伝説の野球マンガ「キャプテン」「プレイボール」奇跡の復活、コージィ城倉「プレイボール2」

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1984年、41歳の若さで逝去した漫画家ちばあきお。『あしたのジョー』で知られるちばてつやの弟でもある。

そのちばあきおが手がけた伝説の野球マンガ『キャプテン』と『プレイボール』、そして谷口タカオが帰ってきた。

4月5日発売『グランドジャンプ No.9』で遂に掲載された『キャプテン』『プレイボール』の続編、『プレイボール2』。作者は『グラゼニ』『江川と西本』(※森高夕次名義)『おれはキャプテン』などで知られる野球マンガのヒットメーカー・コージィ城倉だ。


『グランドジャンプ』にはコージィ城倉インタビューも収録。その中には、次の言葉があった。

《ちばあきおとちばてつやの世界というのは、もう、ロングの美学だから》

復活1コマ目は、まさに、ロングでの荒川・河川敷グラウンドの描写から。
舞台は『プレイボール』が終わった1978(昭和53)年。
復活第1話は、その時代背景と舞台設定、3年谷口・2年丸井・1年イガラシを中心に墨谷高校野球部の主要メンバーを描く、実に丁寧な展開だ。1978年のヒット曲「サウスポー」から物語を展開させる当たりが実に巧い。

続編であり、新連載。
不朽の名作でありつつも、約40年前の作品。
作者が代わり、でも、絵柄は一緒。

その立ち位置の難しさ、制約の多さを絶妙にハンドリングした、見事な「第1話」といえる。

その魅力は、ぜひ『グランドジャンプ』で確かめて欲しい。集英社も力を入れているようで、コンビニの棚でこれほど『グランドジャンプ』を見かけたのは久しくない、という程に並べられている。電子版も売れ行き好調のようだ。

本稿では、同『グランドジャンプ』に収められた作者・コージィ城倉のインタビュー、およびその他のインタビューを通して、『プレイボール』復活の経緯を探ってみたい。

「子どもの頃、ちばてつやさんやちばあきおさんの作品を見て育った」コージィ城倉


『キャプテン』と『プレイボール』。
野球文化史、野球マンガ史の上でも足跡は大きく、さらには多くの野球人に愛され、影響を与え続けてきた作品でもある。

あのイチロー(マーリンズ)も、かつて『キャプテン』について熱く語ったことがある。
《みんな個性があって、それぞれ面白いんですけど、自分に近いなと思うのはイガラシですね。 顔も似てるし、上級生に対する生意気なところなんていうのも、僕と同じですから(笑)》(石田雄太氏著「イチローイズム」より)

元メジャーリーガーでオリックス2軍監督の田口壮は「一番刺激を受けたのは『キャプテン』」とweb sportivaの企画で語り、ヤンキース田中将大は「『努力は報われる』ということがわかる作品。チームメイトとの絆であったり、困難を乗り越えていく中で生まれていく団結力だったりする部分が素晴らしいと思える作品」と語る(「アニマックス」インタビューより)。

同様に、『キャプテン』の世界観とちばあきおに魅了されたのが、続編を担当するコージィ城倉だった。

現在、『グラゼニ』や『江川と西本』の原作者として野球マンガを手がけているコージィ。2003年には自ら筆を摂った『おれはキャプテン』でも人気を博した。今にして思えば、タイトルも含めこのときから『キャプテン』への憧憬がにじみ出ていたわけだ。2004年には、exciteのインタビューで次のように語っている。

《(※注:『おれはキャプテン』の執筆経緯を聞かれ)自分の原点みたいなところに戻って、好きなことをやってみたかったというのがありましたね。子どもの頃、ちばてつやさんやちばあきおさんの作品を見て育ったので、マンガ家になったらまねっこしてみたい、自分がちばてつやになってみたいと思っていたんです(笑)。ま、なれっこないんですが……》(「エキサイト ブックス」コージィ城倉スペシャルインタビューより)

