし、二院制の廃止などといった大上段に構えた、解りやすい改革以前に、国会制度の運営や規則の見直しなどで、政治の効率性の向上や野党による審議機能の実質化などが可能なはずです。
■憲法改正論議の時代の有権者に求められることとは
-改憲勢力が2/3を確保したということで、憲法改正論議がリアリティを持ってきます。先生は、日本においても政治思想・体制をめぐる対立が終焉し、政党間の主義主張の違いが見えにくくなってきているものの、唯一残っている対立軸があるとすれば、それは「憲法」をめぐる態度だと指摘していらっしゃいます。吉田:今回の選挙戦でも、一応は憲法改正問題も議論の俎上には上がりましたが、国民の反応はいまいちだったように思います。
冷戦構造が崩壊し、社会の多元化と金融経済のグローバル化が進んだ結果、日本のみならず、多くの先進国では一国単位で採り得る政策幅が縮小していっています。先の国民投票によるイギリスのEU離脱はその反動といえます。
日本が抱える課題、少子高齢社会や財政問題、経済のグローバル化などは、批判はあっても、いずれの政党が政権についても取り得る選択は限定的にならざるを得ない。民主党政権が初めにTPPを進めると言ったり、自民党が同一労働同一賃金を言い始めるといったりしたように、です。こうした課題については、手法の違いだけが残ります。有権者も、政治の差異はどこにあるのか、それはなぜ可能なのかといったことについて敏感でないと、イギリスと同じ轍を踏むことになりかねません。
確かに、日本では55年体制の残滓ともいえる、憲法改正が与野党間の争点となっています。ただ、これも絶対的なものではありません。日本共産党はかつて日本国憲法の制定に反対していましたし、旧民主党も改憲そのものには反対をしていない。一方で護憲的な姿勢は自民党の中にも残っています。憲法が政党政治において一躍争点として浮上したのは、第一次政権で安倍首相が「戦後レジームの脱却」を口にし、さらに昨年の衆院憲法審査会で、憲法学者が安保法制について「違憲」との判断を示してからのことです。
私個人は憲法改正については、多くの人と同じく、一概に賛成、反対とはいえないと思っています。そもそも憲法の何を、なぜ、どのように変えるのかという議論や思考実験なくしては、議論は無意味です。
ただ、護憲派、改憲派ともに日本国憲法が宗教化している感は否めません。憲法さえ守れば日本は戦争をしないでいられる、変えさえすれば社会もよくなる、というのは憲法に自分たちの理想を託し過ぎた議論です。信仰もそうですが、重要なのは教義そのものではなく、その実践、いうなれば憲法精神をいかに活かすかです。そうしたことは日本の戦後の問い直しにもつながるでしょう。
そのような議論は政治家に任しておくには勿体無い。評論家の東浩紀さんなどがかつて「ゲンロン憲法2.0」として草案作りに取り組まれましたが、まずは国民の側から議論の提起があってもいいかもしれません。
-無党派層が増加する中、有権者の側に求められる姿勢とはなんでしょうか。
吉田:無党派層の増加は、グラデーションはありますが、どの先進国でも顕著になっています。言い換えれば、それは国民国家という単位と議会制民主主義という時間軸で決められることがどんどん少なくなっているからでもあります。
格差問題も、エネルギー問題も、環境問題も、数世代に渡って、国際協調の枠組みで取り組まなければ解決できません。だから、国家と選挙だけを政治の範囲としてしまうと、逆に民主主義は空洞化していくことなります。
そうではなく、グローバルな視点から日本政治を捉え、選挙だけではない政治参加の厚みを増していくこと、それこそが未のある政治、つまりは政治を動かし、作り上げているんだという感覚を取り戻すことにつながるのだと思います。
■プロフィール
(よしだ・とおる)1975年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学法学研究科・公共政策大学院教授、フランス国立社会科学高等研究院日仏財団リサーチアソシエイト。比較政治、ヨーロッパ政治を専攻。 リンク先を見る
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