2011年、金正日氏の死去を悲しむ北朝鮮の人々(朝鮮中央テレビ)

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4月下旬、20日間にわたり公開の場に姿を現さなかった北朝鮮の金正恩党委員長を巡り、各国のメディアで「死亡説」や「重体説」が飛び交う中、ネット上では同氏が「死亡した」とする映像が出回った。

(参考記事:【動画あり】金正恩「死亡映像」が北朝鮮で拡散…当局厳戒、国民も緊張

これを見た中国滞在の北朝鮮国民の一部で不安が広がり、中には涙を流す人さえいたと、デイリーNKの情報筋が伝えている。

情報筋によれば、映像はメッセンジャーアプリを通じて在中朝鮮人の間に急速に拡散したという。特に、貿易関係者や事業家たちは、北朝鮮当局の監視の行き届かない中国キャリアのスマートフォンを使っていることから、彼らが拡散を媒介したもようだ。

「生命にかかわることなので、映像を見ても『(金正恩氏が)死んだ』などとは決して口に出せないが、それが余計、周囲の人々の関心を引き付け、映像の拡散を促したようだ」

この映像は、「金正恩氏が現地指導の途上で死去した」という内容で始まるニュース映像だが、言うまでもなくフェイクである。在中朝鮮人の中にも「わが国ではこんな風に報道しない」「(韓国の)国情院や国家の裏切り者が作ったものであるはずだ」と、正体を見破る人が少なくなかったという。

ただ、中には不安が先に立って冷静になれず、「領導者が逝去されたというのは本当だろうか。我々はどうしたら良いのだ」と泣き出す人もいたとのことだ。

では、金正恩氏が本当に死んだら、北朝鮮の人々は涙を流して悲しむのだろうか。1994年7月に同氏の祖父・金日成主席が死亡したときには、国中が悲しみに包まれ、ショックの余り亡くなる人もいた。人々は心の底から悲しみ、泣いていた。ところが、2011年に金正日氏が亡くなったときには、北朝鮮の人々の様子が異なったと、脱北者であるデイリーNKのカン・ミジン記者は伝えている。

現在、2人の遺体は平壌の錦繍山(クムスサン)太陽宮殿に安置されており、職場などで表彰を受けた北朝鮮国民は、ご褒美として平壌見学をさせられる際に同宮殿を訪れる。

かつて、そのようにして同宮殿を訪問したデイリーNKの現地情報筋は、金日成氏の永生ホール(遺体が安置された部屋)に入り、亡骸を見た際には自然と涙が出てきたという。

一方、金正日氏の永生ホールでは涙が出なかったと述べた。周りの人々は、周囲の視線を気にして泣くふりをしていたが、この情報筋は涙が出ず、後で当局者から注意を受けたとのことだ。政治犯扱いされるのではないかと、冷や汗をかいたという。北朝鮮では、最高指導者の権威をないがしろにすると政治犯と見なされ、ひどい目に遭わされるのだ。

この2人の人気の違いはどこから来るのか。

残酷な独裁体制を作った張本人ではあれど、国を興した「国父」のイメージが残る金日成氏を、北朝鮮の人々は多かれ少なかれ畏怖している。一方で、多くの人を餓死に追いやった大飢饉「苦難の行軍」をもたらした金正日氏は、尊敬の対象にはなっていない。そのうえ「喜び組」の醜聞や待遇改善を求める労働者に流血の弾圧を加えた話も少なからず出回っている。

では、金正恩氏はどうか。核兵器と大陸間弾道ミサイルをほぼ完成させ、米国大統領を交渉の場に引っ張り出した「偉業」は、すでに父親を上回っているかもしれない。また、自国メディアにガンガン露出し、国家の方針を肉声で伝えるスタイルは祖父のそれを踏襲しており、父親の神秘主義路線は異なる。

金正恩氏はおそらく、祖父と父の人気の差を熟知した上で、彼自身のスタイルを作っているのであろう。彼の「死亡説」に接して涙した北朝鮮国民がいたのは、その効果の表れかもしれない。

だからと言って、大多数の北朝鮮国民が、金正恩氏の死を嘆き悲しむとも思えない。実際、庶民の会話では、金正恩氏を揶揄するかなり強烈なジョークが出ることもある。そもそも、北朝鮮国民の多くは核兵器と引き換えに経済制裁で苦労したいなどとは思っていないだろうし、金正恩氏の恐怖政治の手法が、祖父や父に負けず劣らず残忍であるということも知っているのだから。