【5周年企画】2011年下半期、相次いだ閣僚の舌禍事件【BLOGOSで振り返る日本の政治・社会】 - BLOGOS編集部
※この記事は2014年10月07日にBLOGOSで公開されたものです
※10月5日でBLOGOSはサイトオープンから5周年を迎えます。本シリーズでは、2009年から現在までの政治、社会の動きをBLOGOS上で当時話題を集めたエントリと共に振り返っていきます。(BLOGOS編集部)2011年後半は閣僚の舌禍事件が目立つ半期となった。7月には、復興担当大臣になったばかりの松本龍氏が宮城県庁を訪れた際に、村井嘉浩・宮城県知事が出迎えなかったことに怒りを爆発させた上で、「最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん。書いたらその社は終わりですからね」などと述べた。
こうしたオフレコ発言が原因の辞職は相次いだ。9月に野田内閣の鉢呂吉雄経産相が「死の街」「放射能つけちゃうぞ」などの発言をしたとメディアから糾弾され辞任。11月には、防衛省の田中聡・沖縄防衛局長と記者団との非公式な懇談会の場での発言がきっかけで辞任に追い込まれている。鉢呂氏の辞任会見の際の記者との生々しいやり取りが当時の記事に残っている。
―大臣は一連の発言といいますが、具体的には何を反省してやめるのか?一方で、民主党執行部との対立が深刻化したことに伴い、菅総理は辞任。野田佳彦氏が総理大臣に就任することとなった。野田氏は、当時の決意を以下のように語っていた。
一つは、昨日の記者会見での「死の町」とした表現についてであります。このことは午後の記者会見で陳謝お詫びしたところであります。
また、視察後に被災地に行ったあとの非公式の記者との懇談の中で、全体としては真面目で真剣な報告をしたと思いますが、その中で不信を抱かせるような言動があったということであります。
―理由くらい説明しなさいよ!
私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでありまして、定かな記憶もありませんので。
―最後くらい説明を!
そういう風に、国民の皆さん、福島の皆さんに不信の念を抱かせたと……。
―何を言って不信を抱かせたか説明しろって言ってんだよ!
ですから、今話したとおりであります。「説明しろって言ってんだよ!」「君はどこの記者だ!」鉢呂氏の辞任会見が大荒れに
「国民の生活が第一」という民主党の理念を大切にし、日本の底力であった中産階級の厚みを取り戻すために、野党の皆さんとも誠意をもって協議し、見合いの財源の確保等、課題を一つ一つ乗り越えながら、粘り強く努力していきます。政治以外の話題に目を向けてみると、この時期には島田紳助氏の芸能界引退会見、オリンパスの巨額粉飾決算、読売巨人軍における“清武の乱”など、今振り返ってみてもインパクトの大きい事件が頻発した半年間だった。日本のために
■5周年企画・BLOGOSで振り返る日本の政治・社会
・2009年下半期、民主党・鳩山由紀夫政権の誕生
・2010年上半期、小沢・鳩山のダブル辞任で菅直人政権が発足
・2010年下半期、ネットの影響力が現実社会に波及した尖閣衝突映像流出事件
・2011年上半期、3.11の発生と東京都知事選