和歌山市中心部、虎伏山にそびえる和歌山城は、「日本名城100選」のひとつ。

和歌山城の歴史は、1585年、紀州を平定した豊臣秀吉が、弟の秀長に築城を命じたことにはじまります。こんもりと緑茂る高台から市街を見下ろす城郭は、まさに和歌山のシンボル。ところが、和歌山城が歩んできた道のりは決して平坦なものではありませんでした。

2度の破壊を経て、1958年に再建された天守閣は、2018年で再建60周年を迎えます。

16世紀の創建時、建設を手がけたのが築城の名人・藤堂高虎。和歌山城は、彼が手がけた最初の本格的な近世城郭でした。その後1600年に関ヶ原の戦いで功績のあった浅野幸長が37万6千石の領主となり、城の大規模な増築を行います。

さらに、1619年には徳川家康の10男・頼宣が入城。御三家紀州藩が成立し、和歌山城は55万5000石の城となりました。頼宣は二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を造営。ほぼ現在の姿となります。

当初は順風満帆に見えた和歌山城を悲劇が襲います。1846年、天守閣が落雷で焼失。4年後の1850年に再建され、1935年には旧国宝に指定されましたが、1945年に米軍の爆撃により再び焼失。和歌山市街地も大きな被害を受け、1100人以上の市民が命を落としました。

「パンか郷愁か」「城よりも住宅を」と、生活難にあえぐ市民もいるなか、和歌山城天守閣の再建に着手することへの批判の声もあったため、戦後の再建はすぐには進みませんでした。

しかし、最終的には総額5750万円(当時)の寄付金が集まり、1958年に外観をそのままにして鉄筋コンクリートで再建されたのです。ちなみに、最も多額の寄付を行ったのは和歌山市出身で現パナソニック株式会社創業者の松下幸之助氏。一般市民も、瓦一枚一口からの募金に参加しました。

1958年10月1日、1億2022万円の工費を費やした天守閣がようやく完成。その日から5日間は「お城まつり」が開催され、この期間に天守閣にののぼった人は8万人を数えました。その数字からも、当時の和歌山市民にとって、和歌山城天守閣の再建が、どれほど喜ばしく、誇らしいものであったのかが想像できます。

過去に城内にあった建物のなかには、長い歴史のなかで失われてしまったものもありますが、現在は、江戸時代の内郭にあたる部分一帯が広々とした公園となっています。

和歌山市役所の向かいにある大手門から城内に入ったら、まずは天守閣を目指しましょう。

和歌山城の石垣には、紀州特産の青みがかった緑泥片岩が多く使われていて、そんなところにも和歌山らしさが表れています。

3代目となる和歌山城の天守閣は、三層の大天守閣と二層の小天守閣が、多門櫓(たもんやぐら)で結ばれた連立式天守。和歌山城は、兵庫県の姫路城、愛媛県の松山城とともに、「3大連立式平山城」に数えられています。

複雑なシルエットをした天守閣は、さほど大きくはないものの、とても優雅。白壁が青空によく映えます。

天守閣内は、徳川家ゆかりの品など、和歌山の歴史を物語る貴重な品々が詰まった資料館となっています。

大河ドラマ好きなら1995年にNHKで放映された「8代将軍・吉宗」のセットとして使われた虎の襖絵も必見。

天守閣の上からは、紀ノ川を抱き、山に囲まれた和歌山市街が一望できます。かつての城主が眺めていた風景とはずいぶん違っているでしょうが、紀ノ川のゆったりとした流れと、穏やかな雰囲気は、今も昔も変わらないのかもしれません。

2017年には、本丸御殿後にビュースポットが整備され、敷地内から緑の丘にそびえる天守閣の全景が楽しめるようになりました。

公園内には、殿様とお付きの者のみが使った御橋廊下(おはしろうか)や名勝に指定されている西ノ丸庭園、動物園、歴史館まであるので、半日ほどゆっくりと時間をかけて観光するのがおすすめです。

徳川家の輝かしい歴史と、戦災による苦難の歴史、両方をあわせもつ和歌山城。その歴史と、城の再建に尽力した人々に思いをはせれば、和歌山城への訪問がいっそう特別なものになることでしょう。

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名前 和歌山城
住所 和歌山県和歌山市一番丁3
公式サイト http://wakayamajo.jp/index.html