【2/22〜2/28の運勢】2月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおひつじ座は、連綿と継がれてきた意志の連鎖を感得していくような星回り。
「百年は生きよみどりご春の月」(仙田洋子)の「みどりご」とは、3歳くらいまでの嬰児のことを指す言葉。若い母親が我が子への思いを言い放っているのでしょうか。かつては、今日明日の無事と成長を祈るだけでも精一杯であった時代もあったことを思えば、いかにも現代らしい生命賛歌です。
この“母親”は言わばへその緒でつながった「みどりご」へ限りない愛とともに自らの願いを凝集させ、移しこんでいこうとしている訳ですが、それは実際の子どもであれ、何らかの作品や新たな活動であれ、中長期的な未来を肯定的に捉えていこうという強い意志に支えられて初めて可能になります。
これは逆に言えば、こうして今あなたが無事に生き永らえているのも、連綿と母から子へ継がれてきた「生きよ」という願いの連鎖のおかげであるということでもあるのではないでしょうか。今週のあなたもまた、背後からの願いに懸命に応答していくことを意識してみるべし。
今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおうし座は、自分なりの情緒を表現する手段がひとつあれば、それでいいじゃないか。
世界的な数学者で名文家としても知られる、岡潔が記したエッセイ集『春宵十話』の「発見の鋭い喜び」という章には、次のような一節があります。
「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。(略)私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」
そもそも数学者に対し、人類に何の役に立つのかという問いを立てること自体が無粋ではありますが、これは「情緒」というものが失われた結果では。岡は別の箇所でも、数学とは「自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つ」などとも述べています。あなたも「言葉では言えないが知っている」何がしかを表現していくことに心血を、そして人生の活路を見出していきたいところ。
今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のふたご座は、右往左往がおさまっていくような星回り。
「話しつつ行き過ぎ戻る梅の門」(高浜虚子)で詠まれているのはおそらく、話しながら歩いていたら、うっかり目指す家の前を通りすぎてしまった光景。気が付いて引き返し、家にたどり着くと梅が咲いていた。大意としてはこんなところでしょうか。
句全体にどこかのんびりとした春特有の気分が感じられますが、はじめに通りすぎた際には梅には気付かなかったというところが味噌。さながら逆行と順行を繰り返す惑星のように、行きつ戻りつしてようやく何かに気が付くことができる。そしてそういう人間を梅の花が迎え入れることで「門」となる。
では、「門」をくぐった人間はどこへ行くのだろうか。寒さに耐えながら辛抱強く咲く梅の花は高潔と忠実の象徴であり、それは“春”という新たな世界への門出でもあるのでしょう。今週のあなたもまた、ようやく苦境を乗り越えたという安堵のなかで新たなサイクルが既に始まりつつあることを実感していけるはず。
今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のかに座は、日常の水平的なコミュニケーションとは異なる、垂直的なコミュニケーションと関わり合っていくような星回り。
「籟(らい)」とは風がものにあたって発する音のことであり、その響きのこと。古代中国の『荘子』には、地上の風穴や楽器の響きがコトバになるという「天籟」「地籟」「人籟」という表現が出てきますが、「天籟」に関しては哲学者の井筒俊彦が次のように述べています。
「人間の耳にこそ聞こえないけれども、ある不思議な声が、声ならざる声、音なき声が、虚空を吹きわたり、宇宙を貫流している。この宇宙的な声、あるいは宇宙的コトバのエネルギーは、確かに生き生きと躍動してそこにあるのに、それが人間の耳には聞こえない。」(「言語哲学としての真言」)
籟という声ならざる「声」は人間の耳には聞こえないけれど、胸には届く。そして胸が痛み、張り裂け、あるいは、心の琴線に触れる、と私たちは言う。その時、私たちは図らずも「天籟」のひびきと重なりあって、自他の区別をこえた調和の世界に入っていくのです。あなたも、そんな耳には聞こえない不思議な声とみずからのひびきが重なりあっていく瞬間を見逃さないようにしていきましょう。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のしし座は、手探りで創り上げてきた目に見えない資産を、再確認していくような星回り。
