「なにかコレクションになるものは……あ!俺だ!」『無限の本棚』とみさわ昭仁に聞く

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集めているのに物はない。コレクター歴50年から導き出された「コレクションの本質」を語る『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』。著者のとみさわ昭仁さんインタビューの後編です。とみさわさんが付けている「自分年表」の話もうかがいました。

(前編はこちら)


「物欲」と「整理欲」


とみさわ 蔵書やレコードを大量に処分して、自分は物欲から解放されたと思っていた。それなのに「人喰い映画」を集め始めたんですよ。

── 『無限の本棚』によるとコレクションを処分されたのが2001年。ブログ人喰い映画祭を始めたのが2007年3月ですね。

とみさわ ライターとしてそこそこベテランだったから、この「人喰い映画」コレクションは本にしようと思って、構成や映画のリストを作ったんだよね。原稿を書くためには映像データが手元に無いとダメだ、と資料のつもりで映画を集め始めたら楽しくなってくるんですよ。リストを埋めるのが。


とみさわ 普通の人はコレクションをする人を「収集欲が強い」って言うじゃないですか。みんな収集欲=物欲だと思っている。僕もその時までそう思ってた。ところが、物欲はもう無いはずなのに集めることが楽しくなってる。

これはなんだろうと考えてたら、白いトレカの話(前編参照)とか全部つながって、あぁ、収集欲というのはイコール物欲ではなくて、もうひとつの欲があるんだと。『無限の本棚』では「整理欲」と呼んでるんだけど。

── 整理欲。

とみさわ 例えば、アロハシャツをいっぱい集めて毎日着がえてるっていう人は、アロハシャツというものが好きで「物欲」なんですよ。アロハシャツを愛好しているわけです。あるいはカメラでも、撮った写真の違いを楽しんだり形を愛でたりというのはカメラの愛好家。でも、「ライカの型番を1番から何番まで集める」という事を始めちゃうと、それは「物欲」とは違うんですよ。

── リストを埋めていくのは「整理欲」なんですね。

とみさわ 物欲が強い人もいれば、僕みたいに整理欲が強い人もいるし、両方そこそこ強い人もいるだろうし。どちらが上でどちらが下というわけじゃない。この時が「コレクションの本質」というのを見つけた瞬間ですね。

2つ以上あったらコレクションになる


── 「整理欲」を突き詰めたのが、物理的な物を集めずにリスト上でコレクションをする「エアコレクション」ですよね。ブログ蒐集原人に載っているエアコレクションのカテゴリーも面白くて……。「半顔と半顔」とか(半分見切れている顔が左右に配置されているレコードジャケットを集めるコレクション)

とみさわ 半顔なんてのは、もうエアコレクターの概念に気がついてから意図的に見つけ出していったコレクションで、あれ以上発展しないので、もう飽きてますけど(笑)

最近自分でわかってきたのは、僕のコレクションは目的じゃないんだよね。コレクションの結果、何かを見つけたいんですよ。半顔ではいくつかパターンを見つけて、バディ・ムービーのように「ライバル」を表現しているのと、『電車男 舞台版』のように「1人の人間性の二面性」を表現しているのがある。

── そのパターンは、集め始めた時点ではわからない?

とみさわ わからない。最初はなんとなく絵柄が面白いなとか、その程度の理由で始めるわけですよ。『無限の本棚』にも書いた「札束JPG」(ネット検索で見つけた「札束」を撮った写真集)なんかもそう。考察すると、「家庭が生まれる時」と「家族が去っていく時」に人は札束の写真を撮ってしまうのがわかって、面白いなぁと思って。で、答えを見つけたら終了。

── 答えを見つけたら終わりですか?

とみさわ やめちゃう。2つ以上あったらコレクションになるけど、「年号メガネ」とか、「ピノピック」(アイスの「ピノ」についているピック)とか、これ以上何も生まないと思ったらやめちゃう。形にならないものがいっぱいあるんですよ。「映画の中の古傷自慢」とか。

── いま集めていて、本になりそうなコレクションってありますか?

とみさわ 鰻屋の「う」の字って、うなぎの形してるじゃないですか。あれを「うな字」って命名して集めてるんだけど、まだ10も無いからとても本にはならないですね。こういうのは数がないと。

いま一番本にしたいのは「覆面音楽祭」で、かれこれ35年くらい集めている覆面をしている歌手のレコードコレクション。これの覆面歌手図鑑を作りたいんですけどね。『無限の本棚』が100万部くらい売れたら単行本化してくれないかなと思ってるんですけど(笑)

最近夢中になっているのは「日本珍麺紀行」。青森の「味噌カレー牛乳ラーメン」とか、千葉の「船橋ソースラーメン」とか、日本の変なラーメンやうどんを食べ歩きたいなと思って、リストを作ってます。実験的に作られたメニューじゃなくて、ある程度定着して人気メニューになっているもの、というルールも作って。本になった時に、読者に共感してもらえるように今から考えてますね。

自分年表は「一番のゲーム」


── 『無限の本棚』のなかで「自分年表」を作られている話が出てきますが、いつから年表をつけているんですか?

