川谷絵音〈人の悪口言う前に自分の生活のこと考えたほうがいいと思います〉の正しさ
ベッキーとの不倫騒動のあといわゆる「沈黙を保っていた」川谷絵音の発言(3月2日のゲスの極み乙女。のライヴにて)が、各媒体で大きく取り上げられた。
〈言っておくけど俺、好きで黙ってたわけじゃないから〉
〈こんなこと言うと多分叩かれるけど、すごいネットとかでみんな謝れって言うけど世間の誰に謝ればいいの?〉
義憤や被害者意識に押し流されるまま他人を吊るし上げるタチの人が、SNSにはいっぱいいる。
『正しい恨みの晴らし方 科学で読み解くネガティブ感情』(ポプラ新書)によれば、義憤・公憤・社会正義を振りかざすとき、人は〈正義という名の麻薬〉に酔っているという。
本書は攻撃的なネガティヴ感情の仕組みを、臨床心理学と脳神経医学の両面から解き明かし、その解決法を提示している。
著者は脳科学者・中野信子(横浜市立大客員准教授)と心理学者・澤田匡人(宇都宮大准教授)のふたり。
通称「ゲス不倫」騒動のみならず、甘利明・経済財政政策担当大臣(当時)の金銭授受疑惑、SMAP解散危機、もと読売ジャイアンツ・清原和博の薬物事件など、一連のセンテンススプリング的話題が報道されるたびに、SNSのユーザたちが当人や関係者を批判し、叩き、disり、もし当人がアカウントを持っているとそれが「炎上」する、という現象が、きわめて早いサイクルで繰り返されている。
どうもこの手の攻撃的ネガティヴ感情が発動すると、人はイキイキしてしまうものらしい。
〈私たちはテレビなどで活躍している芸能人、有名人に対して羨ましい気持ちを抱えているものです。自分たちより豊かな暮らしをしているはずだ、あらゆる面で優遇されているに違いないと、実際には知らない彼らの生活を想像してしまいます。そして、優雅な暮らしをしている人は、それに相応しい行いをすべきであると、勝手に思い込む場合もあるでしょう。〔…〕
その相手が何らかの不祥事を起こしたわけですから、燻っていた妬みを正当化するのには、これ以上の好機はありません。さらには、ワイドショーや週刊誌などで繰り返し取り上げられる中で、妬みや恨みが共有されているように感じてしまう。そうなると、妬んでも良い、恨んでも構わないという後ろ盾を得たわけですから、バッシングはエスカレートしていく一方です〉(澤田匡人)
そういう感情を刺戟する題材が新たに出てくることを、ウェブでは俗に〈燃料投下〉と呼んでいる。
ではその燃料によってアツくなっているものはなにか?
脳である。
『正しい恨みの晴らし方』に引用されている大浦宏邦(帝京大教授)の『人間行動に潜むジレンマ 自分勝手はやめられない?』(化学同人《DOJIN選書》)によると、
〈権威主義的な攻撃性をもつ人は、些細な規則違反やミスに対して過剰に反応して罰を与えようとする傾向をもつ。〔…〕自分勝手な行動に罰を与えると、脳内に快感物質であるドーパミンが分泌されるという報告もされている〉
〈燃料投下〉は、快感を司る脳内物質ドーパミンのトリガーとなるらしい。
SNSにいっぱいいる、義憤や被害者意識に押し流されるまま他人を吊るし上げるタチの人は、〈正義という名の麻薬〉の依存症をわずらっているということなのだ。
この〈正義という名の麻薬〉というのは、『正しい恨みの晴らし方』第5章の題である。その章のなかの一節を紹介しよう。
〈私は、社会正義ほど恐ろしいものはないと考えています。個人的には、お金が欲しいという欲求を肯定して行動できる人の方を、社会正義を標榜して他者に制裁を加える人よりは信頼できると思います〉(中野信子)
本書では『殉愛』(幻冬舎)刊行後の百田尚樹バッシングについても触れられている(本書が百田氏を弁護しているわけではない)。
「いやべつに、川谷絵音のことを羨んだりなんかしてないし!」という人もいるだろう。
そもそも、人は自分が他人(有名人、同期入社のだれか、友人、ご近所さん)を妬んでいるということを認めたがらない。この自己欺瞞についてはこう書かれている。
