<「ビートたけし」は普通ではない>残酷?クール?優しい?解らないけど「たった一言」で人を楽にする - 吉川圭三
※この記事は2014年10月21日にBLOGOSで公開されたものです
吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]***
「所ジョージ論」、「明石家さんま論」と来たので、今回は「ビートたけし」について書いてみたい。
ビートたけしさんと本格的に仕事をしたのは25年近く前のこと。「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)がに始まった時だった。
番組のMCには所ジョージさんと楠田枝里子さんの二人が決定していた。これだけでももう十分な布陣だが、私はどうしてもたけしさんに出てもらいたかった。たけしさんは今、ニュース番組のキャスターなどもやっているが、海外から入手した硬軟取り混ぜたVTRに、ビートたけしの強烈なコメントを放ってほしかった。たけしさんの「寸鉄人を射る一言」でこの番組は完結すると思ったのだ。
しかし、当時、たけしさんは(今もある意味そうだが)「日本でもっともブッキングしにくいタレント数人」のひとりだった。チーフプロデューサーの金谷さんがどんな手を使ったかは知らないが、数週間後、奇跡の様に「YES」の返事が来た。
たけしさんは所さんの事を当時から非常に気に入っていたからかもしれない。これは同時に「この3人」に見せるに値する「世界のテレビ」を探してきて、それを見事に編集しなければならないことをも意味していた。スタッフに言い知れぬ緊張感が襲ってきたのを覚えている。
さらに、ビートたけしが、ただスーツを着て出ていても直観的に面白くないと思った。今は各番組でやっているが、我々は登場衣装を考えた。ステージ横には奇妙奇天烈な衣装の数々。10点はあったと思う。我々は特定の一点の衣装をビートたけしに着てくれとはとても言えなかったのだ。
ビートたけしが衣装のおいてあるカメラ倉庫にゆっくり入ってくる2~3分考え、「これだな」という。中には1点150万円以上の衣装もある。選ばれればよいが、悲しいかなボツになることもある。たけしの衣装だけで我々は年間何千万も使っていたのだ。
開始の3年間こんな感じだった。VTRを褒められることもあったが、ケチョンケチョンに貶されることもあった。VTRの選球眼と編集技術が鍛えられた。
そしてもう一つ。
ビートたけしは非常に「シャイ」であった。スタジオに入ってきて衣装を着たら、壁をぼーっと見て一言もしゃべらない。こちらも「天気の話でもしてもな~。」と思いつつ無言でたたずむだけだ。そんな日々が3年も続いたのだ。だからたけしさんは筆者(=吉川圭三)のことだって認識していないと思い込んでいた。
そんなある本番収録の日の朝、筆者はトンデモナイ目に会った。実家のソファに寝ころんで、さあ出るかと身を起こした時、強烈な激痛が筆者の腰を襲ったのだ。腰痛だ。一寸も動けない。父母に担がれて東京無線タクシーに乗る。親父がツエを貸してくれた。5センチの道路の落差が怖い。絶望的な気持ちになった。
確かに当時、週7日間、朝8時から夜中の2時まで編集。スタッフルームの椅子に座りっぱなし。腰痛にもなるだろう。でもこれからの「まる見え」どうすんだ? よほど暗い感じでツエをつきながら、スタジオの隅をよたよた歩いていたのだろう。そこに入口からビートたけしが入ってきた。
すると彼は奇妙な反応をしたのだ。ビートたけしは満面の笑みでニンマリ笑った。そして一言。
「やっちゃったね。ハハハハ。」
やっぱりこの人は普通じゃない。通常「どうしたんですか?」「大丈夫ですか?」「お大事に。」普通の人だったらこう言うのだろう。筆者も一瞬、いくらたけしさんだって笑って「やっちゃったね。」はないだろう、と思ったが。実際言われてみると、今までの腰痛による絶望感が不思議にスーと消えて行ったのだ。
もちろん「ビートたけし」という特異なキャラクターもあっただろうが、あの嬉しそうな顔は一生忘れられない。この人残酷なのか、クールなのか、優しいのか解らない。ただ「あの一言」で筆者はとても楽になった。
今思うと意図的だったと思う。やはり普通の人ではないのか。