「世界ふしぎ発見!」30周年。知られざる「黒柳徹子対草野仁」「黒柳徹子対番組スタッフ」
「だから、私はお嫁に行けないんです!」
黒柳徹子は二度、この言葉を発した。一度は草野仁に対して。もう一度は、野々村真に対して。4月28日、都内スタジオで行われたTBS系「世界ふしぎ発見!」放送30周年を記念しての囲み取材での一コマだ。
30年間、一度も休まず司会を務める草野仁。同じく皆勤賞の黒柳徹子。そしてほぼ皆勤賞の野々村真の3人が顔を揃え、番組の思い出を語った。
1986年4月19日に始まり、この春、放送30周年を迎えた「世界ふしぎ発見!」。7月には放送回数も1400回に達するという、日本が誇る長寿番組だ。この間、ずっと回答者席に座り続けたのが黒柳徹子。だが、当初は番組出演を固辞したという。
黒柳:私は「ふしぎ発見」に出るまで、クイズ番組に出たことがありませんでした。なぜなら、私には非常識なところがあるからです。当時の私は『徹子の部屋』の他に『ザ・ベストテン』もやっていましたので、「あの人はどうも頭が悪いらしい」となると、他の番組にも悪影響が出てしまう。だから、クイズ番組はお断りしていたんです。
そんな黒柳を説得したのが、囲み取材にも参加した重延浩ゼネラルプロデューサーだ。
黒柳:重延さんが「これはクイズというよりも、歴史の勉強です」と。「番組を通して、たとえば『ジャンヌ・ダルク』はどんな人だったのか、何をした人かがわかるような歴史の番組にしていきたいんです」と仰ったんです。私もちょうど、「いつか歴史を勉強しないと死ねないな」と思っていたので、出演料もいただけて勉強できるなんてこんな素晴らしい番組はないな、と思ったんですね。
草野もまた、黒柳との出演交渉の思い出を振り返った。
草野:黒柳さんは、「クイズ番組に出て、自分の恥をさらしたくない」というお考えでした。でも、「『正解した人が賢い』とかそういう番組ではないんです。人間の行動・思考の多様性がいかにすばらしいか。正解がAであっても、皆さんの答えの中のBというパターンのほうが効率的で素晴らしい、ということがあるかもしれない。そういった多様性こそ、この番組の生命線にしたいんです」とお願い申し上げたら、一週間考えた末に決断してくださいました。
黒柳が出演にあたって一つだけ出した条件があった。それが、収録前に放送回の大まかな「テーマ」を教えて欲しい、というもの。草野がその条件にまつわるエピソードを語った。
草野:当時、黒柳さんは50歳をちょっと過ぎた頃。それまで50年生きてきて、「音楽」「お芝居」「パンダ」「ユニセフ」といったことに関しては他の人には絶対に負けない。でも、科学とかスポーツとかを紐解いていくと、「えっ、こんなことも知らなかったの!?」と自分自身で愕然としたこともあったそうです。だからこそ、このまま黒柳徹子の人生を終わらせてはならない、と。自分の知識レベルを上げるためにも本を読んで勉強したいから、事前にテーマを教えてください、という条件を出されたわけです。
草野は当初、テーマを事前に教えたところで、多忙を極める黒柳が毎回本を読み込むことなどできないだろう、と考えていたという。ところが、ある日の収録で、その考えが間違いだったことに気づく出来事があった。
草野:ある時、かなり充血した目でスタジオに現れた黒柳さんの姿がありました。「どうしたんですか?」と聞いたら、「今週は3冊の本を買い揃えたのに、他のことに追われて本に手が伸びない。ようやく昨夜10時過ぎ、1冊目に手がかかった。でも内容が頭に入ってこない。それでも我慢してページを進めて1冊目、2冊目。そしてようやく3冊目の最後のページに目を通し終えた」と。それが、収録直前の15時過ぎ。つまり16時間以上、一睡もせずに知識を得ようと格闘してきたわけです。そんな黒柳さんの姿を見て、「自分の知識レベルを上げたい、という言葉は、単なる口約束ではなく、本気で取り組もうとされているんだな」と驚かされました。
この草野の発言に対して黒柳が発した言葉こそ、冒頭で紹介した「だから、私はお嫁に行けないんです!」だった。
黒柳:はじめの頃は、「ジャンヌ・ダルク」とか「エジソン」とか、人物名でテーマを教えてくれたので、その人にまつわる本を何冊か読めば良かったんです。でも、私が人間のことはすぐに憶えちゃうというのに気づいたらしく、だんだんテーマが難しく、アバウトになっていきました。
だからこそ、読書量は少ないときでも平均5冊。一番多い時で16冊を一週間の間に読破し、収録に臨んでいるという。