とみさわ 野球カードの熱が冷め始めたときに、他に何かリストにできるものはないだろうかって探したんですよ。

── 集めるものが無くなったときに、「リストにできるもの」を探したんですか……!

とみさわ 表にできて、ちょいちょい埋められるもの……「あ!俺だ!」って思って(笑)それで年表を作り始めて、その年の前後からつけ始めるんだけど、更に満足できなくて昔の手帳とか引っ張りだすわけですよ。

とみさわ その日なにをしたかとか、どんな映画見たとか、仕事の打合せとか書いてあるわけ。この中から、どこへ行った誰と会ったというのを年表に書き込んでいくんですよ。この頃は全部紙で、本の感想はピンクで、映画はブルーの紙で、日付スタンプも押して……これ時間まで書いているよ。頭おかしいね(笑)これが楽しかったんだね。

── 今はどうされてるんですか?

とみさわ 今はEvernoteに何をした・何を食った・誰と会ったぐらいしか書いてないですね。暇があると紙の記録をちょっとずつデジタルに移し替えてるんですけど、情報が足りてないことがあるんですよ。でも、チケットとかフライヤーとかの紙類は毎年全部束にして保存しているんで、手帳では足りない情報がこっちから埋まったりするわけ。これが楽しいんですよ。

── リストが埋まる快感と同じですね。

とみさわ そうそう。だから俺ゲームいらないんですよね。これが自分にとって一番のゲームになってる。

── 年表は何年くらい前のものから付けているんですか?

とみさわ 生まれた時から。「1961年8月3日 両国・岡田産婆にて生まれる」みたいな。でも、学生時代とかは手帳なんかつけてないし、記憶も曖昧だからスカスカなんですよ。学校のアルバムとか見ても、入学や卒業、修学旅行ぐらいしかわからないし、さすがに諦めてますけどね。

── 『無限の本棚』の執筆もTwitterで記録されてましたよね。毎日進捗が何文字とつぶやいていて(原稿仕事の進行状況をいちいちつぶやかないと気が済まないとみさわ昭仁 - Togetterまとめ

とみさわ あれはもう完全に自分が楽しいからやってたの。あと、『無限の本棚』という俺の狂った行動が記録されている本の壮大な予告編のつもりで。執筆期間は3ヶ月だけど、他の仕事をやりながらだったから正味1ヶ月はかかってないですね。すごいペースですよ。でも『無限の本棚』に関しては50年間考えた続けてきたことだから、もういくらでも言葉が出てきましたね。

「付けておいたよ、お父さんが」


── 最後なんですけど、自分の年表を付けられているので、とみさわさんのお子さんに関するものも何か集めていたりしませんか?

とみさわ さっきも話したけど、生まれてから仕事を始めるまでの20年間ぐらいは、自分の年表が空白なわけじゃない。それはもう取り戻せないわけですよ……。でも、娘の年表ならまだつけられる!(笑)

── そうじゃないかなと思ったんですよ……!

とみさわ 娘が20歳くらいになって、俺と似たような人間に育って「あー、私も子供のころ年表をつけておけばよかった!」 って言った時、俺が現れて「付けておいたよ、お父さんが」って差し出したらどうなるだろうかと(笑)

── 材料はたくさんあるわけですもんね。

とみさわ 保育園や学校からもらってきた紙類はまだ取ってあるし、娘が生まれてからの年月はお父さんとかぶってるから、親父が記録魔ってことは娘の記録もほぼ残ってるんですよ。どこに遊びに行ったとか。だから娘は俺の年表よりも充実した年表が作れるはずなんですよね。



とみさわ昭仁『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』(アスペクト)

【著者プロフ】
とみさわ昭仁(とみさわあきひと)
1961年8月、東京都墨田区両国生まれ。ライター、ゲームプランナー、漫画原作者、古書店主。神保町で特殊古書店「マニタ書房」を営みながら、書評や映画評、酒場探訪を中心に活動するフリーライター。ゲーム、映画、古本といった分野に詳しく、「日本一ブックオフに行く男」としても知られる。著書に『底抜け!大リーグカードの世界』(彩流社)、『人喰い映画祭【満腹版】」(辰巳出版)など。制作に参加したゲーム作品には『ポケットモンスター ルビー・サファイア』(任天堂)、『桃太郎電鉄WORLD』(ハドソン)などがある。

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(井上マサキ)