金子勝彦アナ、二重の功績
殿堂入りを祝う会
(11月22日 横浜ホテルニューグランド)
★放送界から初選出
金子勝彦さんのサッカー殿堂入りを祝う会が横浜のホテルで開かれた。幹事3人のうち2人がテレビ東京のOB、司会はテレビ東京のアナウンサー、参加者の多くもテレビ東京の関係者だった。
金子さんはテレビ東京のスポーツ・アナウンサーだった。
「放送界から初めての殿堂入りです」と司会者が紹介した。
マスコミからの殿堂入りは、これまでにもあったが、いずれも新聞関係だった。金子さんとともに殿堂入りした奈良原武士さんは共同通信社の記者だった。確かに放送関係では初めてである。
放送関係からの選出は初めてだけでなく、新しい要素を含んでいる。
それは、放送番組の作成は一人の仕事ではなく、大勢の人の共同作業だということである。だから、金子さんの殿堂入りは、テレビ東京の殿堂入りだということもできる。
★「ダイヤモンド・サッカー」
テレビ東京(当時の名称は東京12チャンネル)が1960〜80年代に放送した「三菱ダイヤモンド・サッカー」は、日本のサッカーの改革に言葉に尽くせない影響を与えた。世界のトップレべルのプレーを動く映像で伝えたからである。その功績は空前絶後だと言っていい。
この番組の成り立ちには、多くの人が関係している。
スポンサーになった三菱の功績は大きい。これを推進したのは、三菱化成役員の篠島秀雄さんだった。金子さんの祝賀会に、あと4ヵ月で100歳になるという篠島夫人が出席していた。
番組を制作したプロデューサー、ディレクターの寺尾皖次さんは祝賀会の発起人だった。当時の運動部長の白石剛達さんも出席していた。こういう人たちを含めた「三菱ダイヤモンド・サッカー」の代表として、画面に映っていた金子アナが殿堂入りしたのだろうと思った。
★「ワン・ツー・リターン」
サッカー番組のアナウンサーとして、金子さん個人の功績も大きい。映像と連動しながら、新しい表現を日本のサッカーに持ち込んだ。
たとえば金子さんの代名詞のようになっている「ワン・ツー・リターン」である。当時は耳慣れない英語だったが、そのプレーが画面に映っているので、見ている人に,すぐ理解できた。
活字で「壁パス」などと翻訳していたのにくらべて、生き生きと躍動した表現だった。
金子さんの殿堂入りには二重の意味があったと思う。
「ダイヤモンド・サッカー」の集団的功績とサッカー・アナウンサーとしての個人的功績である。
もう一つ付け加えれば、金子さんの場合は「プロとして」の初めての表彰だった。
これまでの表彰は、本来の職業を離れてボランティアとしてサッカーに貢献したことが認められたものだった。
金子さんは仕事としてサッカーに貢献したのだった。
祝賀会で挨拶する金子勝彦さん。
(11月22日 横浜ホテルニューグランド)
★放送界から初選出
金子勝彦さんのサッカー殿堂入りを祝う会が横浜のホテルで開かれた。幹事3人のうち2人がテレビ東京のOB、司会はテレビ東京のアナウンサー、参加者の多くもテレビ東京の関係者だった。
金子さんはテレビ東京のスポーツ・アナウンサーだった。
「放送界から初めての殿堂入りです」と司会者が紹介した。
マスコミからの殿堂入りは、これまでにもあったが、いずれも新聞関係だった。金子さんとともに殿堂入りした奈良原武士さんは共同通信社の記者だった。確かに放送関係では初めてである。
放送関係からの選出は初めてだけでなく、新しい要素を含んでいる。
それは、放送番組の作成は一人の仕事ではなく、大勢の人の共同作業だということである。だから、金子さんの殿堂入りは、テレビ東京の殿堂入りだということもできる。
テレビ東京(当時の名称は東京12チャンネル)が1960〜80年代に放送した「三菱ダイヤモンド・サッカー」は、日本のサッカーの改革に言葉に尽くせない影響を与えた。世界のトップレべルのプレーを動く映像で伝えたからである。その功績は空前絶後だと言っていい。
この番組の成り立ちには、多くの人が関係している。
スポンサーになった三菱の功績は大きい。これを推進したのは、三菱化成役員の篠島秀雄さんだった。金子さんの祝賀会に、あと4ヵ月で100歳になるという篠島夫人が出席していた。
番組を制作したプロデューサー、ディレクターの寺尾皖次さんは祝賀会の発起人だった。当時の運動部長の白石剛達さんも出席していた。こういう人たちを含めた「三菱ダイヤモンド・サッカー」の代表として、画面に映っていた金子アナが殿堂入りしたのだろうと思った。
★「ワン・ツー・リターン」
サッカー番組のアナウンサーとして、金子さん個人の功績も大きい。映像と連動しながら、新しい表現を日本のサッカーに持ち込んだ。
たとえば金子さんの代名詞のようになっている「ワン・ツー・リターン」である。当時は耳慣れない英語だったが、そのプレーが画面に映っているので、見ている人に,すぐ理解できた。
活字で「壁パス」などと翻訳していたのにくらべて、生き生きと躍動した表現だった。
金子さんの殿堂入りには二重の意味があったと思う。
「ダイヤモンド・サッカー」の集団的功績とサッカー・アナウンサーとしての個人的功績である。
もう一つ付け加えれば、金子さんの場合は「プロとして」の初めての表彰だった。
これまでの表彰は、本来の職業を離れてボランティアとしてサッカーに貢献したことが認められたものだった。
金子さんは仕事としてサッカーに貢献したのだった。
祝賀会で挨拶する金子勝彦さん。
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