「いけすかない老婦人」あさ対らいてう女のバトル「あさが来た」153話
朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)3月30日(水)放送。第26週「柔らかい心」第153話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:西谷真一
平塚明(大島優子)が大阪に訪ねてきて、あさ(波瑠)に対する悪い印象を並べ立てる。その時は穏やかに接していたあさだったが、内心は立ち直れないほどの気落ちをしていた。
その後、あさはすっぱり仕事と縁を切り、新次郎と共に時を過ごすようになった。
新次郎があさにくれたパチパチはんが梅の木でできていると、あさの母・梨江(寺島しのぶ)が何気なく言っていた台詞が、植樹の梅の木に生かされるとは、なんて素敵なのだろう。
そんな冴えてる脚本家・大森美香の心の中を妄想してみた。
最終週をどうするか、悩みに悩む脚本家・大森美香。
「あさが来た」は新次郎とあさの夫婦の姿が人気だったので、ふたりの話でまとめたい。夫婦を描いた「マッサン」の最終週が大いに盛り上がるいい話だったので、やはり、どちらか一方が亡くなる時の最大の夫婦愛を描くのが妥当だろう。となると、あさが仕事でなく新次郎を選ぶ流れにしなくてはならない。今までずっとあさは本当に新次郎が好きだったのか明かさずに来た。最初、新次郎は親の決めた許婚でしかなく、あさはまだ幼かったため、流れで結婚生活をはじめてしまったものの、大好きな仕事をするうえで、最高の支えになってくれる人だったから、長く一緒にいられただけと思えないこともない。
とはいえ、長年共に生きて来た新次郎が余命いくばくもないとあっては、仕事を選ぶわけにはいかないのが人情。さりとて、今までがむしゃらに男勝りに働いてきたあさを突如として情緒に流される女にするのもためらわれる。世の中では、親の死に目にも会えない覚悟で仕事している人もいるのだから。
そこで、平塚らいてう(明)だ。
彼女なら、あさに引導を渡すに足る強烈な人物である(彼女の偉業についてはネットでも充分調べられるし、誰かが解説レビューを書いてくれるようなのでここでは触れない)。
彼女については原案ではとくに描かれていないが、五代だって、原案以上に出して成功したし、福沢諭吉との出会いもフィクションだ。
あさが新しい世代へバトンを渡して引退し、新次郎と夫婦生活を送るためのきっかけにしよう。よし、あさ対らいてうの激しい女のバトルを書こう。
そのため、宜ちゃんには、伝書鳩みたいにあさとらいてうの言ったことをお互いに報告する、本来なら「バカ女」とそしられかねない行動をとってもらおう。そうしないとお互いが出会えない。
という感じに、153回が出来あがったと想像。
宜ちゃんから話を聞いたらいてうは、「ひきょう者とはなにごとかという憤懣やるかたない心もちで大阪まで参りました」という堅苦しい言葉遣いでやってきて、「いけすかない老婦人」などと言いたい放題。
だが、あさは、それによって、「お父ちゃん以外の誰に好かれてもしょうがあらへん」と達観するのだ。
誰に嫌われても気にせず、自分の信念をもって生きていくスタイルはよくあるが、あさには、いつも変わらずたったひとり味方(新次郎)がいる。それがあさを、格別な物語の主人公にしているといえるだろう。
あさを最高に魅力的な主人公にするために、敵キャラ平塚らいてうが最高の働きをした。
大島優子、まったく重要な仕事をやってのけたものだ。
このまま、時代は大正期となって、大島には「はいからさんが通る」の主人公・紅緒をやってほしい。当然少尉は玉木宏で。紅緒がボブの時は、篠田麻里子が似ているんだけど。
さて。153回は、なんといっても、美和(野々すみ花)と平十郎(辻本茂雄)がいつの間にか、深い仲になっていたことである。あさが、40年以上経っても、まだ新次郎と何かあるのかと気にしていると、美和にはとっくに別の人が、という流れ。ふたりの関係は、平十郎が店にしょっちゅう通っている描写で想像できないこともなかった。でも、結婚したのかこれからするのかどうなのか、はっきりとした言葉にはしないままになっている。残りの3回で、はっきりした結末が出てくるのだろうか。いずれにしても、おひとりさまの希望の星がうめ(友近)だけになってしまった。
