若者が兵庫・尼崎に集まるのはなぜ?カギを握るのは“平成最後の城”
全国有数の「工業都市」兵庫県尼崎市が、都市のイメージチェンジや観光振興へ挑んでいる。若い世帯の市内転入を伸ばしているほか、再建した尼崎城を29日から一般公開する。城を新たなシンボルに「観光都市」にも生まれ変わろうとしている。かつて苦しんだ公害や事業所の減少による負のレッテルを返上できるのか。地域や産業を変革する好機を迎えている。
若い世帯の転入伸ばす 住環境整備に力
尼崎市は2018年、住宅ローンのアルヒが選ぶ「本当に住みやすい街大賞in関西」の首位に輝いた。キリンビール工場跡地のJR尼崎駅前を中心に大型商業施設の充実や大阪への便利な交通が好評価された。稲村和美市長は「定住や転入を促進し、住みやすさが裏付けられた」と自信を示す。市の人口も同年、9年ぶりに442人増加。転入は3年連続転出を上回った。
尼崎市は阪神工業地帯の一角を担い、高度成長期に深刻な大気汚染や排水問題を引き起こし「公害の街」とも呼ばれた。それを機に国に先駆け厳しい環境規制を導入、公害は克服した。しかし、その後は事業所の減少が「工都」に追い打ちをかける。一例では、パナソニックのプラズマディスプレー尼崎工場が撤退。地域経済を支える中小企業も激減した。人口は最盛期の70年の55万人から、15年に45万人まで減った。
わずかながらも人口増に転じた要因の一つは、JRの尼崎駅前や塚口駅前の大手工場跡地など再開発の促進。尼崎市は再開発を通じ強みの交通の利便性を生かす住環境の整備に注力した。住宅と事業所の混在解消も図った。家族世帯の子育てや教育も手厚く支援し、「転入超過は20―30代が中心になっている」(稲村市長)。
観光振興で経済活性化
尼崎城の再建計画もムードが上向く中で持ち上がった。尼崎市にゆかりのある旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保詮(あぼ・あきら)氏が15年、私財10億円超を投じ城を再建し、市に寄贈すると申し出た。景気低迷などによる収支不足で厳しい財政再建下にある市は、望外の観光資源を手に入れた。これを受け17年には「観光地域づくり推進指針」を策定。城を核に地域の「稼ぐ力」(稲村市長)を高める施策をまとめた。
18年には指針の事業を担う外郭団体「あまがさき観光局」も設立。同年10月に城はほぼ完成し「平成最後の城」の開場が近づいている。
郷土の尼崎城を事業開拓のチャンスとする市内の意欲的な中小企業も増えている。チューブロックは、パイプ状の丸いブロック「チューブロック」で制作した尼崎城を市に寄贈した。チューブロックの鈴木隆也社長は「チューブロックは建築の試作にも利用できる」と強調する。
樹脂部品メーカーの中野製作所は尼崎城のグッズ事業を始めた。技術を生かし、城を描いたアクリルプレートや城のゆるキャラなども提案している。精密な金属製文具を得意とするデライトラボも、城の土産として独自のボールペンやペンスタンドを製品化した。
尼崎城の維持や管理に充てる尼崎市民らからの寄付は、目標の1億円を上回る2億円に達した。
城の瓦に寄付者を記名できる「一枚瓦」や、城内に寄付者名を掲示する「一口城主」による寄付が人気を呼んだ。市で生まれ育った多くの市民が恩返しにと寄付した。地元愛のエネルギーが地域再生の底力になる。
インタビュー/尼崎市長・稲村和美氏 女性が喜ぶ土産開発支援
稲村和美氏は10年、当時では全国最年少の女性市長に就任。18年11月から3期目を務める。地域や産業振興の方針などを聞いた。
◇
―家族世帯の定住を重視しています。
「JR塚口駅前の森永製菓工場跡地で開発された住宅地のように、多くの地区で人が増えた。尼崎で子育てし、活躍もできる地道な環境づくりが実ってきた」