黒柳:ある時のテーマが「クリミア戦争」。でも、何年も続く戦争ですから、せめて「ナイチンゲール」だけでも勉強しておこうと思って本を読んだら、番組でナイチンゲールが出てきて「うわぁああ!」と喜んだこともあります。でも、最近は山を掛けても全然当たらなくなってきましたね。
東大卒の草野仁も驚く勉強量で、どんなジャンルでも正解を導きだす黒柳。一方、「元祖おバカ回答」ともいえる野々村真の珍回答もまた、「ふしぎ発見!」の名物のひとつ。だからこそ、10年前の「野々村真・初パーフェクト達成!」には誰もが驚かされた。あの時、都内ホテルでパーフェクト達成記念パーティが開催され、その模様が芸能ニュースになるほどの「事件」だった。
あれから10年。実は野々村真の「パーフェクト達成回数」は驚くべき進化を遂げている。2016年4月23日放送(1392回)までの記録は以下の通り。
◎黒柳徹子 パーフェクト217回/正答率59.4%
◎野々村真 パーフェクト10回/正答率21.9%
20年で1回、のパーフェクトが、この10年間で9回も達成できたわけだ。
野々村:番組が始まった当時の僕は、全く勉強していませんでした。そのままの自分、自分が生きてきた人生を通して、当時の人物たちとどれだけ同じような発想ができるか? そう思ってずっとやっていたんですけども……ほとんど一切、答えが合うことはありませんでした。
そんな野々村を「天才!」と評したのが、ゲスト出演した美輪明宏だった。
野々村:美輪さんは「あなたは、他の人とまったく違う答えを書く。でも、もしかして将来、あなたは歴史上の人物になるかもしれない。歴史に名を残す人物というのは変わっている人が多い。もし、あなたが歴史上の人物になって、『ふしぎ発見』が続いていたとしたら、今度はあなたの発言を当てなきゃいけない。あなたを当てるのは大変だ!」と仰ってくださいました。
美輪の言葉を励みに、ありのままの野々村、で収録に臨み続けた男も、今年もう52歳。考え方にも変化が生まれたという。
野々村:21歳で番組に参加した僕も30年の間に家族を持ち、子どももできました。いつまでも「できない野々村」だと、子どもに対して父親としての信用がなくなってしまいます。いい加減、「できる野々村」も見せなきゃいけない。もし、僕ができたら「あいつもできるんだから」と視聴者の力になるんじゃないかな、と。そう思って、今は少しずつ勉強するようになっています。
そんな野々村の「変化」に対して、黒柳が再び「だから、私はお嫁に行けないんです!」と語った。
黒柳:野々村さんがものすごく長く考えるようになりました。以前は何も考えずにサササっと書いていたんですが、この頃は絶対に間違えたくないようで、長考になりましたね。おかげで、私、デートもできない。だから、お嫁に行けないんです。だって、15分も考えるようになったんですよ! 前は15分考えても間違っていたんです。でも、この頃は15分考えて、間違ってないときがあるんですよ!
この日の取材では、他にも、「黒柳対草野仁」「黒柳対番組スタッフ」の攻防の軌跡も明かしてくれた。
黒柳:ユニセフの仕事でアフリカに行くとき、飛行機で(ふしぎ発見の)スタッフと一緒になったことがあるんです。「どこに行くの?」と聞いても「いえいえ」。(ミステリーハンター出演回数1位の)竹内海南江ちゃんもいたんで「海南江ちゃん、どこに行くの?」と聞いても「いえいえ」。どこに行くか聞いたっていいじゃありませんか(笑)。私が勉強するといけないから、何一つ漏らさないようにしているんです。
黒柳が勉強のために利用している図書館では、こんなミラクルもあったという。
黒柳:もっとすごいのは、図書館である本に手を伸ばしたら、隣の人が「ドサッ!」って本を落として、すごい勢いで出ていったんです。私は知らない人だったから気にかけなかったんですけども、後から判明したのは、その方がクイズの問題を考える方だったんだそうです。「問題を考えた本に黒柳さんが手を伸ばしていた」ということに驚いて、本をドサッと落としたんだそうです。でも、本が合っていても何百ページもあるんですよ。実際、そのときも正解できませんでしたよ。
正解を求めて努力を怠らない黒柳の戦いは、収録前だけでなく収録中も行われている、と草野が続けた。
草野:「(東洋航路を発見した)ヴァスコ・ダ・ガマが、上陸した先々であるものを残していきました。それは一体なんでしょうか?」という問題がありました。そのとき、私の手が無意識で十字を描いていたんです。それに気がついたのが黒柳さんお一人。「十字架」と書いて、黒柳さんだけが正解でした。
一挙手一投足を見逃さない黒柳徹子。草野はそれ以降、本当に神経質に、黒柳対策をとるようになったという。
