UFCからプロレスに復帰後、朱里が直面した最愛の母の死。そこで「人生を賭けてプロレスをやる」と誓った
■『今こそ女子プロレス!』vol.4
「モノが違う女」朱里インタビュー・中編
(前編:孤独な日々の先に辿り着いた「リング」という輝ける場所>>)
昨年12月、ワールド・オブ・スターダム王座(通称"赤いベルト")の王者となった朱里。前編に続いて『女の答えはリングにある』(イースト・プレス)に収録した彼女のインタビューより、女手ひとつで育ててくれた最愛の母との別れ、そこで誓った決意などを紹介する。
プロレスだけでなく、UFCなど格闘技でも活躍した朱里
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朱里曰く、自身は「抑えがきかない練習野郎」だった。1日の練習は筋トレを2時間、ジム練習を3時間。出稽古に行くこともあったため、3〜6時間は格闘技の練習をし、加えてプロレスの練習がある日もある。プロレスの試合の日は終わってからジムに直行。そんな生活を週7日続けた。
「本当は休んだほうがいいんですよ。でも、そのくらい必死だった。舐めんじゃねえと。プロレスの横断幕にも『舐めんじゃねえ』って入れてもらっていた時期があるくらい、舐められるのが大嫌いでしたね」
2014年3月、初代Krush女子王座チャンピオンに輝いた。キックボクシングで13勝1敗という輝かしい戦績を残し、総合格闘技に転向する。
「KrushとK-1は同じ母体なんですけど、記者の人たちの前で『今度はK-1に出たい』って言ったら、代表に『出たいって言わないでほしい』と言われたんですよ。わたしでは盛り上がらないと思ったのか......。悔しかったですね。次はどこを目指せばいいのかわからなくなりました。自分は目標を立てないとできない性格なので、Krushで3回防衛して次にどうしようか悩んでいた時、UFCの動画を見て『すごい! ここだ! ここに行くしかない!』と思ったんです」
「ここに行くしかない」と思って、本当にUFCに行ってしまうのが朱里のすごさだ。2016年1月、パンクラスと複数試合契約を結び、翌年5月、ストロー級クィーン・オブ・パンクラス王座を獲得。そして7月、UFCとの契約を発表した。9月にはUFC初参戦で勝利し、UFCにおける日本人女子ファイター初勝利となった。
「デビューしたての頃は『行けるわけないだろ』って思われていたと思うんですよ。ここでも、舐めんじゃねえっていう気持ち、絶対やってやるっていう気持ち、1回の負けが命取りだという気持ちで、勝っていくしかないと思った。パンクラスのベルトを獲った時にタイミングよく声を掛けていただいて、世界最高峰のUFCと契約することができたのはものすごく嬉しかったです。でもやっぱり、それだけで生活はできなかったです」
ジムやコーディネーターにパーセンテージを支払い、貯金を切り崩しながら生活した。それでもアメリカにおけるUFCの規模の大きさと、選手へのリスペクトは予想以上で、「ここまできたか」と感動した。
UFCと契約している間、プロレスの試合に出ることはできなかった。2年で4試合の契約。その間は格闘技に集中した。プロレスができない環境だったからこそ、プロレスをやりたい気持ちが高まった。
こっそり観戦に行ったりもした。客席に座ってみて、プロレスのすごさを再認識した。選手が全身で思いを伝えると、観客はそれをしっかりと感じ取る。プロレスはすごい力を持っているのだと思った。
UFCとの契約を終え、2019年8月、MAKAIの所属となりプロレス復帰。翌年1月にスターダムに参戦する。プロレスと格闘技を両立して結果を出してもなかなか注目されない。頑張っても頑張っても、メディアは自分を取り上げてくれない。しかしスターダムのリングに上がると、次第にメディアに注目されることが多くなった。純粋に嬉しかった。ようやく日の目を見る時が来た――。
2月にはジュリアとの新ユニット「ドンナ・デル・モンド」のメンバーとして、アーティスト・オブ・スターダム王座を獲得。10月3日、岩谷麻優が持つワールド・オブ・スターダム王座のベルトに挑戦することになった。すべてが順風満帆に思えた。しかしタイトル戦直前の9月5日、最愛の母が死去する。
SMASHで華名と抗争を繰り広げていた時、朱里は記者会見でこう言ったことがある。「SMASHのDIVAのベルトを獲り、もっともっと有名になって、お金を稼いで、母に恩返しがしたい。それが、わたしの信念です」――。
わたしが「話しにくいと思うのですが......」と言うと、「大丈夫です」と言いながら彼女はワンワンと泣き出した。人がこんなに泣くのを、わたしはこれまで見たことがなかった。
朱里の母は、2020年5月に突然倒れた。朱里は東京、母は神奈川に住んでいたが、夜11時頃「吐き気が止まらない」という電話が掛かってきた。母の元へ駆けつけると、嘔吐が止まらない状態。すぐに病院へ連れて行った。
朝まで付き添って、翌日、試合会場へ向かった。スターライト・キッドとのシングルマッチ。こんな時でも、プロとして試合をこなさなければならない。「このままお母さんの容態がよくならなかったらどうしよう」――不安を抱えながら試合をした。
母の病気は子宮頸がんだった。入院すると、いつも強がっている母が「怖い、死にたくない、やりたいことがいっぱいある」と朱里に訴えた。東京から1時間半かかる病院だったが、余程心細かったのだろう。「毎日来てほしい」と嘆願された。しかし試合で忙しく、コロナ禍で面会も制限されていた。
