5月20日〜21日、東京・有明コロシアムにて2夜連続で『ボクシングフェス2017 SUPER 2 DAYS』と銘打たれたビッグイベントが開催され、世界タイトルマッチが計5試合行なわれる。

 5つの世界戦には、WBO世界スーパーフライ王者「モンスター」井上尚弥(大橋)の5度目の防衛戦や、IBF世界ライトフライ級王者「激闘王」八重樫東(やえがし・あきら/大橋)の3度目の防衛戦が含まれる。ただ、そのなかでももっとも目が離せない一戦は、20日に行なわれる村田諒太(帝拳)の世界初挑戦となるWBA世界ミドル級王座決定戦であることは間違いない──。


村田諒太は日本人ふたり目の世界ミドル級王者となれるか「人類が月へ行くより難しい」

 かつて、ミドル級の世界王者になることの難しさを、そう例えた時代がある。22年前、竹原慎二(元WBA世界ミドル級王者)が日本人として初めてミドル級のベルトを腰に巻いたころの話だ。

 そして今なお、その難易度は高いままだ。海外では常にトップクラスの人気階級であるミドル級で、タイトルマッチの舞台に立つために求められる実力は果てしなく高い。さらに言えば、余程のことが起きないかぎり、タイトルマッチを日本で開催することは難しい。

 その余程が、今回起こった──。村田諒太は、間違いなく”運”を持っている。

 ミドル級をめぐる物語が急激に動き始めたのは、今年3月。

 WBAの正規王者だったダニエル・ジェイコブス(アメリカ)が、WBAスーパー王者でありWBCとIBFの世界ミドル級王者である「現役最強」ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)と統一戦を行ない、判定の末に敗れる。その結果、WBAの正規王座が空位となり、ランキング1位のアッサン・エンダム(フランス)が暫定王者に。そのエンダムとWBA2位の村田が、正規王者のベルトをかけて戦うことが4月3日に決定した。

 もちろん、どちらが試合に勝ち、新王者になったとしても、その上にはスーパー王者ゴロフキンが君臨するという不可思議な状況に陥っている。

 歴史を紐解けば、1950年代のボクシング界には10階級・10人の世界王者しかいなかった。その後、団体が増え、さらにWBAには正規王者のみならず、スーパー王者、暫定王者と3つもの王座が乱立。諸々合計すれば、現在は80人以上の世界王者が存在することになっている。

「以前よりもベルトの価値は下がっている」と口にする者はいるだろう。もちろん、そのとおりだ。しかし今回、村田諒太が狙うベルトにその挑戦の価値がないかと言えば、大間違いだ。

 村田は中学時代、髪を金色に染めてケンカに明け暮れる不良少年だった。当時の担任に勧められてボクシングを始めるも、練習がきつくて幾度も投げ出している。

 後のゴールドメダリストは、その端正なマスクで誤解されがちだが、平坦な道を歩んできたわけでも、エリートだったわけでもない。そして、大きな挫折も知っている。

 南京都高校(現・京都廣学館)時代に頭角を現した村田は、オリンピック出場を目標に掲げるも、地区予選で敗れて2008年の北京五輪出場は叶わず。一度は現役を退くも2009年、1年半後に現役復帰。そして迎えた2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得した。それは、日本人選手48年ぶりの快挙だった。

 その後、ふたたび引退を宣言するも、紆余曲折を経てプロへ転向。当時の心境を、こう吐露している。

「初めは引退するつもりだった。でも、チヤホヤされたことも含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にいける、もうちょっとボクシングがしたいと思った」

 なにより村田の背中を押したのは、ボクシングを本格的に始めた日々に思い描いた夢だ。

「五輪で金メダルを取ってプロ転向し、ラスベガスでやる」

 しかし、ラスベガスのリングに立つという夢ならば、2015年11月のガナー・ジャクソン(ニュージーランド)戦、2016年7月のジョージ・タドーアーニッパー(アメリカ)戦で、すでに叶えている。戦い続けるのは当然、世界チャンピオンになるためだ。

 関係者はもちろん、多くのボクシングファンが五輪金メダリストの世界王者誕生を期待しないわけがない。それを百も承知で、村田はその双肩に多くの人たちの希望や夢や願いを背負った。

 そして、2013年8月のプロデビューから数えて約4年。その夢が叶うかもしれない日が訪れたのだ。

 試合を目前に控え、村田は言う。

「試合を成立させてくれたみんなに恩返しがしたい」

 今回のタイトルマッチが成立したことが、日本で開催できるということが、千載一遇のチャンスであるのは間違いない。繰り返すが、村田には運がある。

 しかし同時に、村田にはプロでの試合経験が12試合しかないこともまた事実だ。あるボクシングジム関係者は、こう言っている。

「より経験を積むために、世界戦の前にできればあと5試合、最低でも3試合はやっておきたかったのが本音ではないでしょうか」

 だが、「いつか、いつか」と願うだけのボクサーに、そのいつかが訪れるはずがない。村田はプロ転向を決めた日から、相手が誰であろうと、いつであろうと、それこそ勝算の如何にかかわらず世界戦が決まったのなら、そのリングに立つことを決めていたはずだ。

 そして、言葉尻こそ濁したが、この試合のプロモーションのために出演した某番組で口にした言葉は、本心であり、覚悟だろう。

「負けたら引退ってこともありえるのかな」

 きっと、外野は言い続ける。「昔ほどベルトに価値がない」「運がいい」と。

 そんなすべての雑音を飲み込み、そして、その競技人生のすべてをかけ、5月20日、ゴールドメダリストは有明コロシアムのリングに立つ。

 村田諒太、月へ──。

 そこで踏み出す一歩が、多くのボクシングファンの夢であり、後に続く多くのボクサーの希望となる。

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