2つの国のA代表でプレーした現役選手10人
先日行われた民進党の代表選で、台湾人の父親を持つ蓮舫氏の国籍問題がクローズアップされた。
現代のサッカー界では二重国籍者が珍しくなくなり、世代別の代表であればほぼ自由に変更することが可能となった。一方、A代表に関してはアルフレド・ディ・ステーファノ、フェレンツ・プスカシュといったレジェンドが複数の代表でプレーした“緩い時期”を経てルールが厳格化され、現在は一定の条件を満たした場合にのみその変更が認められている。
その条件とは基本的に「公式戦に出場していないこと」。このほど、ボヤン・クルキッチがセルビア代表への鞍替えを希望したもののFIFAに認められなかったのもこのためだ。
今回は現役のサッカー選手で、これまで2つのA代表チームでプレーした選手をご紹介しよう。
ロマン・ノイシュテッター
1つ目の代表:ドイツ
2つ目の代表:ロシア
現所属:フェネルバフチェ (トルコ)
2012〜2013年にドイツ代表として出場した経歴を持つノイシュテッター。
しかし彼の父親ピーターはカザフスタン代表経験もあるロシア系ドイツ人であり、ノイシュテッター自身は旧ソ連のドニプロペトロフスク(現ウクライナ)で生まれている。
そのことに目を付けたロシアサッカー連合は今年1月に代表入りを打診し、本人もこれを承諾。今夏フランスで開催されたEURO2016にロシア代表として出場した。
ナセル・シャドリ
1つ目の代表:モロッコ
2つ目の代表:ベルギー
現所属:WBA(イングランド)
名将コ・アドリアーンセに「(プレーだけでなく)顔立ちまで美しい」とまで言わしめた美形アタッカー。
当初からベルギー代表とモロッコ代表のどちらを選択するかに注目が集まり、当時の恩師でベルギーのレジェンドであるミシェル・プロドームは彼にベルギーを選ぶようにアドバイスしたが、シャドリはルーツであるモロッコを選択。2010年11月、北アイルランドとの親善試合でデビューした。
しかし、彼はそのたった2か月後の2011年1月にベルギー代表への転向を表明し、翌2月のフィンランド戦で初capをマークしている。
ソロモン・アサント
1つ目の代表:ブルキナファソ
2つ目の代表:ガーナ
現所属:マゼンベ(DRコンゴ)
フェイエノールトがガーナに設けていたアカデミーで育成された小柄なアタッカー。
ガーナ人の両親の元で生まれた純粋なガーナ人であるが、2009年にブルキナファソの名門ASFAイェネンガに移籍し、2年連続の得点王に輝き、2011年に代表へと招集された。親善試合ではゴールまで決めている。
しかしその翌年、今度は母国のベレクム・チェルシーに所属したこともあってガーナ代表に鞍替え。その資格があるのかどうかでモメたことから一度保留にされるも、無事に認められ2013年、2015年のアフリカネイションズカップに出場した。
ちなみに、昨年のFIFAクラブワールドカップではマゼンベの一員として来日している。
ジャーメイン・ジョーンズ
1つ目の代表:ドイツ
2つ目の代表:アメリカ
現所属:コロラド・ラピッズ(アメリカ)
父親は西ドイツに駐留していたアフリカ系アメリカ軍人で母親はドイツ人。
ドイツ代表歴を持つが厳しい競争を考え、2009年にアメリカ代表への変更を決意。怪我で2010年ワールドカップには間に合わなかったものの、2010年8月に初招集を受けた。その後ユルゲン・クリンスマン体制で定着し2014年ワールドカップにレギュラーとして出場するなど、現在までブラッドリーと並んで中盤の要となっている。
ちなみにフランクフルト時代は高原直泰、シャルケ時代は内田篤人、昨年まで所属したニューイングランド・レボリューションでは小林大悟とチームメイトだった。
リッキー・シェイクス
1つ目の代表:トリニダード・トバゴ
2つ目の代表:ガイアナ
現所属:ボレアム・ウッド(イングランド)
