「直角に曲がる」
 名捕手・古田敦也は彼の高速スライダーをそう表現した。1993年、野村ヤクルトのドラフト1位ルーキー・伊藤智仁(47)は実働わずか3カ月ながら、7勝2敗、防御率0.91という驚異的な成績を記録、新人王に輝く。原動力となったのが、高速スライダーだった。

 しかし、この魔球は右腕に多大な負担をかけることとなり、その後右肘、右肩を故障。長く険しいリハビリ生活を送ることに。それでも、1996年シーズンに復活すると、翌年にはリリーフ投手として活躍。チームの日本一に貢献し、カムバック賞を獲得した。

 しかし、再び右肩を故障し、2003年に惜しまれつつ現役を引退した。新人時代のまばゆい輝きと、怪我との不屈の闘いで「記録より記憶に残る」伝説の投手が、今シーズンを斬る。

大谷翔平のメジャーデビューは圧巻やったね。
 まずは投手としての大谷について話そうか。オープン戦を見る限り、『メジャー仕様のマウンドやボールに適応しきれていないな』って印象だったかな。でも、僕もメジャーのキャンプに参加した際に感じたけど、この点はすぐに慣れると思うよ。

 少し気がかりなのが、スライダーがあまりよくないこと。デビュー戦では、自信を持って投げたスライダーがすべて変化不足で打たれていた。

 その影響なのか、2戦めはスプリット中心の組み立てでピッチングの幅を広げていた。でも、スライダーは投手の生命線。これが使えないと苦しいね。

 とはいえ、メジャーには松ヤニやクリームなどを使って投げる「裏技」もあるんで(笑)。そこは先輩から上手に学んで、対応することでしょう」

 メジャーの場合は中4日、あるいは中5日の登板間隔が一般的。だが、二刀流・大谷の入団によって、ほかの投手の登板日に影響が及ぶ可能性が出てくる。

「打者としての大谷については、日本にいるときとは明らかにバッティングフォームを変えているね。メジャーの投手は球威があるし、小さく動くボールが多いので、日本時代のようにポイントを前にして打つことは難しいのかな? 

 そういう意味では、苦労すると思いますよ。大谷のストロングポイントはアウトコース高め。ここは必ず打つ。逆にウイークポイントはインサイド低め。このコースにどう対応するかがポイントだ」

ーー日本のプロ野球はどうか。

「高橋由伸監督3年めの今年、開幕戦で阿部慎之助をスタメンから外した。そこに僕は『チームを変えよう』という由伸監督の強い意志を見た気がします。阿部に代わって、岡本和真を新スターにするという強い意志があった。

 僕が在籍したヤクルトの場合、小川淳司さんが監督だった2011年のクライマックスシリーズ、ファイナルステージの第2戦で、当時ルーキーだった山田哲人を1番バッターに抜擢した。翌年以降も使い続けて、山田は現在の地位を築いた。岡本も坂本勇人に並ぶスター選手になれるか。勝負の年です。

 あと、僕が注目しているのは小林誠司。彼が一本立ちしないと、本当に強いチームにはならないよね。エースの菅野智之とバッテリーを組んだとき、菅野が首を振るシーンが目立った。まだ小林は、ピッチャーから信頼されていないんだろう。小林の成長が今年の巨人のカギなのかな」

ーー伊藤の現役生活は、怪我との闘いでもあった。右肩の血行障害で、右腕の血圧が0になったことさえある。そんな伊藤が注目するのが、今季中日に移籍した松坂大輔だ。

「今年の彼は投球フォームが、明らかに去年と比べてよくなった。僕も経験があるけど、肩に不安があると、しっかりと胸を張って腕を振ることができない。痛みがあると、胸を張る前に投げてしまうので、どうしても手投げになってしまう。それに、一度痛みを経験すると、投げるときに無意識に体をかばってしまう。投げることが怖くなる。

 でも、今年の松坂はきちんと胸を張っているし、腕もちゃんと振れている。かなり体調はいいはずだし、『投げる恐怖』を払拭しつつあるのかもしれない。あれだけの大投手だからこそ、ボロボロになるまで完全燃焼してほしい。僕自身も故障に苦しんだ者として、今年の松坂には期待しています」

 もうひとり注目するのが、メジャーから古巣ヤクルトに戻った青木宣親だという。日本にいたころは体重移動をしながら打っていたが、アメリカに渡って、左足に体重を乗せてコマのように軸で打つフォームに変わった。

「僕はコーチとして、8年間青木と同じユニホームを着た。当時の青木はヒットを打つことには熱心だけど、リーダーシップを表に出すのを恥ずかしがっているように見えた。いまは積極的にチームを引っ張ろうとしている。打者としてはもちろん、リーダーとしての存在感。これがヤクルト最大の戦力アップでしょう」

ーー最後に、黄金ルーキー、日本ハムの清宮幸太郎について。

「まだ高校を出て1年め。しばらくじっくりと鍛えたほうがいい。いくらホームラン記録を樹立しようとも、あくまでも高校時代の話。プロの配球、変化球の精度に慣れるのには、まだ時間がかかるだろう。

 気がかりなのは、彼がファーストしか守れないこと。日本人選手で『ファーストしか守れない』というのはかなり厳しい。日本ハムには大切に育ててほしい。まぁ、長い目で見ましょうよ」

いとうともひと  
1970年10月30日生まれ 京都・花園高から三菱自動車京都を経て1993年ヤクルト入団。
ドラフト1位指名は野村克也監督の熱望だった。2003年の引退後は昨年まで一、二軍でコーチを務めた。
通算37勝27敗25S

(週刊FLASH 2018年5月1日号)