高校時代の3年間のサッカー部生活を語った田中マルクス闘莉王【写真:荒川祐史】

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新連載「ニッポン部活考論」―16歳で初来日、闘莉王が見た「日本の部活」の姿

 東京五輪が2020年に迫り、一躍、スポーツの機運が高まりつつある。そんな日本のスポーツ文化の支えとなっているのは、中学・高校の部活動だ。現在、約350万人の生徒が運動部に所属し、日々、汗を流している。未来のトップアスリートが育つことはもちろん、一般生徒も仲間と勝利を目指す中で学ぶことは多く、部活で得た経験が、その後の人格形成にも役立っている。

 しかし、部活を巡っては指導者による体罰、パワハラ、選手のラフプレーなど、問題がたびたび議論されている。真のスポーツ大国になるために、日本の部活はどうあるべきなのか。「THE ANSWER」では新連載「ニッポン部活考論」を開始。アスリートをはじめ、自身の人生に生きた部活経験談、各部活ならではの良さや課題を語ってもらい、日本の部活の在り方を考えていく。

 第1回に登場してくれたのは、サッカー元日本代表DF田中マルクス闘莉王(J2京都サンガF.C.)。高校入学を機にサッカー留学で生まれ故郷のブラジルから来日。後に日本代表でワールドカップ(W杯)を経験することになる闘将が、全く異なる文化でカルチャーショックを受けたという高校3年間で学んだもの、日本の部活で気付かされたものとは――。

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 高校時代の3年間のサッカー部生活――。1998年1月に生まれ故郷のブラジルから来日した闘莉王にとっては文字通り、人生を一変させる体験だった。サッカー留学で日本にやってきた男は、渋谷教育幕張高(千葉)に入学。初めて「部活」というものを体験することになる。

「高校時代のサッカー部での3年間は一生忘れられないでしょう。来日当時は日本語が全く話せなかった。本当に苦しかったけど、あの時の苦労があるから今の自分があると思います」

 闘莉王は懐かしそうな表情で20年前の当時を振り返った。中学時代に地元サッカークラブ「ミラソル」でプレー中、渋谷教育幕張高の宗像マルコス望監督の目に留まった。スカウティングされ、来日を決意。祖母は日本語堪能だったが、日系三世の16歳は日本語が全くわからなかった。

「ブラジル時代、学校の部活はありませんでした。自分の街にはスポーツクラブがあったけど、みんなで集まって練習などもしません。土曜日にたまに試合がある程度。アマチュアの大会や草サッカーの試合には出たりしていました。中学時代はバレーボールのチームに入っていたけど、メンバーが集まって練習することはほとんどない。地区大会くらいには出ていても、正直部活とは言えないレベルでした」

「5分前集合」「先輩の洗濯」とは無縁、遅刻癖が抜けず監督に怒られる日々

 渋谷教育幕張高の3年間。千葉県選抜に選出され、国体優勝メンバーとなった。3年生で県予選決勝で直接FKを叩き込み、同校史上初の全国選手権大会出場に導いたが、高校生活の第一歩には人生観を揺るがすカルチャーショックが待っていた。

「日本に来て、部活の規律の厳しさというものが、自分にとっての大きな壁でした。ブラジルでは遅刻して当たり前。何て言うんですかね、“ルーズさ”というのがたくさんある国なので。日本に来て、電車が59分発だったら、59分にちゃんと出発するというのは、自分の感覚には全くなかった。今でもブラジルに戻ると、仲間との食事の集合時間が12時だったら、12時30分でも1時でもいいくらい。基本的に“時間を守る”という概念が全くなかったんです」

 ラテン気質の国で暮らしてきた環境では「時間厳守」「5分前集合」という部活の鉄則とは無縁。入部1か月はブラジル時代の慣習が抜けず、監督から何度も怒られた。当時はブラジルから毎年1人、サッカー留学生が入部。だが、日本の流儀に馴染めずに遅刻癖が抜けず、部活でも浮いた存在になってしまう先輩もいた。練習場を整備するためにトンボをかける。先輩のユニフォームを洗濯する。ブラジル時代ではなかったことだ。

「日本とブラジルのギャップがあまりにもありすぎた。言葉遣い、目上の人に対するリスペクト、上下関係というものも部活に入ってから気づかされたものです」

 高校での活躍で卒業後、J1サンフレッチェ広島に入団。プロとしてのキャリアを歩き始め、2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で日本代表をベスト16に導くに至った。華やかなキャリアも、日本の部活で過ごした3年間がその礎となったという。

「部活の財産はブラジル時代の緩さ、という部分をなくしてくれたことだと思います。一流の国がこうやってやるんだという、その流儀を学ぶことができました。もっと小さな時からから日本に来ていたら、難しさを実感することはなかった。人格が多少でき上がっていた自分にとっては苦労しました。これが正しいと思っていた価値観があったから。白黒をつけることができる年齢になってから、自分が正しいと思っていたことが、まったく正しいものではないことが日本に来て分かったことです」

今までの「正しい」は間違いと気づき、乗り越えた規律の壁「どんなタイトルより財産」

 誰よりも規律にルーズだった16歳は、誰よりも規律に厳しい“闘将”として日本サッカー界に君臨している。部活に励んだ3年間でブラジルの価値観を捨てることができたことは、2003年に日本国籍を取得した闘将にとって人間的に大きな成長だったという。

「ブラジルは日本よりも2000年くらい遅れていると思いましたね。正しいと思って、今までやってきたものは全部、間違っていた。それを認めなきゃいけない。それを認めた上で直さなきゃいけないのが、すごく難しかった。日本語も必死に勉強して1年、2年ぐらい経つと、だいぶ読み書きもできるようになりました。言葉の問題もそうですが、規律の壁を乗り越えたのが自分の中で大きかった。規律が大事と理解できた。どんなサッカーのタイトルよりも、どんな学業の成績よりも自分の中では財産だと思いますね」

 仲間と部活で3年間、切磋琢磨する中、培った規律正しさこそ人生の財産。選手権の晴れ舞台に立った記憶よりも、闘莉王の心に深く刻まれている。(THE ANSWER編集部)

田中マルクス闘莉王
1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。37歳。98年、渋谷教育学園幕張高にサッカー留学で来日。01年、広島入団。03年、日本国籍を取得し、登録名を「トゥーリオ」から「田中マルクス闘莉王」に変更。04年アテネ五輪では3試合全てに出場。10年W杯南アフリカ大会では4試合全てに出場し、16強進出に貢献。代表通算43試合8得点。17年、京都サンガF.C.に入団。同年、Jリーグ史上初のDF登録選手による通算100得点を達成した。185センチ、85キロ。