「なぜ格闘ゲームにはコマンド操作があるのか?」世代間の“情報格差”の真の原因を探る

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「高齢者はスマホが使えない」と紋切り型に言ってしまうのは偏見だが、ある一定より上の世代の人がスマホの扱い方に苦慮する……というのは頻繁に見かける光景だ。

そこには「概念の壁」というものが存在する。

以下の言葉は、自動車メーカーのフォードの創業者ヘンリー・フォードの発言と伝えられている。

「もしも私がユーザーに“どのような乗り物が欲しいか?”と質問していたら、彼らは“より速い馬が欲しい”と答えていただろう」

即ち、自動車が一般社会に定着する前は「人が作った機械に乗って長距離を迅速に移動する」という概念自体がなかったのだ。概念のない者にいくら自動車の有用性を唱えても時間を空費するだけだろうし、また自動車の運転の仕方を教えても覚えられない。

2019年から静岡市の公営施設で「スマホアプリの使い方講座」を開催している筆者は、幾度となくそのような「概念格差」を目の当たりにしている。そしてその最たるものは、「ボタン操作の概念格差」である。

自分のスマホに触らない受講者

画像:mrmohock/Shutterstock

先日、筆者は静岡市営のとある施設で「PayPayの使い方講座」を実施した。

キャッシュレス決済について教える講座は、実は新型コロナウイルスがこの世に現れる前から開いている。が、その当時は殆ど関心を持たれなかった。中には受講者が僅か1名ということもあった。しかし新型コロナがキャッシュレス決済の重要性を際立たせ、筆者の講座にも毎回多くの人が訪れるようになった。ちなみに、参加費は無料である。

ところが、嬉しいことばかりではない。

先日の講座でも、こんなことがあった。これから筆者が行うのはPayPayの使い方と、PayPayの普及がもたらす効果についての講座である。にもかかわらず、受講者の中にはスマホに予めPayPayのアプリをインストールしていないという人も。その人は講座が終わるまで、徹頭徹尾自分のスマホに触らなかった。ひたすらノートを取るのみである。

目の前にスマホがあり、自分は今PayPayというアプリについて学んでいる。ならば自分の手でPayPayのアプリを開いたほうが手っ取り早いし、筆者もそのように促した。しかし、この受講者が真剣に見つめていたのは真っ白な紙のノートだった。

こういうタイプの受講者は(筆者よりもだいぶ年上だ)、もちろんこの人が初めてではない。

自分の手で新しいアプリをインストールすることができない……というより、最初からしようとしないのだ。

自分でアプリをインストールしない

その受講者の立場から見れば、とりあえず講師(即ち筆者)にアプリのインストールを含む初期設定をしてもらい、「自分が使える段階」まで持っていくということである。テレビを購入した後、業者にそれを自宅まで配送してもらい配線の接続までしてもらう感覚とまったく同じだ。

「自分が求めているアプリを能動的に探す」という、現代のスマホユーザーが常識として持っているはずの概念がその受講者にはまったくない。

故に、たとえばPayPayの次はLINE、次はメルカリ、次はAmazon Musicのアプリをインストール……という段になると、その度に「LINEのアプリってどうやってダウンロードするの?」と質問する。どのアプリでも、それをインストールする手順はまったく一緒ということは知らないし、新しい知識を教わる前に「難しいことは先生にやってもらおう」という結論に達してしまう。

「あれやって、これやって」は、一度それを叶えてあげると必ず次が来る。その上、スマホを他人に見せる行為はセキュリティーの問題もある。故に筆者は、講座の際は「自分のスマホを他人に見せるのは禁止」というルールを設けている。

「ボタンはワンタッチ」から進化できない

画像:photohasan/Shutterstock

なぜ、受講者は自分でスマホを操作する前に他人である筆者にそれを委ねてしまうのか。

この部分を考察した時、スマホを自由自在に使いこなせない人は「スマホの操作が面倒と考えている」ということに筆者は気がついた。

ある一定より上の世代の人にとって、ボタンは「ワンタッチ操作が基本」である。たとえばエレベーターのボタンは、「3」と書かれていればそれは3階へ行く機能しか内蔵されていない。1回押そうが複数回押そうが、そのボタンに与えられている役目はたったひとつ。

