理容師としてのキャリアは約30年。手荒れによってボロボロになった掌は、ヒロアキさんの根性が並大抵ではないことの証しでもある(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「理容師のアルバイトをしながら芸能活動をしていますが、先が見えなくて困っています」と編集部にメールをくれた、46歳の男性だ。

理容師として働くかたわら、芸能活動

「母から認められたい」

取材中、ヒロアキさん(仮名、46歳)は何度もそう繰り返した。理容師として働くかたわら、芸能活動をしている。昨年、独立して店を持ったが、客足が伸びずに閉店。700万円以上の借金が残った。ここ半年ほど、生活保護を利用しており、理容師の仕事はほとんどしていない。近く自己破産するつもりだという。


この連載の一覧はこちら

ヒロアキさんの掌は、指先や指の付け根が鏡餅のようにひび割れている。傷が深いところでは、赤い肉がのぞいているところもある。パーマやカラーなどの薬剤による手荒れだという。事実上の休業状態にもかわらず、この状態ということは、本格的にはさみを握っていたころはさぞ大変だったのではないか。

「働き始めた当時は、とくにひどかったです。水疱ができて、それが破れてはさみを持つ手がぬるぬるになりました。痛くてかゆくて……。(かきむしらないように)夜は手首を縛って寝てました。まるで拷問でしたよ」

薬剤が合わなくて理容師や美容師の夢を諦める人は少なくない。体質ばかりは努力や能力ではいかんともしがたいからだ。ヒロアキさんはなぜそうまでして理容師になったのか。きっかけは高校受験に失敗したとき、母親から「手に職を付けなさい」と、理容師になることを勧められたからだという。痛みに耐えながら仕事を続けた理由はただ1つ。

「母に認められたかったから」

手荒れには悩まされたが、雇われ理容師としては成功した。深夜まで居残り、パンチパーマなどの技術を身に付け、月40万円近く稼いだ時期もあったという。20代で結婚、35年の住宅ローンを組んで約2500万円の戸建ても買った。結婚と家の購入はヒロアキさん自身が決めたことでもあったが、やはり根底にはこんな思いがあったという。

「母に認められたい」。ヒロアキさんは「(結婚して)家庭でも持てば、認めてもらうことができると思ったんです。(家の購入は)学歴もあり、サラリーマンになった兄と比べられてずっと苦しかったので、早く自分の城を構えて、兄とは違うんだということを母に見せたかった」と振り返る。

結婚して間もなく、ヒロアキさんは最初の独立を試みた。50代、60代の理容師の需要は少なく、従業員として働き続けた場合、給料が右肩下がりになることは目に見えていたからだ。しかし同時にヒロアキさんを駆り立てたのは、またしても「母に認められたい」という思い。「母に奪われてきた自己肯定感を取り戻すには独立しかないと思ったんです」。

しかし、新しい店舗は採算が取れないまま閉店。失敗の原因は「開業資金が十分ではなく、経営が軌道に乗るまで持ちこたえられなかったから」だという。当時は住宅ローンの返済も始まり、新婚で家電家具などを買いそろえたりする中、貯金はほとんどなかった。ヒロアキさんは雇われ理容師に戻ることを余儀なくされた。

ちなみに昨年の独立は2度目の挑戦。このときの失敗の原因として、ヒロアキさんは資金不足と、仲介業者から紹介された立地の悪さを上げた。立地条件はともかく、最初の起業が資金不足のせいでうまくいかなかったという自覚があるなら、なぜその教訓を生かさなかったのか。私がそう尋ねても、ヒロアキさんから明確な答えは返ってこなかった。

「母に認められたかったから」。私には、ヒロアキさんがそう言っているようにも見えたけれど、はたしてそれはうがちすぎだろうか。

なぜ母親に認められたいと切望するのか

結局、ヒロアキさんは自宅を売却。売値は購入時の半値以下だった。そして、数年前には妻とも離婚。ヒロアキさんが何か始めるとき、多かれ少なかれ「母に認められたいから」という欲求がきっかけになっているわけだが、時にそのこだわりが判断を狂わせ、選択を誤らせているようにも見えた。

ヒロアキさんはどうしてそうまでして母親に認められたいと切望するようになったのか。

ヒロアキさんの両親は彼が小学生のときに離婚。父親は小説家志望で、有名な文芸誌で賞を取ったこともあると聞いた。ただ、小説で食べていくことはかなわなかった。性格は穏やかだったが、定職に就こうとせず、わずかに稼いだお金も競輪や競馬などのギャンブルにつぎ込んでしまうような人だったという。

ヒロアキさんは離婚後、音信不通となった父親のことを「父親としてはダメだったけど、人間としてはかわいい人だと思う」と懐かしむ。翻っていわゆる女手一つで自分を育ててくれた母親に対しては「いつも感情をストレートにぶつけられ、やることなすこと否定されました」と、辛口の“評価”を下す。

