※この記事は2014年10月15日にBLOGOSで公開されたものです

元朝日新聞記者が勤務する大学に脅迫状が届いた事件で、10月6日、政治学者の山口二郎・法政大学教授と中野晃一・上智大学教授が外国特派員協会で記者会見を開いた。なお、会見は英語で行われた。要旨は以下の通り。【翻訳:編集部】

(左から)山口二郎教授、中野晃一教授。 写真一覧

山口二郎氏の冒頭発言

現在、大学に退職を求める脅迫状が届いた植村隆氏だけでなく、その娘さんまでもがネット上で誹謗中傷などの被害を受けています。
私はこうした圧力によって植村氏が大学講師を退任させられることを危惧していますが、9月半ばには、札幌の市民たちが立ち上がり、植村氏を支持する運動を始めました。

この「負けるな北星!の会」には50人以上の学者、弁護士やジャーナリストが発起人として参加、北星学園大学の学問の自由を守るために立ち上がりました。私自身も北海道大学教授として仕事をしていたことがあるため、この運動に参加しました。

今日午後、国会議事堂にて記者会見を行いました。会見には朝日・毎日・読売等を含む50人以上の記者たちが集まりました。彼らもこの事件には同様の関心を持っており、学問の自由と言論の自由に対する危機だと主張しています。今日お集まりの海外メディアのみなさんにも、この危機を感じ取ってほしいと考えています。

学問や学者に対する圧力の歴史は1930年代に遡ります。多くのリベラル派学者が圧力をかけられ、日本のファシズムの歴史が始まりました。当時の構造は現在の状況と共通する部分があると思います。

北星学園大学が圧力に負けるようなことになれば、これは学問の自由や言論の自由を脅かす大きな問題になります。多くの人々、学者の協力が必要です。

私はこの問題を、日本社会における本質的に重要なものだと考えています。日本社会における言論の自由と学問の自由を守るため、我々は圧力に本気で立ち向かうべきだと考えています。

中野晃一氏の冒頭発言

山口先生が戦前の例を挙げ、ファシズムと今回の事件との類似性について述べて下さいましたが、私はより最近の事例を思い出しました。

小泉政権終了間際の2006年8月15日、小泉首相が靖国神社に参拝しました。それまでも靖国参拝自体は行っていたが、終戦記念日ではありませんでした。彼はおそらく首相としての役目を終える間際だったために、それまでよりも軽い気持ちで参拝したのだと思います。

しかしその夜、山形県内にある加藤紘一議員の家に火がつけられました。靖国参拝に批判的だった加藤氏へ抗議の意を込めて、右翼団体のメンバーが割腹自殺を図り、火をつけたのです。

特筆すべきなのは、当時安倍総理は内閣官房長官でしたが、小泉首相と共に、約2週間後までこの事件に一言も触れなかったことです。事件から13日後、今回の事件についてどう思うかという記者からの質問に対して小泉首相は「テロリズムに繋がる今回の件は当然非難するべきことだ」と答えました。しかし、「首相の靖国参拝がナショナリズムをあおっていると考えないか」との質問には、「それはない」と否定しました。

また、この事件に関連して、北海道新聞が取り上げた話も挙げられます。現閣僚である下村博文議員、山谷えり子議員も参加した保守派のシンポジウムで、稲田朋美議員(現自民党政調会長)が「加藤先生の家が丸焼けになった」と軽い口調で話題にし、会場が爆笑に包まれたという話です。

このような先例は、現在の状況の元となるものを説明する材料になるかと思います。

山口先生もおっしゃったように、市民社会が強い力を持って、右翼勢力が一線を越えないようにしなければならない。そのために政治家、ジャーナリスト、法曹などは立ち上がるべきです。言論の自由・学問の自由は日本社会にとって非常に重要なものであり、私たちは右翼団体の暴力やテロリズムに屈するわけにはいきません。
山口二郎教授。 写真一覧
―政治家や記者への誹謗中傷は昔からよくあることだと思うが、今回の事件は今までの事例と何が違っているのか。

