乃木坂46を卒業することが決定している深川麻衣。14thシングル『ハルジオンが咲く頃』でセンターを務める彼女に、「FLASHスペシャル グラビアBEST2016早春号(光文社刊)」ロングインタビューを行った。

―そもそもですが、どうして乃木坂46を受けようと思ったんですか?

深川麻衣

芸能でやっていきたいという夢があったので、専門学校を卒業した後、オーディションを探そうと思って上京してきたんです。何のあてもなかったけど、後悔したくなかったんです。両親と約束していたことは、「期限を決めて頑張りなさい」ということでした。1〜2年オーディションを受けてみて、ダメだったら諦めようと思っていました。そのタイミングで見つけたのが乃木坂46。1期生という単語に惹かれました。もし3期生とか4期生だったら応募していなかったかもしれません。

―グループも視野に入っていた?

深川麻衣

集団で何かを作り上げるのが楽しそうだなって思いました。ただ、審査のために会場に行ったら、びっくりしたんです。私は当時20歳。まわりの応募者は年齢も若いし、白いワンピースが似合いそうなコばかりだったんです。こういうコたちがアイドルになるんだなと思ったんです。合格したことは嬉しかったけど、年齢が離れたメンバーとやっていけるかなと不安が芽生えました。

―合格後、その場で暫定選抜が決まりました。

深川麻衣

私はそこに入れませんでした。隣にいたゆったん(斉藤優里)と「すごいね…」と話していた記憶があります。私としては入れなかったことに対する不安ではなく、これから始まる活動に対しての漠然とした不安がありました。

―レッスンはいかがでしたか?

深川麻衣

覚えているのはボイトレの先生が怖かったことです。一人ずつ順番に先生の横で歌うレッスンがあって、「やる気あるの?」って言われたんです。一生懸命歌ったんですけど(笑)。ボイトレは毎回憂鬱でしたね。

―’12年2月、乃木坂46はCDデビューを飾りますが、選抜メンバーには入れませんでした。

深川麻衣

デビューの前に、CMに出られるメンバーには選ばれていたんですけど、肝心のデビュー曲に選ばれなかったのはすごく悔しかったです。でも、選抜のコたちは選ばれるだけの理由がありました。それは、個性がはっきりしているということでした。私があの場所に立っていても、成立させる自信はありませんでした。なので、「自分の個性って何だろう?」といちばんもやもやしていた時期でした。

―その時期はつらかったんですね。

深川麻衣

合格直後は一人暮らしをしていたので、帰る方向が一緒だったのがまいやん(白石麻衣)、みさみさ(衛藤美彩)でした。その後、寮が出来るまでのホテル暮らしの時期は、ななみん(橋本奈々未)と相部屋でした。まわりにいるのは選抜メンバーが多かったので、「自分は年上なのに何をやっているんだろう」と思っていました…(涙)。

―3枚めのシングル『走れ!Bicycle』で初選抜を果たしました。

深川麻衣

ファンの方がとても喜んでくださいました。でも、次は残れるんだろうかって不安が襲ってきました。その不安を振り払おうと、『乃木坂って、どこ?』の最初の収録にめっちゃ意気込んで臨んだんです。ところが、こてんぱんにされました。

―どうなったんですか?

深川麻衣

激辛占い師の魚ちゃんさんに運勢をみていただいたんですけど、ぼろぼろなことを言われたんです。それは私だけじゃないんですけど、私はそれを真に受けてしまって、ただただショックで。何も面白いことを返せないし…(涙)。何か結果を残さないと次がないと思い込んでいたんです。当時の私に言葉をかけるなら、「バラエティなんだから、そこまで気にしなくてもいいよ」と言ってあげたいです(笑)。