「春泥にゆきなやみたる杖を突き」(緒方句狂)というの句の中七は、「行き悩みたる」だろうか。しかし、これをあえてひらがなで表記したところにも工夫があるように思えます。作者はもともと炭鉱夫として働いていましたが、30歳を過ぎてからダイナマイト事故で失明し、それから俳句を始めた人。
掲句では世界が冬の硬質な輪郭を失い、春の陽気のなかで溶けあっていくさまを表わした「春泥」という事態に、ひとつひとつ手探りで向きあっている作者の内面がそのまま言語化されたかのような印象を受けます。同時に、そこではもう一つの目となり手足となってきた「杖」に助けられ、泣き笑いして、苦労を共にしてきた杖への言葉にできない信頼感や一体感も伝わってくるはず。
恐らく、作者は盲目になったことを不幸であったか幸福だったかという次元では捉えていなかったのでしょう。彼はただ与えられた常闇の世界のただ中で杖を突き、静かに句を作ってそれを命としていったのでは。あなたもまた、知らず知らずのうちに蓄えていた資産の心強さを改めて実感していくことができるかも知れません。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおとめ座は、脳髄の祝祭という時間を生きるような星回り。
かつてベンヤミンはボードレールの代表作を取りあげて「武器庫としての『悪の華』」と書きましたが、「香水の壜」という詩では「住む人もない廃屋(あばらや)で、歳月の黴くさい臭ひに満ちた 埃の積もつた眞黒な 衣装箪笥を開けた時、時をり人は 昔の壜を見つけ出す。思出が詰められてゐる その中から 魂が蘇つて来て 生き生きと 迸り出る。」と記されています。
ボードレールはかつての体験をずっと後になってから加工していく詩人であり、その原稿は推敲につぐ推敲で嵐のようにごった返しており、いったい何度加筆の手を入れたのか分からないほどだったそう。
そうして彼は記憶の中の「廃屋」の引き出しに封じられた「思出」を覗いては、事物どうしの化学反応においてよみがえる悪を昇華して、あえて精神の「苦味」のもたらす快楽に溺れていったのです。あなたも自分なりの「衣装箪笥」や「昔の壜」を見出して大いに精神を昂ぶらせていきたいところ。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のてんびん座は、半分日常半分非日常のような日々を過ごしていくような星回り。
それはまるで「春炬燵その人と居てつらくない」(佐藤智子)という句のよう。春が来ても仕舞いそこねたまま残っている炬燵には、どこか罪悪感を覚えてしまうもの。作者にはそんな春炬燵に一緒に足をつっこんでいても、一向につらく感じない相手がいると言うのです。
恐らくその相手と居るときは自分を責めずにいられるのでしょう。夜中に炬燵の上でどうしても食べたくなったアイスを食べてしまったり、食器を片づけないまま炬燵で寝てしまったりしたとしても、だいじょうぶ。
過去に抱いた人には言えないこんな思いやあんな考えも、不思議とここなら吐露できる気がしてくるし、逆にどんな相手の話も鷹揚に聞ける気がしてくる。と、なんと春みたいにおめでたくて、ほわほわとした愛の表現なのでしょうか。あなたもまた、やさしく包み込むように自分自身の頑なな部分を許してほどいていくことができるかも知れません。
今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のさそり座は、違いをこえて結びついていこうとするような星回り。
文化人類学者のレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ』に出てくるユカギールのハンターは、敵であり獲物である大鹿エルクを敬愛を込めて「エルク姉ちゃん」などとして扱い、彼らを人間存在であると捉えているのだとか。
狩りに出る前には、人間との接触を避け禊ぎをして人間臭を消し、ウォッカや煙草などを火の中に投げてエルクの支配霊を誘い、夢の中でみずからエルクに扮して、エルク姉ちゃんと枕を共にする。そしていざ狩りの際には、エルクと人間の種族間の差異はすっかりぼやけ、一体化の危険を乗り越えて、最後はエルクを撃ち殺すのだという。
興味深いのは、狩りの駆け引きの場面でハンターが何者であるのかは、ハンター自身ではなくエルクのうちに見出されること。つまり相手にこそ先に人格が与えられていると直観することこそがハンティングの命であり、ハンターがハンターでいられる根本なのです。あなたも自分が何者であるかということを、そうしたアニミスティックな感性のなかで改めて捉えなおしていくべし。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のいて座は、自分を取り巻く大きな流れの一部となっていこうとするような星回り。
「初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉」(小林一茶)を詠んだ年の句日記のはじめに、作者は「今歳革命の年と称す。つらつら四十二年、他国に星霜を送る」と書き留めています。長年の放浪がようやくおさまりつつある時期でもあり、40歳を過ぎてなお江戸で独り暮らしをしているみずからの運命を見定めようとしていたのかも知れません。