イングランドで生まれ、西澤明訓や中田英寿が所属したボルトン・ワンダラーズでキャリアを開始。その後、同国下部のリーグを転々としている。
2006年に母親の祖国であるトリニダード・トバゴ代表でデビューしたがその後は出場なく、2014年ワールドカップ予選で父親の祖国であるガイアナ代表に転身した。
メフディ・カルセラ=ゴンサレス
1つ目の代表:ベルギー
2つ目の代表:モロッコ
現所属:グラナダ(スペイン)
スペイン人の父親とモロッコ人の母親の間にベルギーのリエージュで生まれたスキルフルなMF。
ベルギー代表として2009年に2capを記録したが、2010年に当時モロッコ代表の監督を務めていたエリック・ゲレツに誘われて招集を受託し、ニジェール戦でデビューした。
今年8月からは父親の母国であるスペインで初めてプレーしている。
エドガル・カスティージョ
1つ目の代表:メキシコ
2つ目の代表:アメリカ
現所属:モンテレイ(メキシコ)
スピード豊かな左サイドバックのカスティージョ。
彼は両親共メキシコ人で世代別の時代からメキシコ代表でプレーしA代表デビューも飾ったが、生まれはアメリカのニュー・メキシコ(ややこしい)であった。
「出生地主義」であるアメリカの国籍も所有していたことから2009年にアメリカ代表入り。2013年のゴールドカップでは優勝メンバーとなっている。
アドルフ・ジョセフ・デラガルサ
1つ目の代表:アメリカ
2つ目の代表:グアム
現所属:LAギャラクシー
ロビー・キーンやジェラードらスター選手が居並ぶLAギャラクシーで、レギュラーを務めているのがグアム代表だったことをご存知だろうか。
2011年1月のトレーニングキャンプでアメリカ代表に初招集され、2012年のベネズエラ戦でデビューしたが、メキシコ系グアム人の父親と先住民系アメリカ人の母親を持つ彼は2013年にグアム代表に転身。
今回のワールドカップ・アジア予選でもチームの中心選手として戦った。
ハインツ・バルメトラー
1つ目の代表:スイス
2つ目の代表:ドミニカ共和国
現所属:フライブルクII(ドイツ)
スイス人の父親とドミニカ人の母親の間にチューリッヒで生まれたセンターバック。
2009年11月のノルウェー戦でスイス代表デビューしたが出場はこれっきり。2012年に母親の祖国であるドミニカ共和国代表デビューを果たし、同年のカリビアンカップに出場している。
ジエゴ・コスタ
Spain: Atletico Madrid's Brazil-born forward Diego Costa hamstring injury review in 15 days http://t.co/fZpc9T7js4 pic.twitter.com/Avc1Yy7hPA
- ktn (@KTNKenya) 2014年5月27日
1つ目の代表:ブラジル
2つ目の代表:スペイン
現所属:チェルシー(イングランド)
このテーマの象徴的な選手となっているのがジエゴ・コスタだろう。
彼は正真正銘のブラジル人だがポルトガルでプロキャリアを開始し、スペインで大成した変わり種である。
2013年3月にブラジル代表に初招集されデビューを果たしたが、その後(クラブで絶好調だったにもかかわらず)お呼びがかからなかったことに痺れを切らし、同年10月にスペイン代表への鞍替えを発表。当時ブラジル代表の指揮官だったフェリペ・スコラーリはこの決断を「裏切りだ」と厳しく非難し、ジエゴ・コスタが「ブラジルから誘いはなかった」と反論する一幕もあった。
こうして母国ブラジルで開催された2014年ワールドカップにスペイン代表として出場したが、セレソンが現在までストライカーの人材不足に悩んでいること、スペインの特殊なパスサッカーのなかで典型的なFWがフィットし難いことを考えれば、もうちょっと我慢したほうがお互いにとって良かったのかも…