このインタビューから10余年が経過し、「まねっこしてみたい」「なれっこない」と語っていた憧れの作家の続編を手がけることになったのだから、なんとも感慨深い。

ちばあきお先生が生きていたらおそらくこんなカンジ


上述したように、以前から、ちばあきおについて言及していたコージィ。だからこそ今回、編集サイドからコージィに対して続編の打診があったのではないだろうか。

《編集者から打診されて、最初はびっくりしたんですが、ぶっちゃけ、2つのタイトルを聞いても悩むことはなかったです》(『グランドジャンプ No.9』より)

ちなみに、今年2月に続編新連載が報じられた際、コージィの意気込みとして次のコメントが発表されていた。

《新機軸は打ち出しません。コンセプトは『何も足さない。何も引かない』。ちばあきお先生が生きていたらおそらくこんなカンジで描いたのではないだろうか…というテイストを“再現”してみたい》(『グランドジャンプ No.6』より)

「何も足さない。何も引かない」ことで導き出される「ちばあきおワールド」の魅力については、次のように語っている。

《「キャプテン」はことごとく刺激がない(中略)薄い刺激なんだけども、何巻もダラダラダラダラと読ませてくれる。理由がないのにいつの間にか「キャプテン」の単行本を引っ張り出してきて、読み出しているという魔力があるんです》(『グランドジャンプNo.9』より)
《試合を描いた方が盛り上がって、読者の人気は取れるんです。でもちば先生は『試合ばっかじゃつまらない。練習のシーンもオレは描くよ』と。そこはある意味、リアルですよね。部活をやっていると99%は練習で、試合は1%ですから(笑い)》(『スポーツ報知』4月3日付)

この「リアル」という言葉が、『プレイボール2』のキーワードになってくるのではないだろうか。70〜80年代野球マンガとしてのリアリティであり、ちばあきおワールドとしてのリアリティ。それこそが、「何も引かない。何も足さない」という言葉に込めた意味のはずだ。だから、甲子園は目指しても、行かない方が「都立校のリアリティ」ともいえる。

《(※注:甲子園については)行けなくてもいいんじゃないかなと(笑い)。とことんちばあきおのテイストでいこうと思ったら多分、東東京大会の決勝で負けるんじゃないかな。甲子園に行って、勝って優勝したら、それはちばあきおの世界と違うんじゃないのかな?と。『ドカベン』のような王道的な考えでいけば、地方大会の途中で負けちゃうなんて、ありえないけど》(『スポーツ報知』4月3日付)

実際、甲子園を目指すこと以上に、『プレイボール2』で見てみたい描写はたくさんある。

細かいところでいけば、イガラシ家のラーメン描写はまた見たいし、墨谷ニ中・4代目キャプテンの近藤は出てくるのかどうか。丸井あたりの「近藤のバカが全国に出るってんでちょっとハッパをかけてきます」といったセリフでカメオ出演する可能性は高い。それこそ、サービス精神旺盛なコージィ城倉なら期待していいはずだ。

さて、実は筆者も昨年、ある取材でコージィ先生にインタビューする機会があった。その際、昨シーズンの野球界ついて聞いたところ、「現実の世界で、大谷翔平というマンガ以上の選手が出てしまった。これはもっと国民が騒ぐべきことというか、たぶん、僕が誰よりも一番驚いている。マンガよりも凄いことが起こっているということに対して、驚きが少ない。とんでもない奇跡が起こっているんだよ、ということを、もっとちゃんと知って欲しい」と語っていたのが印象深い。

最後にこの言葉を借りて、コージィ城倉による『プレイボール』復活連載の意義を表現してみたい。

「『キャプテン』『プレイボール』の復活はもっと国民が騒ぐべきことというか、たぶん、僕が誰よりも一番驚いている。マンガよりも凄いことが起こっているということに対して、驚きが少ない。とんでもない奇跡が起こっているんだよ、ということを、もっとちゃんと知って欲しい」

(オグマナオト)