『ドライブ・マイ・カー』濱口監督、オスカー関連イベント出席 現地の観客から拍手も
現地時間24日夜、アカデミー賞の候補者たちを集めて毎年開催されている「オスカー・ウィーク・イベント」の国際長編映画部門シンポジウムが、米ビバリーヒルズにある映画芸術科学アカデミー(A.M.P.A.S.)本部で開催された。今年は作品賞を含む4部門でノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』の他、長編アニメ映画と長編ドキュメンタリー部門でもノミネートされているデンマーク映画『FLEE フリー』、昨年のカンヌ国際映画祭で女優賞を獲得した『わたしは最悪。』など話題作が集まったこともあり、チケットは即完売。映画ファンの注目度の高さは例年以上となった。『ドライブ・マイ・カー』からは濱口竜介監督が出席。会場には、脚本家の大江崇允 、プロデューサーの山本晃久も駆けつけた。
イベントの冒頭、これまでずっと自分の映画について語ってきた候補者たちに、他の監督の作品を語ってもらおうというユニークな提案がされ、『The Hand of God』のベテラン監督パオロ・ソレンティーノが、『ドライブ・マイ・カー』について語る一幕が。ソレンティーノ監督は、数々の映画賞を独占中の濱口監督に向かって、いきなり「この人はすべての監督にとって悪夢だ」と切り出すと、「彼が映画を作らない時に、僕たちが映画を作ることが重要だ。いかにして深みある映画を作るのかについて、彼は素晴らしい見本だから」とイタリア人らしいユーモアで称賛の言葉を述べ、会場を笑いに包んだ。
司会者から『ドライブ・マイ・カー』の中心となるテーマについて聞かれた濱口監督は、「映画を作っている時はテーマのことはあまり考えないです。キャラクターがどうやって問題をくぐり抜けるかということは考えますが」と回答。そして世界中の映画ファンの反応から学んだことを語る。「今(この作品が)こうしていろんな国に届いたことで、これが喪失についての話だったのかと、後から気づいたりしているんです。自分の映画だけではなく、ここにある全ての映画が、故郷だとか最愛の人だとか、なにかしらの喪失、また、そこから生きていくことを語っているように思いますし、そういうものを語る映画が今、とても多くの観客に響いているんだなと強く感じています」
また「この作品は喪失についての映画だが、それぞれのシーンの底流に、ユーモアがあるように感じられる」と評された濱口監督は、素直に「そう感じてくれたらとても嬉しいです。あまりユーモアがない作品だと思われがちなので」と笑顔で応じていた。
実に映画館向けの作品といえる『ドライブ・マイ・カー』。一方、多くの観客が配信等で映画を観ている現実について聞かれた濱口監督は、今回、ノミネート作品の映像をスクリーンで観る機会に恵まれたことに触れ、「やっぱり観て、劇場っていいなと思ったのが正直な気持ちです。それは集中力がある(出る)からだと思います」と語ると、会場から大きな拍手が。さらに濱口監督は、映画にとって観客を集中させることは最も重要だが、この集中力に立ち向かうのは非常に怖いことでもあると続けた。「現場で見落としてしまったものを、集中力をもった観客には見破られてしまう。ここがウソだとか、間違っているとなって。その集中に応えられるように、映画を作らないといけないと思っています」
イベントの最後は、同部門ならではといえる、字幕についての話題に。アメリカでは、字幕がバリアー(障害)と見られる傾向があることに関して、濱口監督は興味深い意見を述べる。「僕は、字幕はバリアーではなくブリッジ(橋)だと思っています。アメリカ映画を子供の頃から字幕で観ているし、それが障害だと思ったことはありません。素晴らしい映画を僕らに届けてくれるブリッジなんです。字幕があることで、俳優の素晴らしい声がそのまま聞けるのは、素晴らしいことだと思います。姿・形が全く違って見えても同じ人間なんだというのを、(字幕のおかげで)簡単に信じることができます。字幕文化を育ててきたというのは、映画が他の文化に誇れることだと思います」と締めくくった濱口監督に、会場から再び大きな拍手が送られた。
先日、第75回英国アカデミー賞(BAFTA)で非英語作品賞を受賞し、ハリウッドの業界誌でも、国際長編映画賞での受賞が確実視されている『ドライブ・マイ・カー』。日本映画として『おくりびと』以来、13年ぶりの受賞となるか、あと数日に迫った本番が大いに楽しみになってきた。(取材・文:吉川優子/細谷佳史・Yuko Yoshikawa / Yoshifumi Hosoya)