宝塚歌劇の聖地「Pasta」、ファンと歩んだ35年 歴代ジェンヌが愛した名店の歴史
宝塚歌劇団の本拠地として名高い兵庫県宝塚市。阪急宝塚駅から大劇場へとつながる道の途中にレストラン「Pasta(パスタ)」は店を構えている。
タカラジェンヌ御用達の名店・パスタへ
宝塚歌劇団のOGやファンにはお馴染みの店だという。筆者もかつてこの一帯で仕事をしていた際、頻繁に訪れた場所だ。Jタウンネット編集部は東京から飛び出し、数々の人に愛された名店に取材を行った。
飾らない味が普遍性となった
今回、訪れる店は阪急宝塚駅と宝塚大劇場の通り道にある。花のみちセルカと名付けられた建物は、その隣にある「花のみち」と呼ばれる駅から劇場を結ぶ遊歩道に因んで名づけられている。その一角に店を構える「Pasta」は、観劇を間近に控えた人やショーが終わって胸がいっぱいの人が交差する場所だ。
花のみちセルカ2階から大劇場を望む。右下の車道から一段高くなっている遊歩道が「花のみち」。
筆者が訪れたのはの2018年11月15日の15時ごろであったが、店の外には入店を待つ人がいた。やはり観劇の際にはこの場所がベターなのであろう。後ほど店員に聞いたところ、11時からの公演が終わった人たちで混雑しているそうだ。
ピンクの壁が可愛らしい外観が印象的だ。店を入ってすぐ右にレジがあるのだが、数々のスターたちのサインや写真が並んでいる。ファンが多く訪れる店ならではの装飾と言える。
レジ周辺。数々のスターに目を奪われる。もちろん、直筆サインも
この店を訪れるのはファンだけでない。タカラジェンヌたちもこの店の味をこよなく愛した。テレビ番組では遼河はるひさん、真矢ミキさんらがPastaに足繁く通っていたと明かしている。
ここまでの情報を並べると観劇経験が何故か1度もない筆者が行くのが忍びない気もする。しかし、私にとっても思い出の店に変わりない。ここはしっかりリポートをせねば――。
豚高菜ピラフ
筆者が注文したのは「豚高菜ピラフ」だ。実はタカラジェンヌへの差し入れとして提供される知る人ぞ知る逸品。ソースなどがかかっておらず、油のテカリもないドライなピラフは「冷めてもおいしい」と評されることもある。
高菜と卵の相性は抜群
高菜漬を炒めた場合、独特の臭気を発することもあるが、このピラフにはない。程よい塩気が感じられ、食欲をそそる。
しょっぱさや酸味といった高菜独特の主張は抑えられ、玉子と豚肉が独自にまとった塩味と合わさる。味のバラエティさではなく、それぞれが結びつくがっちりとした味付けは最後の一口まで楽しめる。しかし、乱雑で味のパンチが強くはないので、飽きが来ない。
店によっては大盛りとして出されているようなボリューム感でも夢中になる味付けからあっという間になくなってしまう。
高菜チャーハンなど似た料理は世にあっても、それぞれの味ががっちり握手して一本の太い味として楽しませてくれるのはこの店だけであろう。
沢山の人に支えられて
食後、ある程度混雑が落ち着いたタイミングで、創業時からずっと店を支えてきたマスターの妻・中川貴子さんにお話を伺うことができた。
創業の正確な年数は不明であるというが、55歳のご主人が20歳の時に始めたとのことで少なくとも35年は続いている。
宝塚に根付いた営業をしているが、元々は大阪・心斎橋で現在のご主人の父親が始めたお店。当時、イタリア料理の麺類と言えばスパゲティという呼び名しかなかった時代に「パスタ」の名称を使うのは斬新であった。
宝塚移転後の象徴的なメニューであるピラフ類は心斎橋での営業形態が喫茶店であったことの名残だという。
今でこそ宝塚歌劇団は切っても切れない存在になったが、いつからかかわりがあったのか、
「宝塚に移転してきた当初、2回目のベルばらブーム。一路真輝さんや天海祐希さんが出演していたときです」
と語る。この時からファンからタカラジェンヌへと店の評判が広がり始めた。
「出待ち・入り待ち」と呼ばれるタカラジェンヌの劇場の出入りをファンが張る。しかし、いつ誰が劇場に入るのかわからない。時期によっては外で待ち続けるのが難しい気候もある。そんな時に交代でファンが劇場を見張り、見張っていない者がパスタで待機した。これも劇場から近いからこそと言える。
また、私設ファンクラブのスタッフたちが頻繁に利用したことから徐々にファンの間で浸透。いつしかタカラジェンヌたちにも評判が届いて、差し入れの配達ができる店舗へと成長した。
「ファンの方がいたからこそ配達ができるようになりました」
こうした立地が生んだ「絆」は、ファンがいたからこそ生まれたものだという。
タカラジェンヌたちが直接、この店を知ることもある。宝塚音楽学校の生徒だったときにパスタを訪れる人が多く、先述の遼河はるひさんも在学中に頻繁に通っていた。そこから劇団員になると配達での注文でパスタの料理を注文する。
「先輩から後輩にも話がつながっているようで」
と、タカラジェンヌたちの間でも受け継がれる「伝統」としての歩みも始まっているようだ。
震災を乗り越えて
一見すると順風満帆に思えるPastaの歩みだが、営業継続が危ぶまれたこともあった。それは1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災だ。
宝塚市の公式サイトによると死者118人、負傷者2201人。建物も全壊が3559棟に及び被害は甚大であった。Pastaも例外ではなく建物が全壊する大きな被害を受けた。
営業する場所がない――。そんな中、Pastaは仮設店舗での営業を決意した。現在使われている花のみちセルカは2000年9月から運用開始。仮設での営業は5年もの長きにわたり、中川さんはこの間を「ブランク」と表現した。
実は旧店舗と仮設、そして現在の新店舗の3つをよく知るお笑い芸人がいる。それがアジアンの隅田美保さん。彼女は約7年間、Pastaで店員として働き、震災から仮設店舗への移行の際もついてきたことからお店の歴史には欠かせない正に伝説のアルバイトなのだ。
右が隅田さん(2017年、J-CASTニュース撮影)
宝塚の名店として名高いPasta。しかし、中川さんはインタビュー中、
「個人経営の店で、本当に色んな人に支えられて続けました」
と様々な人からの「支え」を繰り返し強調した。また、その支えへの感謝も筆者である私に何度も口にしていた。
きっと中川さんのご主人もアルバイトの方も全員が同じ「愛」をもって訪れる人に接しているに違いない。
どれだけお客さんが増えても、そこにPastaがある限り、熱いハートがそこにあるはずだ。
(Jタウンネット編集部 大山雄也)