そのせいもあってか、春の蝶といえば、可憐で、やさしく、明るみにおびたものとして詠まれるのが通例であるのに対し、「いきほひ猛に見ゆる」という激しく野心に満ちた調子は異様ですし、それはこの時期の作者がいかに特殊であったかを物語っているように感じます。
つまり、やつれていた身がなんとなく鎮まってきたという復調の気配を作者が実感していたということであり、そんな時季の勢力を蝶に見たのでしょう。ひらひらとはしていても、猛々しい勢いもまた確かに宿っていたのです。あなたもまた、みずからを捧げていくべき運命の輪郭がひとつ明確になっていくかも知れません。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のやぎ座は、自分自身が通りすぎていくのを見ていく私であるような星回り。
フェルディナンド・ペソアという詩人は、南アフリカで育った後、20歳ぐらいの時に父の祖国であるポルトガルに帰り、リスボンで手紙の翻訳などをして地味な生涯を終えたといいます。ここで大事なことは、彼はもともとはもっぱら英語でものを書き、大学入試の際には英語のエッセイで最優秀賞を取るほどだったにも関わらず、帰国してからはポルトガル語だけで書いたということ。
ただバイリンガルで優秀であるということ以上に、ふたつの異なった言語を持つことでペソアが自身のアイデンティティをどう成立させていったのかということ。おそらく、ペソアはそこで自分自身が引き裂かれていくのを感じつつも、同時にそこに何らかの解放を感じていったのではないでしょうか。
「私は自分自身の旅人/そよ風のなかに音楽を聞く 私のさまよえる魂も/ひとつの旅の音楽」「私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である」。あなたもまた、他ならぬ私が自分自身から離れていくのを感じていくことになるでしょう。
今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のみずがめ座は、遠くのものを近くに引き寄せていきような星回り。
「ロボットも博士を愛し春の草」(南十二国)を一読すると、ドラえもんとのび太くんを連想させる。考えてみれば、ドラえもんは「感情もったロボット」という元型を日本中の子どもたちに刷り込み続けてきた訳ですが、その影響は計り知れません。
そして、そんなドラえもんを見て育った誰かが「博士」となっていてもおかしくない時代を生きているのであり、「博士」は既にどこかに実在しているはず。ここで留意しておかねばならないのは、人間は根源的に分身を作り出したいという欲求を持っていますが、そうして作り出した分身=ロボットは意図せずして日常を超えたものと繋がる役割を備えているのでは、ということ。
つまり、ロボットがしめす愛とは、どこかでかならず博士の日常を異化するような祝祭性を備えており、掲句の「春の草」の感じもまた、そうして凝固した日常の外へと誘い出されていった地平で体験されているものなのです。あなたもまた、掲句の博士のように、自分の思い通りにならないものとの距離感を改めて調節していくべし。
今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のうお座は、何かを始めることのできる地点を求めていくような星回り。
廃墟というものを魅力的なものに感じさせる要因には、過去から遠い未来へと突き抜ける時間的感覚やその独特のスケール感がありますが、日野啓三さんは「私にとって廃墟に立つことは四十億年という遥かなる帰郷の旅であり、同時にめくるめく未来へと連なるコスミックな力を実感し直す劇である」(『廃墟―鉱物と意識が触れ合う場所』)と述べました。
これは例えば時間的な広がりの表現に限界のある絵画ではもたらすことのできない体験であり、「コスミックな力」の感受は空間的なスケールの広がりによって初めて可能になるものでしょう。
また、日野さんは「廃墟は始点であって、終点ではない。そこで立ち止まり立ちつくしてがならないのである」とも述べており、これは彼の戦争後の焼け跡体験から得た境地なのかも知れません。あなたもまた、ひとつ焼け跡を背負ったつもりで過ごしてみるといいでしょう。
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
意志をこしらえる
今週のおひつじ座は、連綿と継がれてきた意志の連鎖を感得していくような星回り。
「百年は生きよみどりご春の月」(仙田洋子)の「みどりご」とは、3歳くらいまでの嬰児のことを指す言葉。若い母親が我が子への思いを言い放っているのでしょうか。かつては、今日明日の無事と成長を祈るだけでも精一杯であった時代もあったことを思えば、いかにも現代らしい生命賛歌です。
これは逆に言えば、こうして今あなたが無事に生き永らえているのも、連綿と母から子へ継がれてきた「生きよ」という願いの連鎖のおかげであるということでもあるのではないでしょうか。今週のあなたもまた、背後からの願いに懸命に応答していくことを意識してみるべし。
