中国網日本語版(チャイナネット)はこのほど、「日本語から支那が消えたのはいつか」とする文章を掲載した。以下はその文章より。

 この数年、中国国内の映画やドラマは抗日戦争に関するテーマに重点を置いているが、一部の演出家たちは抗日戦争の時代背景や知識に乏しい。劇中で描かれる日本の侵略者は中国という言葉を口にするが、日本が中国を侵略していた当時の呼称は、軽蔑(けいべつ)の意味を含んだ「支那」だった。

 今ごろになってこの「支那」という言葉に触れるのは、日中両国の多くの人がこの言葉をよく知らないためだ。20世紀前半には気概のある中華の男女は、この強烈な国辱の烙印が押された呼称を耳障りに感じて嘆いた。戦前から戦中の日本の出版物では、「支那駐屯軍」「支那派遣軍」「日支関係」「北支治安線」などの言葉が並び、中国という呼称は用いられていない。日本が旧満州を統治していた時に現地の人たちに許されていたのは、「満州人」という呼び方だけだった。

 中国が第二次世界大戦の勝利国になってから、日本の出版物で「支那」という言葉は使用禁止になった。呼び名の変化は中国の国際地位の変化を反映し、敗戦後に日本は、「重慶政権」や「支那軍」といった呼び方を「中国政府」や「中国軍隊」に変えた。戦後、東京駐在の軍事代表団が東京に到着した時、あるメディアが「支那」という言葉を使ったため、すぐに戦勝国として同盟国の占領軍に禁止を求めると、米国占領当局は日本政府に命令を出した。

 1946年6月6日に日本外務省が各報道機関や出版機関に対して出した、「支那」の呼称を避ける事柄に関する通知は以下の通りだった。「以前に中華民国の国名として使っていた『支那』という言葉は、今日から中国などという呼び名に改めなければならない。中華民国では『支那』という言葉は極度に嫌われている。戦後、中国からの使用停止の要求を考慮し、今後はその原因を詳しく尋ねることなく、一律にこの国が憎悪する名称を使ってはならない」

 この通知によって、中国人にとって非常に屈辱的な「支那」という言葉は日本の公開出版物から消えることになる。しかし日常的に言い慣れていた「支那」は依然として使われ続けた。

 日本語の話し言葉から「支那」が消えたのは、中華人民共和国の成立後、米国に抗して北朝鮮を援助して勝利を勝ち取ってからのことだ。中国が北朝鮮に出兵し、米国世論が米陸軍史上最大の惨敗と驚いて叫んだ時、米国を極端に崇拝していた日本人は非常に驚いた。

 自国の歴史を知らず、中国に対して再び敬服の気持ちを抱くようになった日本人は、「支那」ではなく、中国という言葉を口にするようになった。その後、戦後に生まれ育った日本人のほとんどは、辞書を引かなければ中国のことを「支那」と言っていたことを知らないまでになった。(編集担当:米原裕子)



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