夏の甲子園が終了し、サッカーでも名門の群馬の前橋育英高が初優勝を飾ったね。今年も球児たちの涙あり、笑顔ありの、これぞ日本の夏の風物詩という大会だった。テレビの前に釘付けになった人も多いんじゃないかな。

 その一方、この炎天下で連日試合をさせるというあり方について、一部で批判の声も上がったようだ。選手たちの身体的リスクを度外視し、灼熱の白昼に行われていることに対し、「スポーツよりも精神論」、「時代遅れ」といった意見が飛び交った。
 
 この問題の根底にはるのは、日本におけるそもそものスポーツの位置付けだ。欧米のスポーツとは意味合いが違い、日本の場合は「体育」や「部活動」として、文部科学省の管轄下にある。日本のスポーツは、スポーツというより教育であり、甲子園も全国高校サッカー選手権も、すべて学校行事の延長なのだ。
 
 炎天下での試合を批判する意見も理解できる。しかし変えるにはあまりにも長く、深く培われてきた日本独特の伝統がある。甲子園で連日奮闘する選手たちも去ることながら、応援団の練習も非常にきつい。そこにあるのは合理性ではなく、皆で伝統を継承していくという、精神性だね。これが日本という社会のあり方だ。
 
 野球に比べ、近年のサッカーはより欧米的な考えが主流になりつつある。日本クラブユース選手権も、第1試合のキックオフ時間を朝9時にするなど、細かな配慮がなされてきている。これは対世界というものが常に念頭にあるサッカーと、極めてドメスティックな感覚だけで終わっている野球界との違いだろう。けれどそのサッカーにしても、高校サッカーの大会では連日試合が組まれるし、夏休みの部活はまるで軍隊のような厳しさだ。まだまだスポーツ先進国には遠い実態がある。
  
 僕個人は、変えられるものなら変えるべきだと思っている。教育下にある体育や部活動ではなく、スポーツはスポーツそのものとして存在し、楽しまれるべきだと思っている。けれどそのためには、スポーツ省を設立し、文部科学省から部活動を外すといった、国家レベルの改革が必要だ。それができるかどうか。変えるのは国民一人ひとりの考えた方によるわけだが、さて、皆さんはどう思うだろうか?