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今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
運よく花咲く
今週のおうし座は、自分なりの情緒を表現する手段がひとつあれば、それでいいじゃないか。
世界的な数学者で名文家としても知られる、岡潔が記したエッセイ集『春宵十話』の「発見の鋭い喜び」という章には、次のような一節があります。
「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。(略)私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。」
そもそも数学者に対し、人類に何の役に立つのかという問いを立てること自体が無粋ではありますが、これは「情緒」というものが失われた結果では。岡は別の箇所でも、数学とは「自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つ」などとも述べています。あなたも「言葉では言えないが知っている」何がしかを表現していくことに心血を、そして人生の活路を見出していきたいところ。
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今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
腰を落として踵を踏んで
今週のふたご座は、右往左往がおさまっていくような星回り。
「話しつつ行き過ぎ戻る梅の門」(高浜虚子)で詠まれているのはおそらく、話しながら歩いていたら、うっかり目指す家の前を通りすぎてしまった光景。気が付いて引き返し、家にたどり着くと梅が咲いていた。大意としてはこんなところでしょうか。
句全体にどこかのんびりとした春特有の気分が感じられますが、はじめに通りすぎた際には梅には気付かなかったというところが味噌。さながら逆行と順行を繰り返す惑星のように、行きつ戻りつしてようやく何かに気が付くことができる。そしてそういう人間を梅の花が迎え入れることで「門」となる。
では、「門」をくぐった人間はどこへ行くのだろうか。寒さに耐えながら辛抱強く咲く梅の花は高潔と忠実の象徴であり、それは“春”という新たな世界への門出でもあるのでしょう。今週のあなたもまた、ようやく苦境を乗り越えたという安堵のなかで新たなサイクルが既に始まりつつあることを実感していけるはず。
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今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ひびきとコトバ
今週のかに座は、日常の水平的なコミュニケーションとは異なる、垂直的なコミュニケーションと関わり合っていくような星回り。
「籟(らい)」とは風がものにあたって発する音のことであり、その響きのこと。古代中国の『荘子』には、地上の風穴や楽器の響きがコトバになるという「天籟」「地籟」「人籟」という表現が出てきますが、「天籟」に関しては哲学者の井筒俊彦が次のように述べています。
「人間の耳にこそ聞こえないけれども、ある不思議な声が、声ならざる声、音なき声が、虚空を吹きわたり、宇宙を貫流している。この宇宙的な声、あるいは宇宙的コトバのエネルギーは、確かに生き生きと躍動してそこにあるのに、それが人間の耳には聞こえない。」(「言語哲学としての真言」)
籟という声ならざる「声」は人間の耳には聞こえないけれど、胸には届く。そして胸が痛み、張り裂け、あるいは、心の琴線に触れる、と私たちは言う。その時、私たちは図らずも「天籟」のひびきと重なりあって、自他の区別をこえた調和の世界に入っていくのです。あなたも、そんな耳には聞こえない不思議な声とみずからのひびきが重なりあっていく瞬間を見逃さないようにしていきましょう。
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今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
道化と錫杖
今週のしし座は、手探りで創り上げてきた目に見えない資産を、再確認していくような星回り。
「春泥にゆきなやみたる杖を突き」(緒方句狂)というの句の中七は、「行き悩みたる」だろうか。しかし、これをあえてひらがなで表記したところにも工夫があるように思えます。作者はもともと炭鉱夫として働いていましたが、30歳を過ぎてからダイナマイト事故で失明し、それから俳句を始めた人。
掲句では世界が冬の硬質な輪郭を失い、春の陽気のなかで溶けあっていくさまを表わした「春泥」という事態に、ひとつひとつ手探りで向きあっている作者の内面がそのまま言語化されたかのような印象を受けます。同時に、そこではもう一つの目となり手足となってきた「杖」に助けられ、泣き笑いして、苦労を共にしてきた杖への言葉にできない信頼感や一体感も伝わってくるはず。
