※この記事は2016年06月23日にBLOGOSで公開されたものです

身体的な特徴だけでなく知能も遺伝する


身長や体重などの身体的な特徴だけでなく、性格や能力にも遺伝の影響があることは誰もがなんとなくわかっている。だがいまでは、遺伝の影響を科学的に測定する方法が確立していることはあまり知られていない。それが行動遺伝学だ。

一卵性双生児は受精卵が偶然2つに分かれたのだから、2人は完全に同じ遺伝子を共有している。こうした子どもがなんらかの事情で別々の家庭で育てられたとしたら、遺伝子が同じで環境だけが異なるのだから、それぞれの影響を統計的に計測できる。

二卵性双生児は2つの卵が同時に受精しただけで、遺伝的には一般のきょうだいとは変わらず、平均して2分の1の遺伝子を共有している。そこで、同じ家庭で育てられた一卵性双生児と二卵性双生児を統計的に比較することで、遺伝と環境の影響を把握することが可能になる。

双生児研究は1950年代から始められ、現在までに膨大な研究が蓄積されてさまざまな形質の遺伝率が明らかになっている。こうした行動遺伝学の成果は、日本における第一人者である安藤寿康氏の著作(『遺伝マインド 』有斐閣など)に詳細に記されているが、それによると一般知能(知能テストのIQ)の遺伝率は77%、論理推論的能力は68%ときわめて高い。

この遺伝率は知能のばらつきのうち約8割を遺伝要因で説明できるということで、「頭のいい親からは8割の確率で賢い子どもが生まれる」ということではないが、身長の遺伝率が66%、体重の遺伝率が74%であることを考えればどのような数字かある程度イメージできるだろう。背の高い親から長身の子どもが生まれるように、親から子へと知能も遺伝するのだ。

親は子どもの成長にほとんど影響を与えられない?!


遺伝の影響はこれまで、受精したときの形質が死ぬまでそのまま続くと考えられてきた。だが近年、成長とともに遺伝の影響が変化することがわかってきた。IQで遺伝と年齢の影響を数値化すると、幼児期から思春期に向けて遺伝の寄与度が大きくなっていくことがはっきりわかる。この「一般知能の発達的変化」は「行動遺伝学の発見のなかでももっとも重要なもののひとつ」とされるが、その意味するところは重大だ。

遺伝の寄与度が小さければ、そのぶん環境から受ける影響は大きくなる。この環境には子育ても含まれるから、幼児教育の効果はここから説明できる。だが一般知能の発達的変化では、子どもが成長するにしたがって遺伝の影響が前景に出てきて、環境(子育て)の効果は消えていく。幼児教育によって子どもを名門幼稚園や一流小学校に入れることはできるかもしれないが、高校生になる頃には幼児期の学習効果はほとんどリセットされて、知能(学力)は遺伝的要因で決まるようになるのだ(詳しくは安藤寿康『遺伝と環境の心理学』培風館)。

「子どもの才能は幼児期の親の育て方で決まる」という俗説は広く信じられており、親は子どもの進学や就職の結果で子育ての「成功」と「失敗」をきびしく判定される。だが行動遺伝学の知見を前提とするならば、一般知能の高い遺伝率や、その発達的変化を考慮しない子育て論や教育論にどれほどの価値があるかきわめて疑わしい。発達についての科学的な研究は、「親は子どもに成長にほとんど影響を与えられない」という説を強く支持しているのだ。

精神疾患の原因は“間違った子育て”ではない


行動遺伝学は、遺伝の影響があらゆるところに及んでいることを明らかにした。それはこころのネガティブな側面も例外ではない。

ナチスによる優生学の乱用もあって精神疾患と遺伝の関係については長らく政治的タブーとされてきたが、これも近年、行動遺伝学者による多くの研究が発表されるようになった。精神病に遺伝が関係するとしたら、その事実を無視して患者を治療したり、アドバイスすることは効果がないばかりか、かえって危険でもあるからだ。