草野:私の手元には、皆さんの回答が映るモニターがあります。ある問題で黒柳さんが書き終わった瞬間、私が「フフ」と笑ったんだそうです。それを見た黒柳さんは、「あ、これは違うんだ」と書き直されたこともありました。それからは、騙し戦術で表情を作るようになりました。私たちの間には、虚々実々の駆け引きが常に行われています(笑)。
「歴史と遊ぶ」をコンセプトに、宇宙の誕生から人類の未来まで、歴史と人々の営みを紹介してきた「世界ふしぎ発見!」。番組のゼネラルプロデューサーの重延浩は第一回放送の台本を手に、「30年」という月日の変化を語った。
重延:1回目の台本は手書きで、ガリ版刷り。自分の身の回りの科学でも30年でこれだけの変化があるんです。東西冷戦が終わり、社会が一挙に変わり、それぞれが交流するようになったのが大きな変化。でも、その中で変わらないのは「人間の考え方」です。毎回40本くらいの企画を考えるんですが、企画に詰まったことは一度もありません。この7月に1400回を迎えますが、まだまだ行けます。1万回でもいけると思っています。
黒柳もまた、「人間の面白さ」を語った。
黒柳:「アンデルセンが旅行に行くときに必ず持っていったものは?」という問題があって、答えが「縄」。火事になったときに逃げられるように、と。その答えがとても人間的で、すごくおかしかった。アンデルセンという人はそんなにも死ぬのが嫌だったんだ、と。私、「人間」が出る問題が好きですね。
時代が移っても変わらない人間の魅力。変わらない番組の魅力とコンセプト。でも、野々村真は「変わりたい!」という。
野々村:草野さんの驚異的な肉体、黒柳さんの頭。これは30年前と何も変わりません! 僕だけ、もっと変わるように。もっともっと回答時間も短くするように頑張ります。回答率はいまだに2割ちょっと。黒柳さんは6割。30周年ということですから、今年は3割に乗せたいと思います。今後ともよろしくお願いします!
(オグマナオト)
黒柳徹子は二度、この言葉を発した。一度は草野仁に対して。もう一度は、野々村真に対して。4月28日、都内スタジオで行われたTBS系「世界ふしぎ発見!」放送30周年を記念しての囲み取材での一コマだ。
30年間、一度も休まず司会を務める草野仁。同じく皆勤賞の黒柳徹子。そしてほぼ皆勤賞の野々村真の3人が顔を揃え、番組の思い出を語った。
番組出演を固辞していた黒柳徹子
黒柳:私は「ふしぎ発見」に出るまで、クイズ番組に出たことがありませんでした。なぜなら、私には非常識なところがあるからです。当時の私は『徹子の部屋』の他に『ザ・ベストテン』もやっていましたので、「あの人はどうも頭が悪いらしい」となると、他の番組にも悪影響が出てしまう。だから、クイズ番組はお断りしていたんです。
そんな黒柳を説得したのが、囲み取材にも参加した重延浩ゼネラルプロデューサーだ。
黒柳:重延さんが「これはクイズというよりも、歴史の勉強です」と。「番組を通して、たとえば『ジャンヌ・ダルク』はどんな人だったのか、何をした人かがわかるような歴史の番組にしていきたいんです」と仰ったんです。私もちょうど、「いつか歴史を勉強しないと死ねないな」と思っていたので、出演料もいただけて勉強できるなんてこんな素晴らしい番組はないな、と思ったんですね。
草野もまた、黒柳との出演交渉の思い出を振り返った。
草野:黒柳さんは、「クイズ番組に出て、自分の恥をさらしたくない」というお考えでした。でも、「『正解した人が賢い』とかそういう番組ではないんです。人間の行動・思考の多様性がいかにすばらしいか。正解がAであっても、皆さんの答えの中のBというパターンのほうが効率的で素晴らしい、ということがあるかもしれない。そういった多様性こそ、この番組の生命線にしたいんです」とお願い申し上げたら、一週間考えた末に決断してくださいました。
このまま黒柳徹子の人生を終わらせてはならない
黒柳が出演にあたって一つだけ出した条件があった。それが、収録前に放送回の大まかな「テーマ」を教えて欲しい、というもの。草野がその条件にまつわるエピソードを語った。
草野:当時、黒柳さんは50歳をちょっと過ぎた頃。それまで50年生きてきて、「音楽」「お芝居」「パンダ」「ユニセフ」といったことに関しては他の人には絶対に負けない。でも、科学とかスポーツとかを紐解いていくと、「えっ、こんなことも知らなかったの!?」と自分自身で愕然としたこともあったそうです。だからこそ、このまま黒柳徹子の人生を終わらせてはならない、と。自分の知識レベルを上げるためにも本を読んで勉強したいから、事前にテーマを教えてください、という条件を出されたわけです。
