沢田研二と志村けんさん

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 2021年公開予定の映画『キネマの神様』。映画好きの“ダメおやじ”ゴウとその家族を描くこの作品は、新型コロナウイルスに感染し、3月に急逝した志村けんさんの初主演作となるはずだった。

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「志村さんが亡くなり、緊急事態宣言も出たことで、製作は完全にストップ。志村さんの代役も簡単には見つからないだろうと言われていました」(スポーツ紙記者)

 ところが─5月16日、志村さんに代わって“ジュリー”こと沢田研二がゴウ役を務めることが突然発表されたのだ。メガホンをとる山田洋次監督自らオファーをしたという、まさかのキャスティングに日本中が驚いた。

「いまの人からすると、“なんで!?”という組み合わせですが、志村さんとジュリーは20代からの“盟友”なんです。製作側も、そんな長年の親交を見越してジュリーにオファーしたんでしょう」(前出・スポーツ紙記者)

 これまで何度もテレビ番組や舞台で共演していたふたり。2001年からは、1年半もの間、ラジオの冠番組を一緒にやっていたほど。たしかにこれ以上ない代役かもしれない。

「ただ、ジュリーが役者の仕事を最後にしたのは10年以上も昔。満足な演技ができるかどうか……。何より一昨年、“コンサートの客入りが悪い”と公演を当日にボイコットするという騒動を起こした過去も(苦笑)。話題づくりも込みとはいえ、ずいぶん思い切ったオファーですよ」(前出・スポーツ紙記者)

 ジュリーと志村さんの出会いは50年前に遡る。同じ芸能事務所に所属する1歳違いの若者同士……とはいえ、駆け出しのコメディアンだった志村さんと『ザ・タイガース』のボーカルとして“GSブーム”を牽引し、すでに大スターだったジュリーは天と地ほどに離れた存在だった。

ドリフに「ジュリーが出る」で大騒ぎ

 そんなふたりを結びつけたのは、あの『8時だョ!全員集合』(TBS系)。放送作家として番組に参加していた田村隆氏が振り返る。

「毎回番組に呼ばれるゲストは番組プロデューサーと事務所の意向で決まるんです。“人気者を出す”とか“新人歌手の新曲プロモーションで”とか。ただ沢田君の場合は、彼がもともと『全員集合』のコントを見て、大笑いしていたからだと聞きました。それが、ドリフメンバーの耳にも入って。“それならコントもやってもらおう”ということに。われわれだって“沢田研二が出る!? 本当に!?”と驚いたくらいです」

 だが、ジュリーの関係者はコント参加に難色を示した。

「なんてったって“天下のジュリー”ですから。彼は当時大ブームだった“グループサウンズ”全体を引っ張るプリンスでしたからね。プリンスに“お笑いなんてやらせられるか!”という話ですよ。やる必要ないくらい売れていましたから」(田村氏)

 それでもジュリーはコントをやった。番組にくるゲストの中には、しぶしぶコントに参加する歌手もいたが、

「沢田君は“全部お任せします”と。たしかに気難しいところもあるし口数は多くなかったですが、とてもやりやすかったですよ」(田村氏)

志村けんと沢田研二は似たもの同士

 ジュリーは笑いに対して常に真摯な姿勢で臨んだ。

「台本にないアドリブを勝手にやっちゃう目立ちたがりのゲストもいて(苦笑)。そうするとこっちの計算が狂っちゃうんだけれど、沢田君はしなかった。志村自身も非常に気難しい男。普段はわりと寡黙でしゃべりもあまり面白くないんだけど、そういう部分も沢田君と相通じるものがあったのかも」(田村氏)

 そうしたコントの大部分の台本は志村さんが手がけた。

「“彼となら、こんなことしたら面白いんじゃない?”といくつか設定を考えていましたね。沢田君のマネージャーやファンの反感を買わないようにとか、どう転んでも彼がウケるようにとか、そういうことまで考え抜いて。たしかいちばん最初のコントは、志村が大スター役で、沢田君がダメな付き人役という、ふたりの立場が逆転したものだったと思います。志村がふんぞり返って“おい! お茶!”とか言うと、沢田君が"買ってきました!”なんて妙な飲み物を持ってくる……とかね」(田村氏)

 当時、舞台上で少しよろけただけで、客席に詰めかけた女性ファンからは「キャー!」という黄色い大絶叫が起こったというジュリー。そんな彼が、志村さん相手にドジを連発すると客は大ウケ。

「ウケれば沢田君だってうれしい。沢田君は笑いの気持ちよさを志村から教えてもらったんじゃないかな。“志村さんの作ったコントなら大丈夫”と、そうやって信頼関係ができていった」(田村氏)

 ジュリーは『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)でも志村さんと息の合ったコントを見せた。放送作家として『大爆笑』を担当していた海老原靖芳氏は「沢田さんは、いつもうれしそうだった」と語る。

「本番前になるとスタジオの隅っこに行って、打ち合わせするんです。そのときの沢田さんの雰囲気は、やっぱりとても楽しそうでしたよ」

「志村けんとしかやりません」

 ふたりの友情を物語る、こんなエピソードがある。

「沢田君が別の番組のスタッフに“『全員集合』と同じようなコントをウチでもやりたい”と打診されたそうなんです。でも、彼はそれを断った、と。“僕がやっていたのは、志村けんに作ってもらった、志村けんとやるためのコントです。志村けんとしかやりません”ってね。筋を通したというか、それだけ志村とのコントを大事にしていたんだと思います」(田村氏)

 ジュリーの義理立てがよほどうれしかったのだろう。今度は志村さんが恩を返す。1983年、ジュリーがMCを務めていた番組『沢田研二ショー』(TBS系)にゲストとして志村さんが出演したのだが、これは1974年に彼がドリフメンバーになって以来、初の“単独行動”だった。

「実は、この出演には、いかりや長介さんと事務所が大反対したんです。いかりやさんはチームワークが第一の人。だからメンバーのソロ活動をいっさい認めていなかった。でも志村さんは、押し切って出ちゃった。それだけ志村さんもジュリーへの友情を感じていたんじゃないかな」(当時を知る芸能プロ関係者)

 代役出演が発表された同じ日。ジュリーはたったひと言、コメントを寄せた。

《志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です》

 今なお、ふたりの絆は固く結ばれている。