中学卒業を控え、ヒロアキさんが俳優になりたいという夢を打ち明けたときも「そんな顔でなれると思ってんの?」と一蹴されたという。

子どものころから趣味は映画鑑賞。古い映画が2本立てで上映される映画館に通い詰めたり、当時急速に店舗展開されたレンタルビデオ店で作品を借りたりした。中でも夢中になったのはジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』。彼が演じる、鬱屈した思いを抱えた若者に自らを重ね、大人に反発する姿に憧れたという。ロビン・ウィリアムズやトム・ハンクスといった演技力に定評のある俳優も好きだという。

抑圧され、否定されてきた感情を、彼らのような俳優になれば表出できるのではないか。そう思い、ほんの一時期、アルバイトをしながら養成学校に通い、小劇団に所属したりもした。しかし、芽は出なかった。母親から「いつまでやるの? それ以上続けるなら、うちから出てって」と言われたことをきっかけに、理容師修行に本腰を入れるようになったのだという。

独立、失敗を繰り返したとき、元妻から「あなたは発達障害なのではないか」と指摘されたことがある。しかし、ヒロアキさんは、自分は発達障害ではないと主張する。その理由も「もし、私が発達障害だとしたら、だから母は認めてくれなかったんだ、やはり母は正しかったんだということになってしまう。それじゃあ悔しいじゃないですか」。

母に認められたい――。ヒロアキさんが繰り返す言葉からは、無償の愛情を求めることと、それが得られないと感じるゆえの反発が交錯するさまが透けて見えるようだった。

芸能活動をするのは自由だが…

現在、ヒロアキさんは生活保護を利用し、理容師としてはフルタイムでは働いていないことは冒頭で触れた。一方で、子どものころからの夢を実現すべく40歳を過ぎたときに芸能事務所に所属。昨年はある映画のテーマソングを歌うことになり、ラジオ出演などの機会も得た。ヒロアキさん自身、今は芸能活動に力を入れていると言い、1カ月に1、2万円ほどの収入があるという。

ヒロアキさんが芸能活動をするのは自由だ。しかし、技術も経験もある理容師として十分な収入を得ることができるのに、生活保護を利用することに対しては、このご時世、世間からの風当たりも強かろう。これに対し、ヒロアキさんはこう説明した。

「私だって生活保護を受けるのは申し訳ないし、恥ずかしいと思ってます。ケースワーカーからも『あなたの夢の実現ために、保護費はあるんじゃありません』と言われました。だから、私からは(生活保護を)辞退しますと言ったんですよ。でも、『野垂れ死にされたら困る』と言ってやめさせてくれないんです。

(理容師の仕事をセーブしているのは)債務整理をお願いしている弁護士から『生活保護から外されないために、あまり働かないように』と言われているんです。実は、少したちのよくない所からもお金を借りていて……。働いてお金を稼ぐと、すべて取り立てられる恐れがあるから、生活保護を受け続けるようにとアドバイスされているんです」

借金の取り立てから逃れるために生活保護を利用する――。はたしてこんな方法はアリなのか。知り合いのケースワーカーに聞いてみたところ、実はありうる話だという。

最低限度の生活を維持するという制度の趣旨から、保護費から借金を返済することはできない。逆もしかり。保護費と知りながら、借金を取り立てることもまたできないのだ。

このケースワーカーによると、弁護士が依頼人を悪質な取り立てから守るために、自己破産までの間、あえて働かずに生活保護を利用するようアドバイスすることはあるという。セーフティーネットとしての生活保護制度には不十分な面もあるが、いったん利用できれば、それなり手厚く守られるということなのだろう。

「俳優として成功できると思いますか?」

ヒロアキさんとは、夕方の早い時間に都内のファミリーレストランで落ち合った。私は、ヒロアキさんから体質的に合わない理容師を続けた理由や、独立を急いだ理由を聞いても、どこか釈然とできずにいた。


「母から認められたい」。取材ノートを見直すと、この言葉があちこちにメモされていた(筆者撮影)

「母に認められたいから」という言葉にすべてを集約してわかったような気になっていいのだろうか、という迷いがあった。取材は長引き、気がつけば終電の時間が迫っていた。さすがに潮時だろう。

ノートを閉じかけたとき、ヒロアキさんが切羽詰まった様子でこう尋ねてきた。「俳優として、私は成功できると思いますか?」。

難問である。少なくとも「母から認められたい」と思っているうちは、難しいだろう。当然ながら、親は意図的に子どもから自己肯定感を奪うわけではない。

「愛の反対は憎しみではなく無関心」という言葉があるけれど、愛憎半ばしているうちは親の呪縛からは逃れられない。それこそ親の死に目に会えなくても「それが何か?」と言える境地に一度は至らなければ、いったん歪んでしまった絆から自由になることはできないと、私は思う。

迷った末に、私はただこう答えた。「成功してほしいと思っています」。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。