―「工都」の産業構造は変わりましたか。
「尼崎はモノづくりの街だが、社会や環境と共存する企業が増えている。女性が子育てと両立できる就労環境を整え、労働力も得ている。臨海部では物流工場が増えた。物流も加工の雇用力がある。こうした新しい分野が元気になっている」
―訪日外国人や2025年の大阪・関西万博も観光に好機です。
「魅力的な観光拠点や女性が喜ぶ土産などの開発も支援したい。大阪からにじみ出る宿泊需要もあるので、ホテル進出の規制緩和も考えている。駐輪や喫煙のマナー向上を訴えて、街のイメージアップも努めている」
―尼崎を支える中小企業やベンチャー企業を活性化する施策は。
「円滑に事業承継するため職員らによる企業訪問を続け、地元の産官一体で支える。尼崎には子育てなど社会の課題解決に取り組むベンチャーが多い。神戸や大阪、京都で起業するのは『敷居が高い』と感じる志望者も歓迎したい。サポーターが伴走し、事業化を手伝う。従業員の健康を守る企業を補助する制度も進めている」
―3期目の課題は。
「10月に完成する子育て・青少年支援拠点をはじめ、施策の成果を確実にしていく。国認定の『環境モデル都市』尼崎として、持続可能な開発目標(SDGs)の施策にも取り組みたい」
■尼崎城とは■
尼崎城は1617年に譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)が幕府に命じられ、数年かけ現在の尼崎市北城内・南城内地区に築いた。敷地は甲子園球場の3・4倍、堀は3重、天守は4層と壮大で、幕府直轄の大阪の西を守る重要な役割を担っていた。1873年の廃城令後は壊され堀も埋められ、姿を完全に消してしまった。
再建された尼崎城の天守はかつての勇姿をほぼ再現できた。江戸時代の図面「尼崎城分間絵図」が残っていたためで、寸法も記載されている。敷地や予算の制約から、再建範囲は当時の城の4分の1程度。立地場所や向きも実際とは異なる。建屋は鉄筋コンクリート5階。展示にはコンピューターグラフィックス(CG)で往時の城や城下町を感じ取れる仮想現実(VR)の視聴覚設備も配置する。尼崎の歴史、紹介、美術品の展示や、当時の生活様式体験と催しのコーナーも設ける。尼崎市民も観光客も最新技術で楽しめる「現代の城」として整備する。入城料は一般500円など。
(文=大阪・田井茂)
若い世帯の転入伸ばす 住環境整備に力
尼崎市は2018年、住宅ローンのアルヒが選ぶ「本当に住みやすい街大賞in関西」の首位に輝いた。キリンビール工場跡地のJR尼崎駅前を中心に大型商業施設の充実や大阪への便利な交通が好評価された。稲村和美市長は「定住や転入を促進し、住みやすさが裏付けられた」と自信を示す。市の人口も同年、9年ぶりに442人増加。転入は3年連続転出を上回った。
わずかながらも人口増に転じた要因の一つは、JRの尼崎駅前や塚口駅前の大手工場跡地など再開発の促進。尼崎市は再開発を通じ強みの交通の利便性を生かす住環境の整備に注力した。住宅と事業所の混在解消も図った。家族世帯の子育てや教育も手厚く支援し、「転入超過は20―30代が中心になっている」(稲村市長)。
観光振興で経済活性化
尼崎城の再建計画もムードが上向く中で持ち上がった。尼崎市にゆかりのある旧ミドリ電化(現エディオン)創業者の安保詮(あぼ・あきら)氏が15年、私財10億円超を投じ城を再建し、市に寄贈すると申し出た。景気低迷などによる収支不足で厳しい財政再建下にある市は、望外の観光資源を手に入れた。これを受け17年には「観光地域づくり推進指針」を策定。城を核に地域の「稼ぐ力」(稲村市長)を高める施策をまとめた。
18年には指針の事業を担う外郭団体「あまがさき観光局」も設立。同年10月に城はほぼ完成し「平成最後の城」の開場が近づいている。