〈不快な感情を自分自身が持っている、ということを、認めることは通常とても困難です。そのような感情を持っていると認知するのはストレスが大きく、できるだけ意識に上らせないように、脳が勝手に認知を書き換えるからです〉(中野)
わかるわかる。脳というのは、その持ち主の自己像を決定的に毀損するような事実を、どうにかして否認しようとするものなのだ。
SNS上でリア充自慢をする側も、またそれを目にして不快に思う側も、いくら否認しようがじっさいには妬み妬まれ(正確には「妬み妬ませ」)の相互作用のなかに身を置いている。
〈フェイスブックのアカウントを持つアメリカの大学生約400人を対象に行われた研究があります。そこでは、フェイスブックの利用年数が長い人ほど、他人の方が幸せだと感じていると同時に、人生は公平ではないとも考える傾向にあることがわかりました〉(澤田)
『正しい恨みの晴らし方』を読んでいて改めて認識させられるのは、「義憤」だけでなく、攻撃的なネガティヴ感情一般──「怨恨」「羨望」「妬み」「嫉妬」「憎しみ」──の背後には、「正義が自分にある」と信じてしまう脳の働きが存在しているらしい、ということだ。
エキレビ!でも記事を書いている歌人・枡野浩一さんに、つぎのような短歌がある。
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である
五年後に仕返しされて殺される覚悟があればいじめてもよい
人間はどうも、悪いことをした者にはそれなりの報い(もちろん悪い報い)があってほしいと思い、それがないと納得しない生き物なのだ。
デュマの『モンテ・クリスト伯』のような復讐譚や、必殺シリーズとか『半沢直樹』といった勧善懲悪ドラマは、そういった人間の感情に支えられている。
川谷絵音がライヴで、
〈人の悪口言う前に自分の生活のこと考えたほうがいいと思います〉
と言ったのと同じように、枡野浩一さんにはこういう鋭い短歌もある。
正しさの中にいるからあなたにはここから先は理解できない
〈悪いことをしたのだから、今度はどんな制裁を受けても構わないのだと叩くのもまた、「いじめ」そのものではありませんか〉(澤田)
本書で中野さんが書いているように、人間という生物は協力行動によって繁栄した。そのさい、協力行動にタダ乗りする〈フリーライダー〉を見抜くための〈裏切り者検出モジュール〉も、脳に構築された。
このあたりは、進化心理学でよく言われるところである。
共同体の流儀から浮いた者に制裁を加える行動は、このシステムに支えられている。
公正を求める義憤・公憤・被害者意識の背後には、〈裏切り者検出モジュール〉が働いているのだ。
〈日本人は、脳内で「安心ホルモン」であるセロトニンのリサイクルをしているセロトニントランスポーターの少ない人が世界平均よりずっと多く、危険な兆候やリスクに対して敏感な国民性を遺伝子レベルで持っています〉(中野)
また中野さんも言うように、〈女性が男性に比べてセロトニンの合成能力が低いために、より強く持ってしまう特有の不安感〉というものがあり(男性のセロトニン合成能力は女性の1.5倍ともいう)、〈女性の不満は不安と表裏一体なのです〉。
一般に日本人は、また女性は、不安を覚えやすい傾向があるということだ。
本書で紹介されている『日本苦情白書』の調査によると、〈誠意を見せろ〉と苦情を言う人に、〈誠意〉とはなにか? と質問したところ、男性回答1位が〈正直〉、女性回答1位が〈話を聞く〉だった、というのもうなずける。
川谷絵音にたいする〈謝れ〉は、クレーマーの〈誠意を見せろ〉と同じ心性に支えられている。SNSでの著名人叩きは、遺伝子のチョイスの結果だということか。
このチョイスは、文明以前のサヴァンナを人類が生き延びてくるうえで役立ったけれども、現代の文明世界では、自分や他人を生きづらくしてしまうふうにしか働かないだろう。
では、どうやってこのネガティヴ攻撃地獄を抜け出すのか?
