密着1週間「籠池理事長」はボンボン育ちだった
『密着1週間「籠池理事長」はボンボン育ちだった』
「東京までの『移送』を手伝ってほしい」
籠池泰典理事長(64)からの頼みに正直、驚いた。
森友学園をめぐる問題の取材を続けるなか、ひょんなキッカケからいろいろな相談事を受けるようになっていた矢先だった。一週間後に証人喚問を控えているため、早めに上京して準備に専念したいのだという。
まず、理事長のお嬢さんたちが、自宅から夫妻を連れ出し複雑なルートを経て、私の待つ関西某所までやってきた。大きなマスク越しではあるが、夫妻の不安な様子は隠せない。そこから、タクシー、近鉄電車を使って、まずは名古屋まで向かった。
移動中も夫妻の携帯電話にはメールや電話の着信が止まらない。かつての仲間からのものも多かった。そのひとつを見せてもらうと、こうあった。
〈日本会議の活動と安倍首相に迷惑を掛け、悲願である憲法改正が出来なくなるようなことをされるなら、ただでは済ましませんぞ〉
安倍昭恵総理夫人から100万円の寄付金をもらったと明かした3月16日以降、ともに保守の活動をおこなっていた人たちからの恫喝がやまないという。
名古屋で新幹線に乗り換える。ホームの売店に置かれた新聞、同じ車両の乗客が開く雑誌、新幹線のテロップなど至るところから「森友学園」「籠池」の文字が飛び込んでくる。追われるとはこういうことなのか。
新横浜駅でタクシーに乗り換えた。ホテル玄関に到着すると、数多くのホテルマンの誘導により地下の搬入口へ。荷物用エレベーターに乗り換え扉をくぐると、そこはVIPフロアだった。
「スパイ映画みたいだね」
籠池理事長に笑みが戻った。
報道陣の前では胸を張り仰々しく語っていた理事長だが、ふだんはとても穏やかなことに驚いた。あまり強い大阪弁は使わない。むしろ上品なのだ。育ちがいいのではと思い尋ねてみた。
「香川県のご実家はどんなお仕事をなさっていたんですか?」
「籠池海運っていう会社をやってて昔はけっこう羽振りがよかったんだ。道を歩いていると、籠池の坊ちゃんと呼ばれたよ。でも僕が小学校5年生のときに潰れてしまってね」
その後、夜逃げ同然で兵庫県尼崎市に移住。金銭的にかなり苦しい生活が続いたという。
■証人喚問を前に「戦の前は握り飯」
ホテルでは、とにかく食欲が旺盛だった。ルームサービスのカツ丼やお寿司などをペロリと平らげる。証人喚問前日、ふだんは食事に頓着しない理事長から、「おにぎりを買ってきてほしい」と頼まれた。「日本男児たるもの、戦の前は握り飯でなくてはならない」という。
そして、ついに運命の日がやってきた。出発前にいま一度、証人喚問での冒頭陳述を読み上げる。9時になるとホテルのスタッフが迎えに来た。外出時はVIP用出入口から誰にも見つからずに出発することになっている。
――今のお気持ちは?
「うん、清新溌剌(せいしんはつらつ)」
満面に笑みを浮かべ、そう答える。ホテルの部屋を出る際に、手をものすごく強い力で握り締められた――。
(週刊FLASH 2017年4月11日号)