アニソンで読み解く「平成」時代:価値観にとらわれない「新人類」と涼宮ハルヒ(平成18年)
無意識のうちにその年の世相とぴったりマッチするヒット曲は意外とある。もちろん、直接的な関係は皆無である。しかし、当時の世相や出来事を思い返すと、なんとなくそれを彷彿とさせるような歌詞の曲があるものなのだ。
私は今回、平成18年(2006年)を代表する曲として、その年放送のとあるアニメのOP曲を選んだ。どんな曲がモチーフになっているのか想像していただければ幸いである。
パラダイム・シフトが起きた「変革」の時代
平成18年(2006年)は既存の価値観及び概念が取り払われた、いわばパラダイム・シフトが起こった時代のように感じる。従来とは異なる新しい価値観を有する若者たちのことが「新人類」と呼ばれ、新語・流行語大賞に選ばれたのが昭和61年(1986年)だが、それから20年となる節目のこの年には、「新人類」以上に新たな価値観が普及した時代だったと言えるだろう。
安倍内閣の発足と「美しい国」
安倍晋三首相(2017年9月撮影)
平成18年9月、小泉純一郎の総裁任期満了に伴い、自民党総裁選が行われた。その結果、安倍晋三が総裁となり、9月26日、第一次安倍内閣が成立した。安倍氏は就任直後の記者会見では小泉内閣の下で行われた構造改革の続行を宣言したが、それと同時に強調されたのが「美しい国」のキャッチフレーズ。同名の書籍は総裁選前の7月に発売されていたが、本格的に使用されたのは総裁選を経て総理大臣に就任した頃からであった。安倍氏は憲政史上初の第二次世界大戦後(1954年)に生まれた総理大臣である。前述の「新人類」はおおよそ1950年代後半から1960年代後半までに生まれた者を指すので厳密には該当しないが、総理大臣に再登板した平成24年(2012年)以降のドラスティックな政策を見ていると、やはり既存の価値観にとらわれていない様にも思える。前任の小泉氏は「ワイドショー型内閣」との異名をとったが、当然のことながらワイドショーはテレビによって視聴者に届けられる一方通行のメディアである。平成18年はメディアが双方向になった時代でもあった。たとえば、SNS運営会社大手のミクシィが上場したのはこの年であるし、ツイッターのサービス開始もやはりこの年だ。明確なエビデンスは全くないが、SNSの普及と「ワイドショー型内閣」の終焉はある種象徴的なめぐりあわせのように思える。
動画投稿サイトの普及
これもある種のSNSともいえるが、ニコニコ動画のサービス開始もこの年である。また、YouTubeは前年にサービス開始したが、この年にgoogleが買収、翌年に日本語版がスタートした。動画投稿サイトの出現により、音楽やイラストの提供、更には従来テレビのバラエティ番組が担っていた役割まで動画投稿者が担うことになった。いわば、動画投稿者は素人であるのだが、自らが投稿した動画がヒットすることにより、プロデビューすることも多くなった。さらにいえば、素人とプロの線引きが曖昧になったとも指摘できよう。これも、既存のビジネスモデルの崩壊とまで書くと大げさかもしれないが、少なくとも従来の価値観を根底から覆すような衝撃であった。
「新人類」と「新人類ジュニア」
「新人類」の子供を「新人類ジュニア」という。先述のように平成18年は「新人類」の定着から20年経過しているので、「新人類ジュニア」は当時おおよそ中学生から高校生だったことであろう(実際、筆者がそうである)。この二つの世代を連結した場合、以下のことが推測できる。「新人類」は既存の価値観にとらわれなかった。それゆえ、彼らが作り出した概念(美しい国、SNS、動画投稿サイトなど)が20年の時を経て具現化した。そして、それの受容者となったのが彼らの子供たちなのではないか。すなわち、「新人類」は従来とは異なる概念を発信したが、「新人類ジュニア」はそれを受容し、いわば乗っかったのである。それから更に12年が経ち、そろそろ「新人類ジュニア」の持つ異なる価値観が具現化される頃だ。その時、私たちの生活はどうなるのであろうか。
2006年を代表するアニメソング
既存の価値観にとらわれない自由奔放な発想、そしてそれの具現化。2006年に放送された「涼宮ハルヒの憂鬱」のOP「冒険でしょでしょ」が象徴的かつ示唆的であろう。歌詞をよくご覧になっていただいた後、それを聞きながら再びこの記事を読んでいただければ幸甚の極みである。