本書が提案する解決策についてはじっさいに本を読んでいただくしかないが、両著者の巻末対談で、中野さんが出す〈優雅な生活が最高の復讐である〉という格言にヒントがある。
この対談で両著者は、それぞれのみずからの幼少期の生きづらさをカミングアウトしている。
澤田さんは小学校のときに太っていて運動ができず、友だちもできなかった。
中野さんは中野さんで、中学校のときに同性の生徒のなかで浮いていた。
こういう体験は、引きずってしまうケースがけっこうある。
じっさい、幼少期という情報面で圧倒的に不利な時期の、残酷で乱暴な人間関係で受けた傷をもとにして、「世界とはこういうところだ」と拙速に結論を下す人は多い(僕も過去にそうしていたことがある)。
そして大人になってもそれを修正しないまま、肩肘張って攻撃的な気分を引きずって生きてしまう。
けれど本書の著者たちは、その感情の仕組みを「知る」道を選んだ。
ネガティヴ感情には仕組みがある。この数十年でその成り立ちがだいぶ明らかになってきた。感情の科学はいま日進月歩なのだ。
人間の脳は、高度だけれどバグも多い器官。
その挙動がわかると、〈最高の復讐〉としての〈優雅な生活〉へと、人はおのずと導かれていく。なぜ脳が「恨み」「妬み」「憎しみ」というメカニズムを備えたのか、ということがわかると、
「俺はいまどうして恨んで(妬んで、憎んで)いるのか」
という問題が、一気にほどけてくる。優雅な生活は、その問題が「ほどけ」たあとにしか存在しないのだ。
(千野帽子)
〈言っておくけど俺、好きで黙ってたわけじゃないから〉
〈こんなこと言うと多分叩かれるけど、すごいネットとかでみんな謝れって言うけど世間の誰に謝ればいいの?〉
人はなぜ、他人を叩き、謝罪を要求するのか?
義憤や被害者意識に押し流されるまま他人を吊るし上げるタチの人が、SNSにはいっぱいいる。
『正しい恨みの晴らし方 科学で読み解くネガティブ感情』(ポプラ新書)によれば、義憤・公憤・社会正義を振りかざすとき、人は〈正義という名の麻薬〉に酔っているという。
本書は攻撃的なネガティヴ感情の仕組みを、臨床心理学と脳神経医学の両面から解き明かし、その解決法を提示している。
著者は脳科学者・中野信子(横浜市立大客員准教授)と心理学者・澤田匡人(宇都宮大准教授)のふたり。
義憤の陰に〈正義という名の麻薬〉
通称「ゲス不倫」騒動のみならず、甘利明・経済財政政策担当大臣(当時)の金銭授受疑惑、SMAP解散危機、もと読売ジャイアンツ・清原和博の薬物事件など、一連のセンテンススプリング的話題が報道されるたびに、SNSのユーザたちが当人や関係者を批判し、叩き、disり、もし当人がアカウントを持っているとそれが「炎上」する、という現象が、きわめて早いサイクルで繰り返されている。
どうもこの手の攻撃的ネガティヴ感情が発動すると、人はイキイキしてしまうものらしい。
〈私たちはテレビなどで活躍している芸能人、有名人に対して羨ましい気持ちを抱えているものです。自分たちより豊かな暮らしをしているはずだ、あらゆる面で優遇されているに違いないと、実際には知らない彼らの生活を想像してしまいます。そして、優雅な暮らしをしている人は、それに相応しい行いをすべきであると、勝手に思い込む場合もあるでしょう。〔…〕
その相手が何らかの不祥事を起こしたわけですから、燻っていた妬みを正当化するのには、これ以上の好機はありません。さらには、ワイドショーや週刊誌などで繰り返し取り上げられる中で、妬みや恨みが共有されているように感じてしまう。そうなると、妬んでも良い、恨んでも構わないという後ろ盾を得たわけですから、バッシングはエスカレートしていく一方です〉(澤田匡人)
そういう感情を刺戟する題材が新たに出てくることを、ウェブでは俗に〈燃料投下〉と呼んでいる。
ではその燃料によってアツくなっているものはなにか?