郷土の尼崎城を事業開拓のチャンスとする市内の意欲的な中小企業も増えている。チューブロックは、パイプ状の丸いブロック「チューブロック」で制作した尼崎城を市に寄贈した。チューブロックの鈴木隆也社長は「チューブロックは建築の試作にも利用できる」と強調する。
樹脂部品メーカーの中野製作所は尼崎城のグッズ事業を始めた。技術を生かし、城を描いたアクリルプレートや城のゆるキャラなども提案している。精密な金属製文具を得意とするデライトラボも、城の土産として独自のボールペンやペンスタンドを製品化した。
尼崎城の維持や管理に充てる尼崎市民らからの寄付は、目標の1億円を上回る2億円に達した。
城の瓦に寄付者を記名できる「一枚瓦」や、城内に寄付者名を掲示する「一口城主」による寄付が人気を呼んだ。市で生まれ育った多くの市民が恩返しにと寄付した。地元愛のエネルギーが地域再生の底力になる。
インタビュー/尼崎市長・稲村和美氏 女性が喜ぶ土産開発支援
稲村和美氏は10年、当時では全国最年少の女性市長に就任。18年11月から3期目を務める。地域や産業振興の方針などを聞いた。
◇
―家族世帯の定住を重視しています。
「JR塚口駅前の森永製菓工場跡地で開発された住宅地のように、多くの地区で人が増えた。尼崎で子育てし、活躍もできる地道な環境づくりが実ってきた」
―「工都」の産業構造は変わりましたか。
「尼崎はモノづくりの街だが、社会や環境と共存する企業が増えている。女性が子育てと両立できる就労環境を整え、労働力も得ている。臨海部では物流工場が増えた。物流も加工の雇用力がある。こうした新しい分野が元気になっている」
―訪日外国人や2025年の大阪・関西万博も観光に好機です。
「魅力的な観光拠点や女性が喜ぶ土産などの開発も支援したい。大阪からにじみ出る宿泊需要もあるので、ホテル進出の規制緩和も考えている。駐輪や喫煙のマナー向上を訴えて、街のイメージアップも努めている」
―尼崎を支える中小企業やベンチャー企業を活性化する施策は。
「円滑に事業承継するため職員らによる企業訪問を続け、地元の産官一体で支える。尼崎には子育てなど社会の課題解決に取り組むベンチャーが多い。神戸や大阪、京都で起業するのは『敷居が高い』と感じる志望者も歓迎したい。サポーターが伴走し、事業化を手伝う。従業員の健康を守る企業を補助する制度も進めている」
―3期目の課題は。
「10月に完成する子育て・青少年支援拠点をはじめ、施策の成果を確実にしていく。国認定の『環境モデル都市』尼崎として、持続可能な開発目標(SDGs)の施策にも取り組みたい」
■尼崎城とは■
尼崎城は1617年に譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)が幕府に命じられ、数年かけ現在の尼崎市北城内・南城内地区に築いた。敷地は甲子園球場の3・4倍、堀は3重、天守は4層と壮大で、幕府直轄の大阪の西を守る重要な役割を担っていた。1873年の廃城令後は壊され堀も埋められ、姿を完全に消してしまった。
再建された尼崎城の天守はかつての勇姿をほぼ再現できた。江戸時代の図面「尼崎城分間絵図」が残っていたためで、寸法も記載されている。敷地や予算の制約から、再建範囲は当時の城の4分の1程度。立地場所や向きも実際とは異なる。建屋は鉄筋コンクリート5階。展示にはコンピューターグラフィックス(CG)で往時の城や城下町を感じ取れる仮想現実(VR)の視聴覚設備も配置する。尼崎の歴史、紹介、美術品の展示や、当時の生活様式体験と催しのコーナーも設ける。尼崎市民も観光客も最新技術で楽しめる「現代の城」として整備する。入城料は一般500円など。
(文=大阪・田井茂)