草野は当初、テーマを事前に教えたところで、多忙を極める黒柳が毎回本を読み込むことなどできないだろう、と考えていたという。ところが、ある日の収録で、その考えが間違いだったことに気づく出来事があった。
草野:ある時、かなり充血した目でスタジオに現れた黒柳さんの姿がありました。「どうしたんですか?」と聞いたら、「今週は3冊の本を買い揃えたのに、他のことに追われて本に手が伸びない。ようやく昨夜10時過ぎ、1冊目に手がかかった。でも内容が頭に入ってこない。それでも我慢してページを進めて1冊目、2冊目。そしてようやく3冊目の最後のページに目を通し終えた」と。それが、収録直前の15時過ぎ。つまり16時間以上、一睡もせずに知識を得ようと格闘してきたわけです。そんな黒柳さんの姿を見て、「自分の知識レベルを上げたい、という言葉は、単なる口約束ではなく、本気で取り組もうとされているんだな」と驚かされました。
この草野の発言に対して黒柳が発した言葉こそ、冒頭で紹介した「だから、私はお嫁に行けないんです!」だった。
黒柳:はじめの頃は、「ジャンヌ・ダルク」とか「エジソン」とか、人物名でテーマを教えてくれたので、その人にまつわる本を何冊か読めば良かったんです。でも、私が人間のことはすぐに憶えちゃうというのに気づいたらしく、だんだんテーマが難しく、アバウトになっていきました。
だからこそ、読書量は少ないときでも平均5冊。一番多い時で16冊を一週間の間に読破し、収録に臨んでいるという。
黒柳:ある時のテーマが「クリミア戦争」。でも、何年も続く戦争ですから、せめて「ナイチンゲール」だけでも勉強しておこうと思って本を読んだら、番組でナイチンゲールが出てきて「うわぁああ!」と喜んだこともあります。でも、最近は山を掛けても全然当たらなくなってきましたね。
「できない野々村」から「できる野々村へ」
東大卒の草野仁も驚く勉強量で、どんなジャンルでも正解を導きだす黒柳。一方、「元祖おバカ回答」ともいえる野々村真の珍回答もまた、「ふしぎ発見!」の名物のひとつ。だからこそ、10年前の「野々村真・初パーフェクト達成!」には誰もが驚かされた。あの時、都内ホテルでパーフェクト達成記念パーティが開催され、その模様が芸能ニュースになるほどの「事件」だった。
あれから10年。実は野々村真の「パーフェクト達成回数」は驚くべき進化を遂げている。2016年4月23日放送(1392回)までの記録は以下の通り。
◎黒柳徹子 パーフェクト217回/正答率59.4%
◎野々村真 パーフェクト10回/正答率21.9%
20年で1回、のパーフェクトが、この10年間で9回も達成できたわけだ。
野々村:番組が始まった当時の僕は、全く勉強していませんでした。そのままの自分、自分が生きてきた人生を通して、当時の人物たちとどれだけ同じような発想ができるか? そう思ってずっとやっていたんですけども……ほとんど一切、答えが合うことはありませんでした。
そんな野々村を「天才!」と評したのが、ゲスト出演した美輪明宏だった。
野々村:美輪さんは「あなたは、他の人とまったく違う答えを書く。でも、もしかして将来、あなたは歴史上の人物になるかもしれない。歴史に名を残す人物というのは変わっている人が多い。もし、あなたが歴史上の人物になって、『ふしぎ発見』が続いていたとしたら、今度はあなたの発言を当てなきゃいけない。あなたを当てるのは大変だ!」と仰ってくださいました。
美輪の言葉を励みに、ありのままの野々村、で収録に臨み続けた男も、今年もう52歳。考え方にも変化が生まれたという。
野々村:21歳で番組に参加した僕も30年の間に家族を持ち、子どももできました。いつまでも「できない野々村」だと、子どもに対して父親としての信用がなくなってしまいます。いい加減、「できる野々村」も見せなきゃいけない。もし、僕ができたら「あいつもできるんだから」と視聴者の力になるんじゃないかな、と。そう思って、今は少しずつ勉強するようになっています。
そんな野々村の「変化」に対して、黒柳が再び「だから、私はお嫁に行けないんです!」と語った。
黒柳:野々村さんがものすごく長く考えるようになりました。以前は何も考えずにサササっと書いていたんですが、この頃は絶対に間違えたくないようで、長考になりましたね。おかげで、私、デートもできない。だから、お嫁に行けないんです。だって、15分も考えるようになったんですよ! 前は15分考えても間違っていたんです。でも、この頃は15分考えて、間違ってないときがあるんですよ!