脳である。
義憤の陰に〈正義という名の麻薬〉
『正しい恨みの晴らし方』に引用されている大浦宏邦(帝京大教授)の『人間行動に潜むジレンマ 自分勝手はやめられない?』(化学同人《DOJIN選書》)によると、
〈権威主義的な攻撃性をもつ人は、些細な規則違反やミスに対して過剰に反応して罰を与えようとする傾向をもつ。〔…〕自分勝手な行動に罰を与えると、脳内に快感物質であるドーパミンが分泌されるという報告もされている〉
〈燃料投下〉は、快感を司る脳内物質ドーパミンのトリガーとなるらしい。
SNSにいっぱいいる、義憤や被害者意識に押し流されるまま他人を吊るし上げるタチの人は、〈正義という名の麻薬〉の依存症をわずらっているということなのだ。
この〈正義という名の麻薬〉というのは、『正しい恨みの晴らし方』第5章の題である。その章のなかの一節を紹介しよう。
〈私は、社会正義ほど恐ろしいものはないと考えています。個人的には、お金が欲しいという欲求を肯定して行動できる人の方を、社会正義を標榜して他者に制裁を加える人よりは信頼できると思います〉(中野信子)
本書では『殉愛』(幻冬舎)刊行後の百田尚樹バッシングについても触れられている(本書が百田氏を弁護しているわけではない)。
Facebookを使い続けているとひがみっぽくなる?
「いやべつに、川谷絵音のことを羨んだりなんかしてないし!」という人もいるだろう。
そもそも、人は自分が他人(有名人、同期入社のだれか、友人、ご近所さん)を妬んでいるということを認めたがらない。この自己欺瞞についてはこう書かれている。
〈不快な感情を自分自身が持っている、ということを、認めることは通常とても困難です。そのような感情を持っていると認知するのはストレスが大きく、できるだけ意識に上らせないように、脳が勝手に認知を書き換えるからです〉(中野)
わかるわかる。脳というのは、その持ち主の自己像を決定的に毀損するような事実を、どうにかして否認しようとするものなのだ。
SNS上でリア充自慢をする側も、またそれを目にして不快に思う側も、いくら否認しようがじっさいには妬み妬まれ(正確には「妬み妬ませ」)の相互作用のなかに身を置いている。
〈フェイスブックのアカウントを持つアメリカの大学生約400人を対象に行われた研究があります。そこでは、フェイスブックの利用年数が長い人ほど、他人の方が幸せだと感じていると同時に、人生は公平ではないとも考える傾向にあることがわかりました〉(澤田)
因果応報と勧善懲悪
『正しい恨みの晴らし方』を読んでいて改めて認識させられるのは、「義憤」だけでなく、攻撃的なネガティヴ感情一般──「怨恨」「羨望」「妬み」「嫉妬」「憎しみ」──の背後には、「正義が自分にある」と信じてしまう脳の働きが存在しているらしい、ということだ。
エキレビ!でも記事を書いている歌人・枡野浩一さんに、つぎのような短歌がある。
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である
五年後に仕返しされて殺される覚悟があればいじめてもよい
人間はどうも、悪いことをした者にはそれなりの報い(もちろん悪い報い)があってほしいと思い、それがないと納得しない生き物なのだ。
デュマの『モンテ・クリスト伯』のような復讐譚や、必殺シリーズとか『半沢直樹』といった勧善懲悪ドラマは、そういった人間の感情に支えられている。
川谷絵音がライヴで、
〈人の悪口言う前に自分の生活のこと考えたほうがいいと思います〉
と言ったのと同じように、枡野浩一さんにはこういう鋭い短歌もある。