しかし、現代のスマホやPCは「ボタンの押し方を変えて別の機能を呼び出す」設計になっている。タップ、スワイプ、フリック、ドロップ、そしてPCのダブルクリックなどもそれに当てはまる。また、PCの複数のキーを押して特定の操作を実行するということもできる。

それができるかそうでないかは、「概念」の有無に起因する。

スマホが難しいと感じる人は、こう考えている。

「どうしてスマホの操作はこんなに複雑で面倒臭いんだ。ワンタッチでできないのか!?」

テレビのリモコンは、基本的にワンタッチかそれに近い動作で完結できる。「1」と書かれているボタンを1回押せばNHKにつながる。それ以外の機能はない。だからスマホもPCもそうであるべきだ……と考える人すらいる。

そのように首を捻る受講者に対して、筆者はいつも「格闘技を題材にしたコンピューターゲーム」の話をしている。

なぜ、格闘ゲームには「コマンド操作」があるのか?

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1984年稼働の『空手道』というアーケードゲームがあった。
これはタイトル通り、空手を題材にしたゲームだ。プレイヤーは2本のレバーで空手家を操作する。左のレバーは移動、右のレバーは攻撃に割り振られている。

しかし、現実の空手にはいくつもの技がある。それらをゲーム内で再現するとしたら、どのような操作機構にすればいいのか? 飛び蹴りなら飛び蹴り専用のボタンを設けるのか?

子供の頃からゲームに親しんでいる人は、1動作1機能の概念のボタンでは多数に及ぶ空手の技に操作が追いつかないということを容易に想像できる。いくつもレバーやボタンを増やすわけにはいかない。故に空手道は左右のレバーの動きを組み合わせる、今で言う「コマンド操作」を導入した。

情報格差の内側にいる人々は、「ボタンはワンタッチではないほうがより多機能を実現できる」ということを肌感覚で知っている。しかし、格差の外側の人々は「ボタンはワンタッチが当たり前」と考えている。

筆者はこれを「概念の壁」と勝手に呼んでいる。

デジタル機器を操作するための「手書き」

この「概念の壁」を超えないまま、受講者にアプリの使い方だけを教えたらどうなるか。

スマホの画面は、タップひとつで先ほどまでとはまったく異なるページに移ってしまう。その度に新しい機能を帯びたボタンが登場し、スマホの持ち主に何かしらの操作を要求する。これらの操作の全てを紙のノートに書き留めようと努力しても、案の定高確率で挫折する。手書きで書き切れるだけの情報量ではないからだ。

また、アプリやOSにはアップデートというものがある。これでレイアウトが変更されることもしばしばある。アップデートを実行した瞬間、ノートに書いたことはまったくの無駄な知識と化す。が、受講者には「アップデートの概念」もない。デジタル機器の講座に来ているのに、結局は紙に依存しているのだ。

それではここに来てもらっている意味がない。だからスマホを触ってくださいと筆者が嘆願しても、「まだ使い方が分からないから」と言われてスマホを差し出される。「先生が操作して」と。あとはひたすら堂々巡りである。「概念がない」ということは、このような現象を引き起こしてしまうのだ。

情報格差は世代間の断絶を生み出す

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我々の国に横たわる情報格差の是正を本気で思案するのなら、ここまで説明した「概念の壁」は避けて通れない問題である。

情報格差は、それ自体が世代間の意識格差や経済格差にも直結してしまう。テレワークに難なく対応できる人とそうでない人の間には大きな落差が存在し、それが分断をも生み出すことはパンデミックを経験した我々はよく心得ているはずだ。

無論、この問題は1日2日で解決できることでもない。何しろ「現代のボタン操作の概念」を知らない人は、ファミコンのコントローラーすら触ったことのない人が殆どである。だからこそ、講座の受講者を情報格差の内側の住人にしようと思ったら「概念の説明」に大なり小なりの時間を割かざるを得ないのだ。

新型コロナは、日本のIT分野に大きなインパクトを与えたと言われている。確かにコロナ以前の日本は「キャッシュレス決済後進国」と呼ばれ、PayPayも普及するかどうか未知数だった。それが今や社会インフラのようになっている。

が、急速な進化は必ずどこかに歪みをもたらす。「コロナ後の日本の在り方」を考えた時、デジタル機器が使えるか否かで発生する情報格差は見逃すことができない問題だ。

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