日本語で読める文献としてはカナダの行動遺伝学者ケリー.L.ジャンの『精神疾患の行動遺伝学』(有斐閣)がもっともまとまっているが、それによると精神疾患における遺伝と環境の寄与度はまちまちだが、症状が顕著なほど遺伝の影響が大きいという傾向ははっきりしている。

気分障害(うつ病)、パーソナリティ障害、統合失調症、アルコール依存症など、あらゆる精神疾患に遺伝の影響は見られるが、一般的な気分障害の遺伝率は30~40%、情動不安定や自傷などパーソナリティ障害は40~50%、依存症は50%前後などとなっている。これは「氏が半分、育ちが半分」という常識を確認しただけのようにも思えるが、ここで注意しなければならないのは、行動遺伝学では環境を「共有環境(一般には子育て)」と「非共有環境(家庭以外の友だち関係など)」に分けていることだ。

行動遺伝学は、能力や性格の多くで共有関係の影響は計測できないほど小さく、遺伝に対する環境とは「非共有環境」のことだと一貫して示してきた。精神疾患でもこれは例外ではなく、ほぼすべてで共有環境の影響は非共有環境に比べて圧倒的に小さい。精神疾患に環境(育ち)が影響するとしても、多くの場合、間違った子育てが原因とはいえない。

統合失調症はあらゆる研究で高い遺伝率を示し、82%と推定されている。双極性障害(躁うつ病)も同様で、その遺伝率は83%だ。かつては統合失調症を「関係性の病い」とし、幼少期の家族関係によって発症するとの説が広く唱えられたが、きわめて高い遺伝率は子育てへの批判が偏見であることを示している。

行動遺伝学が明らかにする「犯罪と遺伝」の関係


精神疾患と遺伝の関係以上に、「犯罪と遺伝」は触れてはならないタブーとされてきた。だが犯罪者のなかでもサイコパスとされるタイプは精神疾患の一種と見なされるようになり、反社会的パーソナリティ障害の遺伝率が計測されている。こうした文献としては、米国の神経犯罪学者エイドリアン・レインが犯罪の科学的知見を総合した『暴力の解剖学』(紀伊國屋書店)が現時点での決定版だ。

レインが南カリフォルニアの小学校に通う9歳の双子605組(1210人)の問題行動を調査したところ、教師が評価した場合の遺伝率は40%、親による評価では47%、本人の評価では50%となった。これも、「子どもの問題行動の半分は遺伝、半分は環境の影響」という妥当な結論に思える。

そこで次にレインは、教師、親、本人の三者ともが「反社会的」と評価した子どもだけを抽出してみた。その結果は驚くべきもので、(本人も含め)誰からも暴力性や異常性が顕著と見なされた子どもの反社会的行動の遺伝率は96%というきわめて高い数字が示されたのだ。――これは、症状が顕著になるほど遺伝率が高くなるという精神疾患のデータとも整合的だ。

これまで犯罪は、遺伝の影響を完全に無視して、家庭もしくは社会の「病理」とされてきた。だが行動遺伝学によれば、犯罪には明らかに遺伝的・生物学的な基盤がある。とりわけ世間を驚かすような少年の異常犯罪では、親はたまたまその遺伝子を持っていたというだけで、子どもに対してできることはほとんどないだろう。

行動遺伝学は多くの「不都合な事実」を明らかにしてきたが、それが不愉快だからといって、現実から目をそむけてきれいごとだけを語っていればいいということにはならない。日本ではほとんどの専門家が、こうした科学的知見を知っていながら口をつぐんでいるが、そのことが、効果の乏しい「教育」に多額の税金を投入して教育者の利権にしたり、本人の意思ではどうにもできない病気を「自己責任」にしたり、少年犯罪など本人の責任を問えない場合は親を過剰にバッシングするなど、さまざまな社会の「病理」を生み出しているのだ。

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