恐らく、作者は盲目になったことを不幸であったか幸福だったかという次元では捉えていなかったのでしょう。彼はただ与えられた常闇の世界のただ中で杖を突き、静かに句を作ってそれを命としていったのでは。あなたもまた、知らず知らずのうちに蓄えていた資産の心強さを改めて実感していくことができるかも知れません。
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今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
武器をとり夢を放つ
今週のおとめ座は、脳髄の祝祭という時間を生きるような星回り。
かつてベンヤミンはボードレールの代表作を取りあげて「武器庫としての『悪の華』」と書きましたが、「香水の壜」という詩では「住む人もない廃屋(あばらや)で、歳月の黴くさい臭ひに満ちた 埃の積もつた眞黒な 衣装箪笥を開けた時、時をり人は 昔の壜を見つけ出す。思出が詰められてゐる その中から 魂が蘇つて来て 生き生きと 迸り出る。」と記されています。
ボードレールはかつての体験をずっと後になってから加工していく詩人であり、その原稿は推敲につぐ推敲で嵐のようにごった返しており、いったい何度加筆の手を入れたのか分からないほどだったそう。
そうして彼は記憶の中の「廃屋」の引き出しに封じられた「思出」を覗いては、事物どうしの化学反応においてよみがえる悪を昇華して、あえて精神の「苦味」のもたらす快楽に溺れていったのです。あなたも自分なりの「衣装箪笥」や「昔の壜」を見出して大いに精神を昂ぶらせていきたいところ。
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今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
無言の会話
今週のてんびん座は、半分日常半分非日常のような日々を過ごしていくような星回り。
それはまるで「春炬燵その人と居てつらくない」(佐藤智子)という句のよう。春が来ても仕舞いそこねたまま残っている炬燵には、どこか罪悪感を覚えてしまうもの。作者にはそんな春炬燵に一緒に足をつっこんでいても、一向につらく感じない相手がいると言うのです。
恐らくその相手と居るときは自分を責めずにいられるのでしょう。夜中に炬燵の上でどうしても食べたくなったアイスを食べてしまったり、食器を片づけないまま炬燵で寝てしまったりしたとしても、だいじょうぶ。
過去に抱いた人には言えないこんな思いやあんな考えも、不思議とここなら吐露できる気がしてくるし、逆にどんな相手の話も鷹揚に聞ける気がしてくる。と、なんと春みたいにおめでたくて、ほわほわとした愛の表現なのでしょうか。あなたもまた、やさしく包み込むように自分自身の頑なな部分を許してほどいていくことができるかも知れません。
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今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
汝自身を知るために
今週のさそり座は、違いをこえて結びついていこうとするような星回り。
文化人類学者のレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ』に出てくるユカギールのハンターは、敵であり獲物である大鹿エルクを敬愛を込めて「エルク姉ちゃん」などとして扱い、彼らを人間存在であると捉えているのだとか。
狩りに出る前には、人間との接触を避け禊ぎをして人間臭を消し、ウォッカや煙草などを火の中に投げてエルクの支配霊を誘い、夢の中でみずからエルクに扮して、エルク姉ちゃんと枕を共にする。そしていざ狩りの際には、エルクと人間の種族間の差異はすっかりぼやけ、一体化の危険を乗り越えて、最後はエルクを撃ち殺すのだという。
興味深いのは、狩りの駆け引きの場面でハンターが何者であるのかは、ハンター自身ではなくエルクのうちに見出されること。つまり相手にこそ先に人格が与えられていると直観することこそがハンティングの命であり、ハンターがハンターでいられる根本なのです。あなたも自分が何者であるかということを、そうしたアニミスティックな感性のなかで改めて捉えなおしていくべし。
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今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
不惑ゆえに猛
今週のいて座は、自分を取り巻く大きな流れの一部となっていこうとするような星回り。
