栃木県のとある町に、なぜか立派な「孔子」の像があった
この像は?(写真はすべてJタウンネット編集部撮影)
立派なアゴヒゲの、がっしりとした体格の男性の像だ。どことなくフライドチキンの店の前に置かれているアレに似ていないこともない......。
だが、ちょっと待って......、像の下に書かれた文字にご注目いただきたい。そう、これは中国の偉人「孔子」の像である。ここは中国? それとも横浜の中華街? そうではない。さて、いったいどこだろう?
まちなかサインに『論語』?
足利市内の国道293号から見た足利学校
実は、栃木県の足利市である。では、孔子像はいったいなぜここにあるのか?
「足利学校」という名称をご存じだろうか。「どこかで聞いたことある」と言う人は多いかもしれない。
「たしか日本史で習ったような......」と言う人もいるはずだ。そう、足利学校は「日本最古の学校」と呼ばれている。その創建時期については諸説あるが、室町時代、当時の関東管領・上杉憲実が書籍を寄進したことは記録に残されている。
全国の武将や僧侶の子弟が集まり、中国から伝わる儒学を中心に勉強していた。その儒学の始祖が孔子(紀元前552年‐紀元前479年)、中国の春秋時代の思想家、哲学者である。
現在でも足利市内では、日曜論語素読体験や論語体験プログラムなどが開催されている。また街中では、下のような『論語』の中の文章を掲げた「まちなかサイン」を見かける。観光客に散策してもらうための案内標識に、『論語』の一文が掲載されているのだ。
論語のまちなかサイン
足利学校については、1549年、フランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と西洋に紹介されたという。また「学徒三千」とも言われるほどだったようだ。
儒学を基本に教育していた足利学校も、室町時代の後期になると、いささか様子が変わってくる。応仁の乱以降、戦国大名たちは合戦でいかに勝利をおさめるかということを重視するようになり、徐々に易学や兵学が盛んになっていった。戦国時代、足利学校で易学と兵学を修めた卒業生は、軍師として引手あまただったという。
足利学校の学校門
江戸時代末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治初期に幕を下ろす。1921年、足利学校は国の史跡に指定された。1990年、江戸時代の姿に復元された建物が加わり、史跡として充実することになる。
現代の足利学校の大きな役割はというと、やはり観光だろう、Jタウンネット記者が訪れたのは2018年8月下旬だったが、観光客の数は予想以上だった。家族連れもあれば、年配の夫婦、高年齢層のグループなど、さまざまだった。意外に若者たちのグループの姿も見られた。
入徳門をくぐり、学校門をくぐると、右手に大きな松が見える。これは「字降松(かなふりまつ)」と呼ばれ、読めない字や意味の分からない言葉を紙に書いて、松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈がついていたという伝説が残されている。さらに杏壇門をくぐると、奥に孔子廟があり、孔子坐像が祀られている。
足利学校の方丈
杏壇門の手前を右に進むと、方丈が見える。学生たちの講義や、学習のために使われていたという。その先の庫裡(くり)や書院などと共に、内部を見学できる。小学生高学年の子が「庫裡って何ですか?」と興味深そうに質問していたのが、印象的だった。現代の子どもたちにとっては新鮮に映るのかもしれない。参観料は一般420円、高校生210円だが、中学生以下は無料。子ども連れで行くには、なかなか良い場所かもしれない。
足利市内町並み
足利学校を一歩外に出ると、レトロな町並みが広がっていた。足利は古くから絹織物で栄え、大正から昭和初期にかけては、「足利銘仙」の生産が盛んだったと聞いている。銘仙や古布、和装、洋装、アクセサリーなどを販売するファッショナブルな店が並んでいた。そば店や甘味店、喫茶店、菓子店なども......。
ついつい立ち止まり、覗いてみたくなる素敵な町並みを散策していると、周囲に濠と土塁が張り巡らされた壮大な建造物が現れた。鑁阿寺(ばんなじ)である。東西南北にある橋を渡り、門をくぐらなければ中へは入れない。まさに城のような(やかた)である。
鑁阿寺本堂
南に位置する太鼓橋を渡り、楼門をくぐって中に入る。鑁阿寺の敷地は、12世紀後半に足利氏が築いた居館跡で、約4000平方メートルもある。鑁阿寺創建は、足利氏2代目の足利義兼が館の一角に建てた持仏堂と伝えられている。以後、足利氏の氏寺として、関東を護持する祈願寺として、繁栄してきた。
正面に見える本堂は、室町幕府の初代将軍足利尊氏の父・貞氏が、1299年、再建したとされる。禅宗様建築を取り入れた当時の技術を示していることが評価され、2013年に国宝指定されている。境内には、国指定重要文化財の鐘楼や経堂のほか、歴史的に貴重な建物が多い。
鑁阿寺広場から見た境内
境内は、春は桜、秋は銀杏と、四季折々の草木があふれている。とくに市の天然記念物である樹齢約600年の大銀杏はひときわ目立っていた。鑁阿寺は、足利市民からは「大日さま」と呼ばれ、親しまれており、参拝客の姿も多いそうだ。
足利市を初めて訪れたJタウンネット記者は、すっかり町歩きを楽しんでしまった。東京からさほど離れていない北関東の地に、これほど歴史を感じる町があったとは......、不勉強を深く恥じるばかりである。
東武電鉄の足利市駅に向かう帰路、渡良瀬川の流れを望みながら、旅の満足感にひたっていた。
渡良瀬川