キイチさんは、「好きでこういう状態になったわけじゃない」と話す(編集部撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

おカネがなくて虫歯を放っておいたら…


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時々、どうにも言葉が聞き取りづらい。一緒に入ったファミレスで出されたハンバーグも半分以上が残ったままだ。なぜだろう――。不思議に思っていると、キイチさん(56歳、仮名)が教えてくれた。上あごの歯は奥歯数本を残してすべて抜け落ちてしまったことと、数年前に胃がんの手術を受けて胃の3分の2を摘出したことを。

「歯医者は高いから。虫歯を放っておいたら、抜けてしまいました。(口腔内を)見られたくなくて、最近はあまり笑わなくなりましたね。胃がんのときもおカネがなくて。医者から“このままだったら、死にますよ”と言われ、消費者金融で30万円ほど借金をして手術を受けました。以来、一度に食べられる量が減ってしまったんです」

貧困は健康格差を招く――。キイチさんの体がそれを物語っていた。

経済的な事情などで高校を中退。正社員として就職した地元の中小企業の月給は、わずか十数万円ほどだった。もともと車好きだったこともあり、よりよい待遇を求めて長距離トラックの運転手へと転職。稼ぎは倍増したが、労働条件にはさまざまな問題があった。

運送会社の管理の下で出勤時刻も乗車する車両も決められていたのに、雇用形態は個人事業主。走行距離は1回の乗務で往復約1000キロに上ったが、会社側からは経費節減のためにできるだけ高速道路を使わないよう命じられ、やむをえず、睡眠時間を削って一般道路を走った。バブルの崩壊とともに復路は積み荷がないことが増え、それにつれ給与もダウン。20年近く勤めた頃に腰痛が悪化し、退職を余儀なくされた。もちろん退職金はゼロ。

その後、派遣社員として群馬や埼玉などの工場で働いた。給与は、月100時間ほどの残業があれば最大で30万円にはなった。一方で派遣元から用意された寮は、隣の部屋との仕切りが障子1枚きりだったり、部屋干しした洗濯物のほとんどがカビだらけになったりするような物件ばかり。にもかかわらず、家賃5万5000円を天引きされた。あるとき、同じ仕事に就いている正社員にはボーナスがあることを知り、派遣元に正社員になりたいと相談したところ「年齢的に無理です」と言われてあきらめたという。

そして埼玉・上尾にある大手自動車メーカーの工場で派遣社員として働いているときにリーマンショックに遭った。大部屋にキイチさんら派遣社員100人ほどが集められ、雇い止めと退寮の通告を受けた。重苦しい空気の中、誰一人として質問や抗議の声を上げることはなく、失業保険の申請方法の説明に無表情で聞き入る同僚たちの姿を、今もよく覚えているという。

「テレビで『派遣切り』のニュースを見ていたので、不安に思っていました。ショックでした。何年も正社員と同じように働いたのに、おかしいなとも思いました。けど、どうにもならない。1人ではどうにもできないじゃないですか」

50社以上立て続けに不採用

寮を追い出されたのは冬の最中。カビだらけの服は捨て、残ったありったけのシャツやセーター、コートを着込み、駅前や公園で1カ月ほどホームレス生活を送った。その後、雇用促進住宅に入居。ハローワークに通い、紹介された会社の採用面接を受けたが、不採用が続いた。次第に気分が滅入り、「酒に逃げるようになってしまった」という。50社以上立て続けに落ち、1晩で焼酎2リットルを空けるようになった頃、ハローワークの相談員から医療機関を受診するよう勧められた。うつ病と診断された。

運送会社や派遣会社による理不尽な仕打ちの数々に、さぞ怒っているものと思いきや、キイチさんは意外にも穏やかな表情でこれまでの働き方をこう振り返る。

「トラック運転手の仕事は面白かったです。いったん出発してしまえば、車内で好きな音楽を聴くこともできましたし。どんな曲を聴いていたかですか? 私の世代のアイドル、明菜やキョンキョンですよ。派遣は立ち仕事のうえ、3交代で夜勤もあったので腰はつらかったですが、好きな車にかかわれる仕事でしたから。できるならもう一度工場で働きたいと思っています」

キイチさんはうつ病診断後も就職活動を続けている。給与や雇用形態に特に条件を付けているわけではないが、年齢のこともあるのか、なかなか定職には就けない。そうした中、雇用促進住宅の取り壊しが決定。不動産会社で賃貸アパートを探したが、入居には身元保証人が必要だと言われた。両親はすでになく、ほかに頼れる親族もいなかったので、やむをえず、1年ほど前にインターネットで見つけたNPO法人が運営する知的・精神障害者を対象としたグループホームへと引っ越したのだという。