「寂しい思いをさせたんじゃないかっていうのは、今でも思います」
朱里が多忙なことを察した母は弱音を吐かなくなったが、いつも「怖い、怖い」と言っていると看護師から聞いた。そんな時、容態が悪化。突然、腎臓が悪くなり、尿が出ないためカテーテルを入れる手術をした。手術はうまくいかず、背中から管を通して尿を出す手術もした。どんどん、どんどん、悪くなっていく。モルヒネを打つと母は"よくわからない感じ"になり、「死にたくない、死にたくない」と繰り返した。朱里は「自分が代わってあげたい......」と思った。
ある日、看護師に「もう危ない状態だから、泊まってあげていいよ」と言われた。母と一緒にいたかった。しかし病院に来た兄が朱里の憔悴しきった顔を見て、「明日も試合なんだから、今日は帰りな」と言った。心身ともに疲れ果てていた彼女は、その晩、兄の家に泊まることにした。帰り際、母は「行っちゃうの?」と目で訴えているように見えた。
翌朝、母は息を引き取った。
「なんでいてあげなかったんだろうってすごく思ったし、なにもできなかった自分に本当に苛立ちました。自分にとってお母さんは、すごく偉大で、大好きで、尊敬する存在だった。本当につらかったです」
インタビュー中に涙する場面も
翌月、岩谷麻優とタイトルマッチを行なった。結果は残せなかった。
わたしが「恩返しはできたと思う」と言うと、「そう思ってくれていたらいいなって思います。お母さんに『産んでよかった』と思ってもらえる存在でありたいとすごく思う」と言い、彼女はまたワンワン泣いた。
母が亡くなって、自分にはフィリピンの血が混ざっているということをあらためて意識するようになった。フィリピン人の母を誇りに思い、母の母国を自分も愛したい。試合後のマイクやSNSでタガログ語を使うようになった。好きな言葉は「マラミン・サラマポ」。とてもありがとう、という意味だ。
11月1日付で、スターダムの所属選手となる。記者会見では「スターダムの内部に入って、一からベルトを獲りにいく」と力強く語った。
「人生を賭けて、プロレスをやるって決めたんです。スターダムに入って、注目されて、輝きたい。その姿を、応援してくれる人やお母さんに見せたいし、何より自分自身のために......。プロレスを13年やってきて、今まで悔しい思いとか、嫉妬心とか、表には出さなかったけどたくさんありました。でもスターダムに入ったら、自分は変われるんじゃないか、輝けるんじゃないかと思ったし、『そうなってやる』という気持ちが強いです」
翌年6月12日、大田区総合体育館で再びワールド・オブ・スターダム王座のベルト、通称"赤いベルト"に挑戦した。チャンピオンの林下詩美は大会直前のインタビューで「感情を出すのが苦手」と話していたが、大会が始まってみるとこれでもかと感情剝き出しのファイトを見せた。そんな林下を引き出したのは、他でもない、朱里だ。
「感情を出せよって思いますね。自分はリングで朱里としての生き様を見せたいと思っています。思いとかそういうものって、出さないと伝わらないんですよ。リング外では自分もいま悩んでいる部分ではあるんですけど、言葉の力って強いじゃないですか。だから発言などが大切だなとすごく思っています」
言葉にするのは苦手。しかし、なんとか人に伝えるために、ミュージカルや舞台、落語や絵画を見て勉強している。さまざまなところにヒントは転がっているのではないかと考えている。
2021年4月より、ジュリアとのタッグチーム名を「アルト・リヴェッロ・カバリワン」(通称アリカバ)と命名。「美しき狂気」と呼ばれるジュリアと、「モノが違う女」と呼ばれる朱里。それぞれのルーツから、イタリア語とタガログ語を組み合わせて「モノが違う狂気」という意味を持つ。
「ジュリアちゃんはすごいですよ。とにかく深く考えている。見せ方もすごくて、ずば抜けてますね。言葉も巧くて、みんなが注目したいと思うような発言をしているし、自分も勉強させてもらっています」
ジュリアとは「似ている部分もあるけど全然違う2人」と話す。生きてきた道も違うし、経験してきたものも違う。しかしジュリアも朱里も、それぞれ面白い人生を歩んできた。その2人が組んだら想像を遥かに超えたものになるのではと、朱里は考えている。
次にスターダム最高峰の赤いベルトに挑戦する時には、今度こそベルトを掴み獲り、チャンピオンとして見ている人の心に残る試合がしたい。
今、どんな思いでプロレスと向き合っているのだろうか。
「自分の思い描いている世界観を出したい。そのためにはどうすればいいか、毎日毎日、悩み、考えています」
(後編:「今のプロレス=危険すぎる」の批判は「簡単に言ってほしくない」>>)
【プロフィール】
■朱里(しゅり)
1989年2月8日、神奈川県海老名市生まれ。164cm、58kg。日本人の父とフィリピン人の母を持つ。2008年10月26日、ハッスル栃木大会でプロレスデビュー。翌年12月、SMASH旗揚げに参加。2012年1月、Krush.15でキックボクシング初参戦。2014年3月、初代Krush女子王座チャンピオンに輝く。2016年1月、パンクラスと複数試合契約を結び、翌年5月、ストロー級クィーン・オブ・パンクラス王座を獲得。7月、UFCとの契約を発表。2019年1月、MAKAIにてプロレス復帰。2020年11月、スターダム所属となる。2021年12月29日、林下詩美の持つワールド・オブ・スターダム王座に挑戦し、第14代王者となった。Twitter:@syuri_wv3s