「初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉」(小林一茶)を詠んだ年の句日記のはじめに、作者は「今歳革命の年と称す。つらつら四十二年、他国に星霜を送る」と書き留めています。長年の放浪がようやくおさまりつつある時期でもあり、40歳を過ぎてなお江戸で独り暮らしをしているみずからの運命を見定めようとしていたのかも知れません。
そのせいもあってか、春の蝶といえば、可憐で、やさしく、明るみにおびたものとして詠まれるのが通例であるのに対し、「いきほひ猛に見ゆる」という激しく野心に満ちた調子は異様ですし、それはこの時期の作者がいかに特殊であったかを物語っているように感じます。
つまり、やつれていた身がなんとなく鎮まってきたという復調の気配を作者が実感していたということであり、そんな時季の勢力を蝶に見たのでしょう。ひらひらとはしていても、猛々しい勢いもまた確かに宿っていたのです。あなたもまた、みずからを捧げていくべき運命の輪郭がひとつ明確になっていくかも知れません。
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今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
わたしの複数性
今週のやぎ座は、自分自身が通りすぎていくのを見ていく私であるような星回り。
フェルディナンド・ペソアという詩人は、南アフリカで育った後、20歳ぐらいの時に父の祖国であるポルトガルに帰り、リスボンで手紙の翻訳などをして地味な生涯を終えたといいます。ここで大事なことは、彼はもともとはもっぱら英語でものを書き、大学入試の際には英語のエッセイで最優秀賞を取るほどだったにも関わらず、帰国してからはポルトガル語だけで書いたということ。
ただバイリンガルで優秀であるということ以上に、ふたつの異なった言語を持つことでペソアが自身のアイデンティティをどう成立させていったのかということ。おそらく、ペソアはそこで自分自身が引き裂かれていくのを感じつつも、同時にそこに何らかの解放を感じていったのではないでしょうか。
「私は自分自身の旅人/そよ風のなかに音楽を聞く 私のさまよえる魂も/ひとつの旅の音楽」「私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である」。あなたもまた、他ならぬ私が自分自身から離れていくのを感じていくことになるでしょう。
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今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
春と祝祭
今週のみずがめ座は、遠くのものを近くに引き寄せていきような星回り。
「ロボットも博士を愛し春の草」(南十二国)を一読すると、ドラえもんとのび太くんを連想させる。考えてみれば、ドラえもんは「感情もったロボット」という元型を日本中の子どもたちに刷り込み続けてきた訳ですが、その影響は計り知れません。
そして、そんなドラえもんを見て育った誰かが「博士」となっていてもおかしくない時代を生きているのであり、「博士」は既にどこかに実在しているはず。ここで留意しておかねばならないのは、人間は根源的に分身を作り出したいという欲求を持っていますが、そうして作り出した分身=ロボットは意図せずして日常を超えたものと繋がる役割を備えているのでは、ということ。
つまり、ロボットがしめす愛とは、どこかでかならず博士の日常を異化するような祝祭性を備えており、掲句の「春の草」の感じもまた、そうして凝固した日常の外へと誘い出されていった地平で体験されているものなのです。あなたもまた、掲句の博士のように、自分の思い通りにならないものとの距離感を改めて調節していくべし。
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今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
行ってお帰り
今週のうお座は、何かを始めることのできる地点を求めていくような星回り。
廃墟というものを魅力的なものに感じさせる要因には、過去から遠い未来へと突き抜ける時間的感覚やその独特のスケール感がありますが、日野啓三さんは「私にとって廃墟に立つことは四十億年という遥かなる帰郷の旅であり、同時にめくるめく未来へと連なるコスミックな力を実感し直す劇である」(『廃墟―鉱物と意識が触れ合う場所』)と述べました。
これは例えば時間的な広がりの表現に限界のある絵画ではもたらすことのできない体験であり、「コスミックな力」の感受は空間的なスケールの広がりによって初めて可能になるものでしょう。
また、日野さんは「廃墟は始点であって、終点ではない。そこで立ち止まり立ちつくしてがならないのである」とも述べており、これは彼の戦争後の焼け跡体験から得た境地なのかも知れません。あなたもまた、ひとつ焼け跡を背負ったつもりで過ごしてみるといいでしょう。
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