山口氏:これらの運動は非常によく組織されたテロリズムだと感じます。同じく朝日新聞の元記者だった帝塚山学院大学の教授は、脅迫状を受け取った日に辞任しました。

植村氏は以前も神戸松蔭女子学院大学で嫌がらせを受けていおり、これらの動きには関連性があると思います。

右翼団体の運動は大学の意思決定にまで入り込もうとしています。これが今回の件における新たな動きであると言えると思います。

このような社会的圧力に慣れていないような、比較的規模の小さな大学を狙っていることも特徴として挙げられますし、だからこそ私たちは彼らを支援するべきなのです。

中野氏:昔からあることで特に新しいことではない、という見方も確かにできますが、一方で、このような攻撃は以前は個人的なものだったということです。

山口先生や私自身、また恐らくこの会場にいらっしゃる記者の方々は、不快なメール等を受け取った経験が少なからずあるでしょう。

今回の件で非常に特徴的なのは、被害が大学や学生にまで拡大していることだ。

植村氏の娘さんも実名と顔写真が晒され、自殺をするよう圧力をかけるような言葉も投稿されています。

これらの行動は問題に関わっている記者や学者だけを標的にしているのではなく、本来独立して自由な決定を行えるべき大学の意思決定等にまで影響を及ぼしていると思います。

―安倍総理は朝日新聞が国のイメージを損ねたという主張をしているが、この一連のテロリズムが政府によって操作されている可能性、このような運動をしても良いという示唆があった可能性はないのか。また政府の役割についてどう考えているか。

山口氏:政府と右翼団体の活動の関係性については、何ら証拠が無いため何とも言えません。

ただ言えることは、安倍政権や他の政治家の見方が、右翼団体の攻撃を助長することになったかも知れないということです。

中野氏:政府は右翼団体の活動に対し、今よりももっと強く、はっきりと非難すべきです。

実際に、菅義偉官房長官が記者会見でこの活動に対して非難しているが、それでもまだ十分でないと感じています。記者に問われるのを待たず、自ら非難する必要があります。

また、このことはヘイトスピーチにも関連します。レイシストや歴史修正主義者と、力を持つ政府高官との関係性が疑われていることとも関係があります。先日この場所で行われた山谷氏の記者会見も記憶に新しいと思います。

たとえ政府が右翼団体を動かしているということが無いにしても、ヘイトクライムに対してしっかりとコントロールする力を持つ必要があると思います。

前述したように、朝日新聞は政府のPR活動にとっても特別な存在だということです。都合の悪いメディアからこのような結果を引き出すようなテクニックは、インターネットにおける匿名の脅迫と似ています。従って、政府が間接的に朝日新聞への批判を助長しているという見方は行き過ぎではないのではないかと考えます。

―答えにくい質問だと思うが、この事件の背後にいるのは誰だと思うか。

山口氏:多くの日本人は、人権を尊重していますが、これらの問題に対し声を挙げ、行動を起こすほどには勇敢ではありません。

右翼が攻撃しているのは、社会の中で弱い、少数派の人々です。

朝日新聞は確かに間違った情報を流したとは言えますが、朝日を攻撃している人達は、そのミスを非常に誇大視しており、それにより慰安婦問題全体の認識を変えようとしているのだと思います。

多くの人々は問題の全体像を掴めるほどに十分な情報を入手するわけではないので、結局はイメージで"信用できない"と判断してしまいます。小さな問題を誇張する方法というのは、世論を作り出すのに非常に効果的だと言えます。



中野氏:「誰が背後にいるのか」という質問にお答えするには、歴史修正主義の傾向と慰安婦問題についての歴史を遡って考えなければならないでしょう。

ご存知のように、1991年、韓国で元慰安婦を名乗る女性がテレビに出演した。これをきっかけに日本政府が慰安婦問題についての調査を開始します。

そして河野談話が出された93年には、安倍総理は衆議院議員に初当選していますが、自民党は政権を失っている。「日本を取り戻す」というキャッチフレーズも、この文脈を知るとよく理解できると思います。
その後95年には、社会党との連立政権で村山談話が出ました。安倍総理のような歴史修正主義者にとって、許されない、忘れられないものです。

96年には、歴史修正主義者による「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書ができました。また、97年には現内閣の多くの閣僚が参加する「日本会議」が設立されました。同年、中川昭一氏が会長の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」という議員連盟が設立され、安倍総理は事務局長に就任しました。

90年代後半のこうした反動、10年以上にわたる彼らのロビー活動もあり、97年当時には慰安婦問題は中学校の教科書全てに記述されていましたが、慰安婦に関する記述は歴史教科書から消え、今から2年前、2012年には脚注からも無くなりました。

つまり、総理や閣僚の大部分を占めるような歴史修正主義者による反動が15年前から起きており、はじめから慰安婦問題について学習してない状態の人が増えていて、社会全体が鈍感になってきていると思います。

