2011年に発生した東日本大震災は、壊滅的な被害をもたらした(写真:岡田広行)

最期の看取り・最後のお別れができないまま、大切な人がいなくなってしまうことを、臨床心理学の専門用語で「あいまいな喪失」といいます。それが数多く起こったのが東日本大震災です。発生から10年。「あいまいな喪失」に直面した人や被災地の人がどんな思いを抱え、どう向き合っているのか。ジャーナリストの池上彰氏が、災害社会学を専門とする東北学院大学教養学部の金菱清教授の活動を取材しました。

※本稿は池上氏の新著『池上彰と考える「死」とは何だろう』を一部抜粋・再構成したものです。

阪神・淡路大震災での疑問が出発点

近年、国内で一度に数多くの「あいまいな喪失」が起きた出来事といえば、2011年の東日本大震災です。この「あいまいな喪失」という視点に立ち、被災地で取材を重ねた大学生がいます。東北学院大学(宮城県仙台市)教養学部・金菱清教授のゼミ生です。

なぜ、この「あいまいな喪失」という視点に立ったのか。それは1995年、6434人の犠牲者(関連死含む)を数えた阪神・淡路大震災での金菱さんのある疑問が出発点といいます。

「阪神・淡路大震災が起きた1995年1月、私は大学受験を直前に控えた受験生でした。無事、地元の関西学院大(兵庫県)社会学部に入学し、社会心理学の講義を受けたとき、震災体験の実例が取り上げられたのですが、その実例が、直前に起きた阪神・淡路大震災ではなく、数十年前に起きた新潟地震のケースだったんです。強烈に疑問を感じました。

関西学院大は兵庫県にあります。被災地の大学です。なぜ目の前で起きた震災を取り上げようとしないのか。震災とは何か。災害とは何か。今度は、自分で考えるようになりました」

災害社会学について大学院で研究を重ねた金菱さんは、2005年、東北学院大学に講師として赴任します。そして2011年、東日本大震災を経験することになります。

「あのときの強烈な“疑問”がよみがえりました。同じことをしてはいけない。震災から1週間後、私はゼミの学生たちに『この震災の記録を後世に残さなくてはならない』と伝え、共に被災地に飛び込みました」

活動を始め、金菱さんはあることに気づきます。

「被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が注目されていましたが、家族を亡くした被災者には、『カウンセリングに行きたくない』という人が少なくなかったんです。多くの死者が出た災害でしばしば見られる現象として、生き残った人たちが、『自分だけが助かってしまった』と、罪の意識(サバイバーズ・ギルト)を抱いてしまうという問題があります。東日本大震災はまさにそのケースでした。

死者の多くが津波によるものです。地震発生から津波到達までに数十分という時間がありました。この数十分が遺族を苦しめることになるのです。生き残った人は『あのとき、ああしていれば救えたのでは』という後悔の念がとても強かったんです。

そうした人たちにとっては、『カウンセリングによって自分が楽になる』という考えそのものが、罪の意識を刺激します。心の痛みがなくなることは、死者のことを忘れてしまうことにつながる、と考えるためです」

タクシー運転手が経験した不思議な話

そんな事実を突きつけられる中、ある学生がこんな不思議な話を取材してきました。

【震災で娘を亡くしたタクシー運転手(聞き取り当時56歳)の話】

「震災から3カ月くらいかな? 記録を見ればはっきりするけど、初夏だったよ。いつだかの深夜に石巻駅あたりでお客さんの乗車を待ってたら、真冬みたいなふっかふかのコートを着た女の人が乗ってきてね」

見た目は30代くらい。目的地を尋ねると、「南浜まで」と返答した。不審に思い、「あそこはもうほとんど更地ですけど構いませんか? どうして南浜まで? コートは暑くないですか?」と尋ねたところ、「私は死んだのですか?」と、震えた声で応えてきたため、驚いたドライバーが、「え?」とミラーから後部座席に目をやると、そこには誰も座っていなかった。

最初はただただ怖く、しばらくその場から動けなかったとのこと。「でも、今となっちゃ別に不思議なことじゃないな? 震災でたくさんの人が亡くなったじゃない? この世に未練がある人だっていて当然だもの。あれはきっと、そう(幽霊)だったんだろうな〜。

今はもう恐怖心なんてものはないね。また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通のお客さんと同じ扱いをするよ」。ドライバーは微笑んで言った。

【別の運転手(聞き取り当時49歳)の話】

「巡回していたら、真冬の格好の女の子を見つけてね」

2013年の8月くらいの深夜、タクシー回送中に手を挙げている人を発見し、タクシーを歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツなどを着て立っていた。

時間も深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お母さんとお父さんは?」と尋ねると、「ひとりぼっちなの」と女の子は返答をしてきた。

迷子なのだと思い、家まで送ってあげようと家の場所を尋ね、その付近まで乗せていくと、「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと思ったら、その瞬間に姿を消した。確かに会話をし、女の子が降りるときも手を取ってあげて触れたのに、突如消えるようにスーッと姿を消した。明らかに人間だったので、恐怖というか驚きと不思議でいっぱいだったそうである。

「噂では、他のタクシードライバーでもそっくりな体験をした人がいるみたいでね。その不思議はもうなんてことなくて、いまではお母さんとお父さんに会いに来たんだろうな〜って思ってる。私だけの秘密だよ」