この施設の入居費用は1日2食付きで月約8万円。ところが、キイチさんに言わせると、食事はすべてレトルト食品で、しかもブロッコリーや白菜の煮物など野菜ばかりだった。さらに職員は世話人1人が夕方から朝にかけて泊まっていくだけで、あとはほったらかし。終始温厚だった彼が珍しく不満をあらわにした。

「(食事は)肉なんて一度も出たこと、ありません。NPOっていうのは非営利なんですよね。なのに、法人の理事長はランクルとか、エルグランドとか、高級車をとっかえひっかえしていましたよ。後になってテレビで『貧困ビジネス』という言葉を知りました。この施設のことだと思いました」

結局、70万円ほどあった貯金は半年余りで底をつき、施設を追い出された。今年に入ってからは、付き合っている女性の賃貸アパートに「居候させてもらっている」。その女性もうつ病でフルタイムの就労は難しい。現在、毎月の収入は、最近支給が認められたキイチさんの障害年金と、女性の生活保護費を合わせて約13万円。いちばんの困りごとは、満足な食事ができないことだという。

うつ病の症状はさまざまだが、体調が悪くなると自炊ができないという人は多い。キイチさんたちも自炊は難しく、食費は割高になりがちだ。食事は基本、朝はコンビニの100円の総菜パン、昼はインスタントラーメン。夜は卵かけご飯か納豆ご飯を交互に食べる。たまのぜいたくが、格安のソーセージか豆腐を付けること。時々、精神障害者向けのデイケア施設に通うのは、無料で提供される弁当が目当てだと打ち明ける。

「総菜パンも、本当はコロッケやソーセージの入ったのを食べたいです。でも、それが買えるのは割引セールのときだけです。野菜を取ったほうがよいのはわかっているのですが、たとえばレタスを買っても、2人では食べきれず腐らせてしまいます」

おカネか命か、日々選択を迫られる

キイチさんは、自分が胃がんになったのは、失業してうつを患って以降、ろくな食事ができなくなったことと関係があるのではないかという疑念を捨て切れない。また、同居している女性は心臓に持病があり、医師からは塩分などを控えるよう指示されている。しばらく、医師から勧められた宅食サービスを利用したが、「1食500円以上かかるのでとても続けられませんでした」。結果、半年ほど前に心不全の発作に見舞われた。おカネか命か――。彼らの暮らしは日々、そんな究極の選択の繰り返しである。

企業による脱法行為や派遣切り、貧困ビジネス――。キイチさんの来し方から浮かび上がるのは、行政の不作為である。企業が社会保険料などの負担を避けるため、実質的な従業員を個人事業主として扱う手口は今に始まったことではない。しかし、行政が本腰を入れてこの問題の改善に乗り出したという話はついぞ聞いたことがない。また、工場など製造業への派遣は改正労働者派遣法による規制緩和で認められたが、雇い止め対策などに目が向けられることはなかった。貧困ビジネスも社会問題化して久しいが、野放し状態。彼が被害に遭ったと訴えるNPO法人は、今も厚生労働省所管の「福祉医療機構」が運営する情報サイトで入居者の募集を続けている。

不安定雇用を強いられながら社会や会社に貢献したキイチさんは、必要がなくなると簡単に切り捨てられた。戦後最長と称される「いざなみ景気」もアベノミクスも、彼の暮らしにはなに1つ恩恵をもたらしてはいない。

不思議だったのは、社会や政治に対する不満について尋ねたとき、キイチさんが「日本がアメリカに加担して戦争ができる国になってしまったことです。もう1つは、自宅前の道路の車の騒音がひどいので早く対策をしてほしいことです」と答えたことだ。安倍晋三政権下で成立した安全保障関連法と、地域の道路整備についての話である。どこか借り物のような言葉に違和感を覚え、働かされ方に不満はないのですかと水を向けてみると、まるで覚えた「答え」を思い出すように「白髪頭の何とかという総理大臣が……」と話し始めた。小泉元首相による一連の規制緩和政策のことだ。

「好きでこういう状態になったわけじゃない」

こうした「答え」は、雇用促進住宅への入居手続きを手伝ってくれた地元議員や、その議員が所属する政党の人たちが話していたことだという。10月に行われた衆院選でも、頼まれてこの野党政党の候補のビラ配りなどを手伝った。ただ、政策に共鳴したからというよりも、「ホームレスをしていたときに、お世話になったので」という感謝の気持ちが大きいようだった。

もしかすると、キイチさんは卵かけご飯しか食べられない現実に困ってはいても、怒ってはいないのかもしれない。私の戸惑いを気遣うように、彼が言った。

「私だって好きでこういう状態になったわけじゃない。それは確かですよ」

口元を隠した、独特の空気の抜けたようなしゃべり方。その言葉はやはり、耳を澄まさなければ聞き取ることができなかった。

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