黒柳徹子vs.草野仁 虚々実々の駆け引き
この日の取材では、他にも、「黒柳対草野仁」「黒柳対番組スタッフ」の攻防の軌跡も明かしてくれた。
黒柳:ユニセフの仕事でアフリカに行くとき、飛行機で(ふしぎ発見の)スタッフと一緒になったことがあるんです。「どこに行くの?」と聞いても「いえいえ」。(ミステリーハンター出演回数1位の)竹内海南江ちゃんもいたんで「海南江ちゃん、どこに行くの?」と聞いても「いえいえ」。どこに行くか聞いたっていいじゃありませんか(笑)。私が勉強するといけないから、何一つ漏らさないようにしているんです。
黒柳が勉強のために利用している図書館では、こんなミラクルもあったという。
黒柳:もっとすごいのは、図書館である本に手を伸ばしたら、隣の人が「ドサッ!」って本を落として、すごい勢いで出ていったんです。私は知らない人だったから気にかけなかったんですけども、後から判明したのは、その方がクイズの問題を考える方だったんだそうです。「問題を考えた本に黒柳さんが手を伸ばしていた」ということに驚いて、本をドサッと落としたんだそうです。でも、本が合っていても何百ページもあるんですよ。実際、そのときも正解できませんでしたよ。
正解を求めて努力を怠らない黒柳の戦いは、収録前だけでなく収録中も行われている、と草野が続けた。
草野:「(東洋航路を発見した)ヴァスコ・ダ・ガマが、上陸した先々であるものを残していきました。それは一体なんでしょうか?」という問題がありました。そのとき、私の手が無意識で十字を描いていたんです。それに気がついたのが黒柳さんお一人。「十字架」と書いて、黒柳さんだけが正解でした。
一挙手一投足を見逃さない黒柳徹子。草野はそれ以降、本当に神経質に、黒柳対策をとるようになったという。
草野:私の手元には、皆さんの回答が映るモニターがあります。ある問題で黒柳さんが書き終わった瞬間、私が「フフ」と笑ったんだそうです。それを見た黒柳さんは、「あ、これは違うんだ」と書き直されたこともありました。それからは、騙し戦術で表情を作るようになりました。私たちの間には、虚々実々の駆け引きが常に行われています(笑)。
変わらないのは「人間の考え方」
「歴史と遊ぶ」をコンセプトに、宇宙の誕生から人類の未来まで、歴史と人々の営みを紹介してきた「世界ふしぎ発見!」。番組のゼネラルプロデューサーの重延浩は第一回放送の台本を手に、「30年」という月日の変化を語った。
重延:1回目の台本は手書きで、ガリ版刷り。自分の身の回りの科学でも30年でこれだけの変化があるんです。東西冷戦が終わり、社会が一挙に変わり、それぞれが交流するようになったのが大きな変化。でも、その中で変わらないのは「人間の考え方」です。毎回40本くらいの企画を考えるんですが、企画に詰まったことは一度もありません。この7月に1400回を迎えますが、まだまだ行けます。1万回でもいけると思っています。
黒柳もまた、「人間の面白さ」を語った。
黒柳:「アンデルセンが旅行に行くときに必ず持っていったものは?」という問題があって、答えが「縄」。火事になったときに逃げられるように、と。その答えがとても人間的で、すごくおかしかった。アンデルセンという人はそんなにも死ぬのが嫌だったんだ、と。私、「人間」が出る問題が好きですね。
時代が移っても変わらない人間の魅力。変わらない番組の魅力とコンセプト。でも、野々村真は「変わりたい!」という。
野々村:草野さんの驚異的な肉体、黒柳さんの頭。これは30年前と何も変わりません! 僕だけ、もっと変わるように。もっともっと回答時間も短くするように頑張ります。回答率はいまだに2割ちょっと。黒柳さんは6割。30周年ということですから、今年は3割に乗せたいと思います。今後ともよろしくお願いします!
(オグマナオト)