広島皆実高校の生徒たちが、

学校の先輩にあたる被爆者 切明千枝子さんの体験を小中学生に伝える会を開きました。

被爆の記憶が世代から世代へつながろうとしています。

【高校生】

「(同級生を)火葬する時どんな気持ちでしたか」

【切明千枝子さん(91)】

「胃袋や腸に空気が入ってます。それが破裂する音。むごいことでございました。

人間としての感覚を忘れていた。涙も出ませんでしたね」

15歳で被爆した切明千枝子さん。

当時、広島第二高等女学校の生徒で今の皆実高校の近くに家がありました。

皆実高校の生徒はこの夏、同じ地域の子どもたちに

切明さんの体験を語り継ごうと準備してきました。

【生徒会長】

「校庭で友達を火葬した時どんな気持ちだったのか聞きたい」

語り継ぐ会に向け、切明さんに何を聞きたいか意見を出し合いました。

被爆後、家族はどうなったのか。

原爆投下は正しかったとする外国人に対し、どんな感情を抱いたか。

聞きたいのは、体験の事実や当時の気持ちだけではありません。

【別の生徒】

「最終的にどういうふうに戦争を起こさないかっていう話があんまりされていない。

そこをもっと掘り下げていくとまじで世の中平和になると思う」

【別の生徒】

「戦争の恐ろしさや平和の意味を伝えていくのは次は僕ら

どういうことに気をつけて話して、どういう思いで話しているのか聞いた方がいい」

3週間後、初めて切明さんと会い話を聞きました。

【切明千枝子さん(91)】

「今皆実高校の敷地になっている所、県立工業高校の敷地になっている所、

あれ全部被服支廠の敷地だったんですよ」

今も高校のそばに残る旧陸軍被服支廠。

軍服や軍帽などをつくり、軍都・広島を支えた戦争を象徴する建物です。

切明さんは、学徒動員のためここで働き、

原爆投下直後はこの中で多くのけが人や遺体を目にしました。

この春、2棟解体の案から3棟全ての耐震化へと変わりました。

【生徒会長質問】

「(方針が変わった時)どんな気持ちだったか」

【切明千枝子さん(91)】

「あの建物はね貴重な建物だし、広島の歴史をね何もかも見てきた」

物言わぬ建物。

当時を語れる被爆者が減る中、皆実高校の生徒たちも

身近な「証言者」を守っていこうとしています。

語り継ぐ会本番。

切明さんは小中学生に言いました。

「人の手で起こす戦争ですから。人の手で防ぐことができる。

本当に平和を大事にして、みんなで一生懸命守っていきましょう」

【参加した小学3年生】

「戦争は日本でも世界でもしたくないなと思いました」

【生徒会長】

「(小中学生には)核兵器はだめと主張するだけでなく、

昔こういうことがあったとどんどん伝えてほしい」