(木俣冬)
木俣冬の日刊「あさが来た」レビューまとめ読みはこちらから
153話はこんな話
平塚明(大島優子)が大阪に訪ねてきて、あさ(波瑠)に対する悪い印象を並べ立てる。その時は穏やかに接していたあさだったが、内心は立ち直れないほどの気落ちをしていた。
その後、あさはすっぱり仕事と縁を切り、新次郎と共に時を過ごすようになった。
あさを輝かせた平塚らいてう
新次郎があさにくれたパチパチはんが梅の木でできていると、あさの母・梨江(寺島しのぶ)が何気なく言っていた台詞が、植樹の梅の木に生かされるとは、なんて素敵なのだろう。
そんな冴えてる脚本家・大森美香の心の中を妄想してみた。
最終週をどうするか、悩みに悩む脚本家・大森美香。
「あさが来た」は新次郎とあさの夫婦の姿が人気だったので、ふたりの話でまとめたい。夫婦を描いた「マッサン」の最終週が大いに盛り上がるいい話だったので、やはり、どちらか一方が亡くなる時の最大の夫婦愛を描くのが妥当だろう。となると、あさが仕事でなく新次郎を選ぶ流れにしなくてはならない。今までずっとあさは本当に新次郎が好きだったのか明かさずに来た。最初、新次郎は親の決めた許婚でしかなく、あさはまだ幼かったため、流れで結婚生活をはじめてしまったものの、大好きな仕事をするうえで、最高の支えになってくれる人だったから、長く一緒にいられただけと思えないこともない。
とはいえ、長年共に生きて来た新次郎が余命いくばくもないとあっては、仕事を選ぶわけにはいかないのが人情。さりとて、今までがむしゃらに男勝りに働いてきたあさを突如として情緒に流される女にするのもためらわれる。世の中では、親の死に目にも会えない覚悟で仕事している人もいるのだから。
そこで、平塚らいてう(明)だ。
彼女なら、あさに引導を渡すに足る強烈な人物である(彼女の偉業についてはネットでも充分調べられるし、誰かが解説レビューを書いてくれるようなのでここでは触れない)。
彼女については原案ではとくに描かれていないが、五代だって、原案以上に出して成功したし、福沢諭吉との出会いもフィクションだ。
あさが新しい世代へバトンを渡して引退し、新次郎と夫婦生活を送るためのきっかけにしよう。よし、あさ対らいてうの激しい女のバトルを書こう。
そのため、宜ちゃんには、伝書鳩みたいにあさとらいてうの言ったことをお互いに報告する、本来なら「バカ女」とそしられかねない行動をとってもらおう。そうしないとお互いが出会えない。
という感じに、153回が出来あがったと想像。
宜ちゃんから話を聞いたらいてうは、「ひきょう者とはなにごとかという憤懣やるかたない心もちで大阪まで参りました」という堅苦しい言葉遣いでやってきて、「いけすかない老婦人」などと言いたい放題。
だが、あさは、それによって、「お父ちゃん以外の誰に好かれてもしょうがあらへん」と達観するのだ。
誰に嫌われても気にせず、自分の信念をもって生きていくスタイルはよくあるが、あさには、いつも変わらずたったひとり味方(新次郎)がいる。それがあさを、格別な物語の主人公にしているといえるだろう。
あさを最高に魅力的な主人公にするために、敵キャラ平塚らいてうが最高の働きをした。
大島優子、まったく重要な仕事をやってのけたものだ。
このまま、時代は大正期となって、大島には「はいからさんが通る」の主人公・紅緒をやってほしい。当然少尉は玉木宏で。紅緒がボブの時は、篠田麻里子が似ているんだけど。
さて。153回は、なんといっても、美和(野々すみ花)と平十郎(辻本茂雄)がいつの間にか、深い仲になっていたことである。あさが、40年以上経っても、まだ新次郎と何かあるのかと気にしていると、美和にはとっくに別の人が、という流れ。ふたりの関係は、平十郎が店にしょっちゅう通っている描写で想像できないこともなかった。でも、結婚したのかこれからするのかどうなのか、はっきりとした言葉にはしないままになっている。残りの3回で、はっきりした結末が出てくるのだろうか。いずれにしても、おひとりさまの希望の星がうめ(友近)だけになってしまった。
(木俣冬)
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