正しさの中にいるからあなたにはここから先は理解できない
〈悪いことをしたのだから、今度はどんな制裁を受けても構わないのだと叩くのもまた、「いじめ」そのものではありませんか〉(澤田)
「責任」や「誠意」を追及してしまう人は、不安が強い
本書で中野さんが書いているように、人間という生物は協力行動によって繁栄した。そのさい、協力行動にタダ乗りする〈フリーライダー〉を見抜くための〈裏切り者検出モジュール〉も、脳に構築された。
このあたりは、進化心理学でよく言われるところである。
共同体の流儀から浮いた者に制裁を加える行動は、このシステムに支えられている。
公正を求める義憤・公憤・被害者意識の背後には、〈裏切り者検出モジュール〉が働いているのだ。
〈日本人は、脳内で「安心ホルモン」であるセロトニンのリサイクルをしているセロトニントランスポーターの少ない人が世界平均よりずっと多く、危険な兆候やリスクに対して敏感な国民性を遺伝子レベルで持っています〉(中野)
また中野さんも言うように、〈女性が男性に比べてセロトニンの合成能力が低いために、より強く持ってしまう特有の不安感〉というものがあり(男性のセロトニン合成能力は女性の1.5倍ともいう)、〈女性の不満は不安と表裏一体なのです〉。
一般に日本人は、また女性は、不安を覚えやすい傾向があるということだ。
本書で紹介されている『日本苦情白書』の調査によると、〈誠意を見せろ〉と苦情を言う人に、〈誠意〉とはなにか? と質問したところ、男性回答1位が〈正直〉、女性回答1位が〈話を聞く〉だった、というのもうなずける。
川谷絵音にたいする〈謝れ〉は、クレーマーの〈誠意を見せろ〉と同じ心性に支えられている。SNSでの著名人叩きは、遺伝子のチョイスの結果だということか。
このチョイスは、文明以前のサヴァンナを人類が生き延びてくるうえで役立ったけれども、現代の文明世界では、自分や他人を生きづらくしてしまうふうにしか働かないだろう。
優雅な生活が最高の復讐である
では、どうやってこのネガティヴ攻撃地獄を抜け出すのか?
本書が提案する解決策についてはじっさいに本を読んでいただくしかないが、両著者の巻末対談で、中野さんが出す〈優雅な生活が最高の復讐である〉という格言にヒントがある。
この対談で両著者は、それぞれのみずからの幼少期の生きづらさをカミングアウトしている。
澤田さんは小学校のときに太っていて運動ができず、友だちもできなかった。
中野さんは中野さんで、中学校のときに同性の生徒のなかで浮いていた。
こういう体験は、引きずってしまうケースがけっこうある。
じっさい、幼少期という情報面で圧倒的に不利な時期の、残酷で乱暴な人間関係で受けた傷をもとにして、「世界とはこういうところだ」と拙速に結論を下す人は多い(僕も過去にそうしていたことがある)。
そして大人になってもそれを修正しないまま、肩肘張って攻撃的な気分を引きずって生きてしまう。
けれど本書の著者たちは、その感情の仕組みを「知る」道を選んだ。
ネガティヴ感情には仕組みがある。この数十年でその成り立ちがだいぶ明らかになってきた。感情の科学はいま日進月歩なのだ。
人間の脳は、高度だけれどバグも多い器官。
その挙動がわかると、〈最高の復讐〉としての〈優雅な生活〉へと、人はおのずと導かれていく。なぜ脳が「恨み」「妬み」「憎しみ」というメカニズムを備えたのか、ということがわかると、
「俺はいまどうして恨んで(妬んで、憎んで)いるのか」
という問題が、一気にほどけてくる。優雅な生活は、その問題が「ほどけ」たあとにしか存在しないのだ。
(千野帽子)