その表情はどこか悲しげで、でもそれでいて、確かに嬉しそうだった。

『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社)などより。

金菱さんはこう振り返ります。

「当時のゼミ生・工藤優花が、毎週被災地・石巻(宮城県)に通い、客待ちのタクシー運転手100人以上に声をかけ、得た証言です。いやいや、何かの見間違いなのでは……で片づけられなかったのは、“幽霊”を乗せ実車メーターに切り替えた記録や、“幽霊”を乗せた結果、無賃乗車扱いとなった記録などが裏付けとしてあったためです」

これは一体どういう現象なのか。金菱さんが考える中、別のゼミ生・小田島武道さんがある取材をしてきました。

石巻市内で、仮埋葬という形で土葬した672もの遺体を、遺族の要望で掘り起こし、火葬した葬儀会社の話でした。

東日本大震災では、沿岸部の火葬場が津波により水没、使用不可に陥ったほか、被害の少なかった内陸部や他県の火葬場に搬送しようとしたところ、道路の寸断やガソリン不足が起き、土葬せざるを得なかった現実がありました。しかし時間が経過し、土葬ではあまりにもかわいそう、火葬で送り出してあげたい、遺骨を先祖の墓に入れたい、という要望が増え、掘り返すケースがありました。

葬儀会社の人は嫌な顔ひとつしなかった

小田島さんは聞き取り取材をこう振り返ります。

「仮埋葬から掘り起こされたご遺体の状態は、想像をはるかに超えていました。液体とも何とも区別がつかない物質が、棺から染み出しているものもありました。棺から取り出された納体袋の中には血液や体液が混じった液体があふれ、ヌルヌルになったご遺体からは腐敗臭が漂い、スタッフの身体に容赦なくこびりつきました。

(スタッフは)どんなに作業を進めても慣れることはありませんでした。掘り起こしが進むにつれて夏が近づき、気温の上昇と梅雨の激しい雨は、ご遺体の腐敗をさらに進行させ、作業をより過酷に追い込んでいったことを鮮明に覚えています。

しかし、葬儀会社の方は、いやな顔ひとつせず、黙々と、そして淡々と、ご遺体と向き合っていました。『ああ、こんなに汚れてしまって』とご遺体に語りかけるスタッフの方もいました。ご遺体の泥を丁寧に拭い、一人ひとりのご遺体に手を合わせ、火葬場へも、効率優先のトラックは使わず、霊柩車を模した車で丁寧に運んだんです」

“幽霊”を乗せたタクシー運転手の話。そして、仮埋葬された遺体の掘り起こしの話。まったく違う話ですが、金菱さんは、ある共通点があることに気づいたといいます。それは「死者への敬意」でした。

「工藤優花の取材で印象的な話があります。タクシー運転手への聞き取りを重ねる中、“幽霊”と言うと、『そんな風に言うな!』と怒る方がいたそうです。怪奇現象や心霊写真などのうに、恐怖を楽しむような言葉だと思われてしまったのでしょう。

そこで『亡くなられた方』『亡くなった方の魂』と死者への敬意を表すと、話をしてもらえたそうです。そして、話をしてくれた人の表情は、恐怖ではなく、穏やかに、そして笑顔で。中には『また機会があれば乗せたい』と言う人もいたことに、工藤自身が驚いていました」

死者は忌むべきものではなく、尊いもの。金菱さんはこう結びます。

「東日本大震災では、津波にのまれ、遺体のないまま行方不明となってしまった『あいまいな喪失』があまりにも多く発生しました。ゼミ生の取材を通じ、私たちが発見したことは、被災地の人々は、この『あいまいな喪失』を大切に抱え続け、終わったこととして自分の中から消し去ろうとはしていない、という事実でした。

だから死者は忌むべきものではなく、尊いものなんです。そして、あいまいさを抱え続けることこそ、愛する者を失った痛みへの対処法と理解しました。どこかで生きているかもしれない。“幽霊”でもいい、私のそばで生きているはず。きょうも見守ってくれてありがとう……。あいまいさを抱えながら、肯定的に生きる。『あいまいな喪失』への向き合い方を、私はこの東北の地で、ゼミ生の取材を通じて学びました」

不思議な現象に敬意を払う姿勢が見える

―取材を終えて―

あなたは『遠野物語』を知っていますか? 日本の民俗学の父と呼ばれる柳田國男が明治時代に発表した、岩手県に伝わる逸話集です。この中には、河童や、座敷わらしなどが登場し、小説や漫画、アニメで描かれる日本の妖怪たちの原型といわれています。


東北地方にはもともと不思議な現象、あるいは“幽霊”を、「怖いもの」ととらえない感性があるのかもしれません。また、東北地方の一部の方言で「〜さる」というのがあります。たとえば「押ささる」。これは「『目には見えない何者かに』押された」という意味が含まれているそうです。こういったところにも不思議な現象に、何か敬意を払う姿勢が見えますね。

“幽霊”を乗せたタクシー運転手の話を聞いたとき、あなたはどう思いましたか?「ああ、死にきれないのか。かわいそうに」となるのか、「ああ、なにか伝えたかったんだな」となるのか。「“幽霊”が出るなんて、実に非科学的、インチキな話だ」と反論したくなる読者もいるでしょう。

しかし、ここにこそ、あなたの「死生観」が反映されるのです。死というものの答えは1つではなく、さまざまな見方・考え方があることに気づいていただいたはずです。だから、これはあくまで、あなたがどう思うか、という話なのです。

東日本大震災から2021年で10年。いまも「あいまいな喪失」を抱えながら前へ歩む方たちがいることを、あらためて胸に深く刻みたいと思います。