年間総合優勝を決め、雄たけびを上げる室屋義秀。1973年生まれ。22歳で曲技飛行の道を歩み始める。以来、「操縦技術世界一」を目指し、2009年からレッドブル・エアレースに参戦

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最高時速370キロ! 最大負荷10G! 世界トップのパイロットたちが腕を競い合う「空の極限バトル」レッドブル・エアレースで日本人初の年間王者が誕生!

最終戦を終え、帰国したばかりの“空の王者”室屋義秀(むろや・よしひで)をいち早く直撃した!!

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100年を超える長い歴史の中で、数々のドラマを刻んできたモータースポーツの聖地、インディアナポリス・モータースピードウェイ。今年5月、インディカーシリーズに参戦する佐藤琢磨(たくま)がインディ500王者を勝ち取った場所だ。

その地で、日本人がまた快挙を成し遂げた! 世界トップレベルのパイロットが技を競い合う、小型機による3次元レース「レッドブル・エアレース世界選手権」の最終戦インディアナポリス(10月15日決勝)で、室屋義秀が日本人初の年間チャンピオンに輝いたのだ! 2009年からこのシリーズに参戦し、6シーズン目(2011〜13年は開催中断)で、その頂点に立ったのである。

室屋が逆転王者を決めた最終戦のレースは、鳥肌が立つほどスリリングな展開だった。

先の第7戦ラウジッツで今季3勝目を挙げ、辛うじてチャンピオンへの望みをつないだ室屋。しかし、その時点でランキング首位のチェコ人パイロット、マルティン・ソンカとの差はまだ4ポイントあった。仮に室屋が最終戦で優勝したとしても、ソンカが2位に入れば、王座の夢は消えてしまう…という状況だったのだ。

そして、インディアナポリスの決勝レース1回戦「ラウンドオブ14」で室屋は初っ端(ぱな)からライバルのソンカと対戦。強風が吹き荒れる難しいコンディションだったが、この直接対決を制し、続く「ラウンドオブ8」も順当に勝ち進む。

だが、一方のソンカも敗者復活で勝ち残り、結局、両者は各ラウンドを勝ち上がった上位4人が優勝を争う「ファイナル4」にそろって進出。チャンピオン争いは、最後の「1フライト」で雌雄を決することになったのだ。

「実は、ラウンドオブ8で僕と同年デビューで仲のいいマット・ホールがソンカと対戦することになったので、冗談半分で『僕をアシストしてね』って、彼に頼んだんです。

ところが、そのマットがラウンドオブ8でソンカに負けちゃって、無線で『ゴメンね、ヨシ…』って(笑)。それを聞いて僕も『オッケー、大丈夫。あとは自分でなんとかするから!』って笑いながら答えたんですけど、あの会話で肩の力が抜けたというか、リラックスして飛べたような気がしますね」(室屋)

そして臨んだファイナル4、依然として強風が吹き荒れ、空気で膨らませた高さ25mのパイロン「エアゲート」が大きく揺れ動くなか、1番手で飛び立った室屋は“神がかり的”と呼びたくなるほどの完璧なフライトを見せ、いきなりコースレコードとなる1分3秒026の驚異的なタイムを記録!

このタイムが大きなプレッシャーになったのか、最終4番手で飛んだソンカは1分7秒280とタイムを伸ばすことができず4位に終わり、室屋は悲願のエアレース年間王者を勝ち取ることができたのだ!

「最後のフライトは、第2戦のサンディエゴで優勝したときとも違う、『覚醒』だった気がします。アスリートがよく『ゾーン』に入ったという表現をしますが、まさにそんな感じで、緊張感はそれほどないのに、感覚だけは研ぎ澄まされているような。それこそ『普通に飛んで普通に帰ってきたら、とんでもないタイムが出ていた』という感じで、難しいコンディションだったのに、体が自動で動くように自然に軽く飛ぶことができたんです」

と、室屋はふり返る。それはエアレースパイロットとしての6シーズンの経験が、最高の形で実を結んだ「奇跡の瞬間」だったのかもしれない。

◆今季最大のピンチを救ってくれたライバルチームの仲間への思いとは? この続きは『週刊プレイボーイ』46号「祝レッドブル・エアレース年間チャンピオン獲得! 室屋義秀インタビュー」にてお読みいただけます!

(取材・文/川喜田 研)