「レクサスを変えてほしい」豊田章男社長が思い描くクルマづくり

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レクサスが存在感を高められない理由

今年1月の北米モーターショーで“レクサス=退屈”というイメージからの訣別を目指すと宣言した豊田章男トヨタ自動車社長。2009年に社長に就任する前から、担当外であったにもかかわらずトヨタの高級車ブランドであるレクサスの開発に関わり、スーパースポーツ「LFA」のプロジェクトを後押しするなど、特別な思い入れを示してきた。

その豊田社長にとって、レクサスブランドをアメリカンラグジュアリーではなく、世界中に高級車ブランドとして認知してもらえるようになる道筋をつけることは、社長の座にいる間に是が非でも成し遂げたい悲願。北米モーターショーでの宣言は、その気持ちの表れに他ならない。

レクサスは1989年にアメリカで発足し、今年で満27年を迎える。メルセデス・ベンツ、BMW、アウディのドイツプレミアム御三家をはじめ、多くの高級車ブランドが100年、あるいはそれ以上の歴史を持つなかでは新参者だ。社内カンパニーであるレクサスインターナショナルのプレジデント(部門責任者)を務める福市得雄は「レクサスは歴史が浅く、語るべきストーリーがないことが、レクサスが高級車市場のなかで存在感をなかなか高められない要因」と語る。

レクサスが世界市場で高級車ブランドの本命とみられない主因は、本当に歴史が浅いからなのか。レクサスがアメリカで発足したとき、第1号モデルとなった大型高級車「LS400」は反権威的な機運の強いアメリカ西海岸を中心に大ヒットとなった。クルマ全体が合理的に作られ、静かで乗り心地が良く、燃費性能は抜群だった。

とりわけ燃費は、当時アメリカで始まっていたガス・ガズラータックス(燃費の悪いクルマに課される税金)を払わないですむ初めてのフルサイズ高級車ということで、厳しすぎると言われた排出ガス規制であるマスキー法をホンダがクリアしたとき以来の日本車の快挙ともなった。それでいて価格はライバルの約半分という安さ。アメリカ限定とはいえ、レクサスは歴史ゼロの段階で高級車ブランドとしてたちまち認知されたのだ。

■高級車ビジネスをやる覚悟とビジョンの欠如

そのLS400が生まれるきっかけを作った故・豊田英二(元トヨタ自動車最高顧問)に近しかったあるトヨタOBは、発足当初から高級車ビジネスをやっていく覚悟とビジョンが欠如していたことが今日の状況を招いたとみる。

「日米自動車摩擦のなかで、輸出台数ではなく1台あたりの利益を引き上げる必要が生じたため、アメリカにおける最高級車『クレシーダ(日本におけるマークII)』をもっときちんと作って売れるようにしなければというのがLS400開発の発端でした。開発過程で英二さんが、創業50周年(1987年)を記念するのにふさわしい、これまでウチが作れなかったようなものにしようと言い出した。それまでやったことがないようなモノづくりのやり方にトライした結果、LS400は大成功を収めましたが、高級車ブランドをやるんだという覚悟を持って臨んだわけではなかったため、かえって自分たちの立ち位置がわからなくなりました。初代がヒットしたとき、社内ではその後の方向性が定まらないことを指して“海図なき船出”と言われていたんです」(トヨタOB)

初代LS400のチーフデザイナーを務めた内田博邦・名古屋造形大学客員教授は言う。

レクサス成功のカギを握るのは、クルマづくり、ブランドの両面でレクサスがトヨタから独立した存在になれるかどうかだ。レクサスで使うものはデザイン要素であれ技術であれ、トヨタには使わないというくらいの決意がなければ、そうはならない」

レクサスブランドの再生を託された福市は、2011年1月に出向先からトヨタに呼び戻されてデザインディレクターとなって以降、レクサスの独自性を確立するための第1のトリガーとしてデザインを挙げ、大型・異形のラジエータグリル「スピンドルグリル」をはじめ、レクサスデザインの語法を大胆にチェンジさせてきた。その成果は欧州Dセグメントに相当するスポーティセダン「IS」、中型SUV「NX」、大型SUV「RX」にみることができる。

ところが、豊田社長の思い描くレクサスクルマづくりは、それよりはるか先にある。2014年、「レクサスを変えてほしい」と言って、福市をデザインだけでなく、そもそもレクサスとはどうあるべきかという方向性までを司るプレジデントに据えた。北米モーターショーで発表した大型ラグジュアリークーペ「LC500」は、レクサスの新しい挑戦の名刺代わりのようなモデルで、実はこれがスタートラインだ。

今このようなクルマを世に問えるのは、本体のトヨタが2兆円をゆうに超える純利益を確保するなど潤沢な資金力があるからだ。かりに逆風にさらされ、経営危機に陥ったとしても同じようにレクサスを光らせるための挑戦を続けられるのか。今はまだ、レクサス改革はある種の“ノリ”をエンジンとして前進しているにすぎない。その裏で求められているのは、ブランド創設以来ずっと欠いてきた“覚悟”の有無なのだ。

(文中敬称略)

(ジャーナリスト 井元康一郎=文)