東京に10年以上住んでいる方ならわかるでしょうが、10年前は現在ほど電車の中吊り広告が不快なものではありませんでした。最近は嫌韓、嫌中の広告、週刊文春・週刊新潮のような、朝日を批判する文言の広告だらけで非常に不快です。日本人は毎日このような状況にさらされています。ドイツではあり得ないことだと思ういます。有名で、信用できるような新聞社や出版社がこのようなことを言うのは考えられないでしょう。しかし、これが現状です。

山口氏:もう一つ付け加えます。政府はメディアや大学に直接働きかけることはできませんが、問題となるのは、社会的な圧力です。この圧力と戦えるたった一つの武器は、自由の独立性を保つために働きかける力と勇気です。

しかし、ご存知のように、日本には「空気を読む」という文化があります。中野先生がおっしゃったように、現在の日本には隣国に対して強い嫌悪感を示すような空気があります。そして大学や、メディアが制度的には自由を持っているとしても、自主的に抑えてしまうような状況に陥っています。

―大学に対する攻撃や、植村氏の娘に対する誹謗中傷などは、単純に法律に反しているはずだ。 本気で警察が動けば、人物を特定し逮捕することは簡単なことのはずだろう。法律に反しているならば、警察がやるべきことは非常にシンプルで、犯人を逮捕するべきだ。しかしそうではないのは、警察が本気で動いていないようにしか思えない。本気でやったら出来るはずのことを警察がやらないのは、政治的な理由があるからではないのか。

山口氏:私の考えでは、特に政治的な思惑が背景にあるとは思われない。ただ犯人を特定することが出来ていないだけかと思います。
もちろん大学も警察に対し情報を公開し捜査を進めているので、確かに彼らが本気でやっているように見えないのは理解できます。ただ、このことに関して直接的な政治的な指示があるとは思いません。

恐らく、地方の警察はこの問題にあまり興味を持っていないのではないでしょうか。この小さな大学、もしくは慰安婦問題に関する記事を書いた元記者一人に対して同情の心や共感を持っていないようには感じられます。

中野氏:この事件は、ヘイトクライムと同様に政治的な犯罪と言えることも関係していると思います。
そして、警察に対してこの問題の重要性を理解させることはとても重要です。この問題に内包された政治的な重要性を理解しない限り、死者等が出ていない今の状況だと、警察が力を発揮するのは難しいということでしょう。

警察組織は、やはり警視庁が最も大きく、それに比較すると大阪府警や北海道警の規模は小さい。問題を起こしている人達は地方にも散らばっている。そのため、警察自身が動き出すモチベーションを持つために、まずはこの問題がいかに重要かを理解することは非常に大事なことです。

また、山谷国家公安委員長は在特会関係者と10年以上にわたる関係があると言われているが、説明がされていません。

―私には、慰安婦問題も含め、何故日本のリベラルな歴史学者がこの問題に対して立ち上がらなかったのかが理解できません。大学が脅迫を受けているなどの事情があるからでしょうか。

山口氏:近代史を専攻する歴史学者たちは、随分前から朝日に対する攻撃という意味ではなく、吉田証言の虚偽性について、慰安婦問題に関することについて多くの文献、記事を岩波書店の「世界」でなどで発表し、正しい理解を促すよう活動してきました。そのため、今回の事件については彼らにとって緊急性は特に無く、すぐに立ち上がる必要はないと考えているのではないかと思います。

中野氏:個人的な見解ですが、歴史研究の視点から見て吉田証言はその問題の根本となるものでした。河野談話の元であっただけでなく、おっしゃったようなリベラルで批判的な学者は以前から吉田証言を信用していませんでした。間違いがあると指摘していました。歴史研究の視点で見ると、今回の朝日の件は新たなニュースでは全くなかったと言えます。そもそも、高度に政治的な問題であると考えたのだと思います。

慰安婦問題が専門の吉見義明氏や林博史氏もずっと前から吉田証言の間違いを認識しており、今回それをもう一度行うことに社会的なインパクトは特に無いと判断したのではないでしょうか。

しかし、世の中における慰安婦問題は非常に政治的な問題が絡んでおり、もはや単純に歴史研究の問題ではありませんでした。そのため学者にとって違う世界の出来事でした。

ただ、このことは同時にそれは問題だとも思います。歴史研究に携わらない歴史修正主義者は好き放題に言います。彼らはこれはメディア・キャンペーンだということは理解しており、プロパガンダとして利用しているのです。

ポピュラー化されたマンガ、インターネットなどの場にまともな歴史学者は出てきません。例えば小林よしのり氏に本気で対抗しようとは思わないわけです。

歴史学者は、そのような倫理も無く、まともな議論も無いような場所に出てくるのは馬鹿馬鹿しいとして考えていて、その気持ちは私も非常に分かりますが、逆にそこが学者の発言力の弱さ、弱みとも言えると思います。

―お二人とも、先程1930年代の右翼団体の活動と現在の問題を比較して下さいましたが、現在の右翼は30年代に比べてもっと組織化され強力になっているに感じますがどうでしょうか。

中野氏:現代の状況と30年代の状況を比較するのは非常に難しいですが、右翼の戦術としてのメディア・キャンペーンは昔も今も変わらないかと思います。

私の所属する上智大学はイエズス会が設立母体ですが、1932年に起きた「上智大生靖国神社参拝拒否事件」では非常に悪名高い大学として認識されたことがありました。

当時の上智大学は男子校で、カリキュラムには「学校教練」があり、これを受ける代わりに、大学卒業後は幹部候補生になれた。上智のある四谷と靖国神社のある九段は近く、配属された陸軍将校は生徒を集めて靖国神社の遊就館へ向かいました。

配属将校の北原一視大佐が参拝をするように生徒に伝えると、ご存知のように上智大学はカトリックの大学です。そのため中には教えを守り、参拝するわけにはいかないと断る生徒もいました。その時はそれで話は終わったのですが、数ヶ月後、このエピソードが新聞などメディアによって拡散、軍も利用しました。これにより上智大学は大きな被害を受けることになりました。大学が破産したり、卒業生は戦没者を敬わない非国民というレッテルを貼られ、就職先も見つからないという状況になりかねませんでした。そしてこの状況に屈した上智大学は生徒全員を靖国参拝に連れていくという方法をとりました。

このエピソードは、軍と宗教団体(カトリック教会)が軍の圧力に屈し結果的に軍の方針に従うことになったエピソードの一つです。

もちろん、現在はこのような事態にまでは発展していませんが、ただ右翼が圧力によって大学の意思決定を左右しようとしている意味では同様だと言えます。市民の民主主義、言論の自由を守るためにも今の段階でこの流れを止めなくてはなりません。

山口氏:日本は確かに民主制で民主主義があり自由主義の国ではありますが、社会的な圧力は実際に存在します。戦前には、大学や新聞は右翼団体の活動に対し大きな譲歩を重ねてきました。この状況が、今私達がいる状況に非常に似通っているという意味で30年代のことを引用しました。

―中野さんが、先程、歴史研究の視点から見ると吉田証言はずっと前から疑わしかったと言う旨を述べていらっしゃいましたが、国際的な視点から見てその点について疑問があります。そもそも日本でもこんなに吉田証言が信じられているのですから、ずっと疑われていた、というのは世間的に当てはまらないのではないでしょうか。

中野氏:今回の件には、様々な思惑が合わさっていると思います。吉田証言の虚偽性に注目させ、朝日新聞が自ら誤りを確認したということを受けて、そもそも慰安婦の問題自体が妥当性に欠けることを示したいという政府の戦略もあると思います。ここに安倍政権による河野談話の検証、見直しも関わっていますが、安倍総理は米国が河野談話の改訂を許さないことも分かっています。そのため、河野談話の中に疑わしい部分がある、と匂わせる方法をとっています。

この観点で言うと、安倍総理が表面的にしか河野談話を引用しないことが分かります。"彼は改訂などしない"、と主張していますが、裏ではこの談話を信用していません。

外務省のウェブサイトにも掲載されているが、河野談話の最後から2番めの段落にはこう書いてあります。
We shall face squarely the historical facts as described above instead of evading them, and take them to heart as lessons of history. We hereby reiterate our firm determination never to repeat the same mistake by forever engraving such issues in our memories through the study and teaching of history.

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

・Statement by the Chief Cabinet Secretary Yohei Kono on the result of the study on the issue of "comfort women"
・慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
前述した通り、安倍総理は教科書から慰安婦問題を削除することに成功した人物です。そして、現在、安倍総理は教科書の検閲に関して新たな基準を導入しようとしています。直接的に慰安婦問題についてだけではなく、領土問題等についても政府が検閲を行い、参照するべき情報を提示するようにしようとしています。政府は歴史を教える責任があるとしておきながら、それを放棄しているのです。