【引退惜別インタビュー】“歌って踊れる世界一の捕手”里崎智也(千葉ロッテ)の気になる今後とは
2005年、2010年とイケイケの勢いで2度、日本一に輝いた千葉ロッテ。その中心で誰よりも強い存在感を放ち、「そこで打つか!」という場面で必ず打った“歌って踊れる世界一のキャッチャー”が、ついにユニフォームを脱いだ。希代のエンターテイナーはこの先、どこへ向かうんだろうか?
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―16年間の現役生活、お疲れさまでした。引退試合から約1ヵ月。実感はわいてきました?
里崎 いやー、楽な毎日を送らせてもらっていますよ。もう野球のことを考えなくていい。頑張らなくていいって考えると、本当に楽ですね。
―すでにテレビで張本勲(はりもと・いさお)さんと「喝(かつ)だ!」なんてやり合っていましたけど、これから何をするつもりなんでしょうか?
里崎 ボクは小学生から今までの約30年間、毎日毎日、野球しかやっていないんです。バイトすらしたことがなく、みんなが休んでいる間もずっと練習。ゴールデンウイークなんて「デッドウイーク」と呼んでましたけど、やっとゴールドが体験できる。これは楽しみです。
―休日だけでなく、ゴールデンな第二の人生にしていこうと。
里崎 ボクには何ができて、なんの可能性があるのか。探していきたいんです。無限の可能性というヤツに向かって。
―つまり、引退後の進路としては中田英寿(ひでとし)以来となる自分探しの「旅人」になると。
里崎 ま、そんなとこです(笑)。
―ゴールデンといえば、来年の千葉ロッテは引退スピーチでもおっしゃっていた5年に1度の“ゴールデンイヤー”ですね。でも、2005年と2010年の日本一は里崎さんの大活躍で勝ち取った栄冠だけに、来年はチームじゃなく、里崎さん個人に法則が発動される可能性も。
里崎 どうでしょうね。でも、ゴールデンイヤーと聞けば、ファンの人もモチベーションが上がるじゃないですか。マリーンズは盛り上がってノリノリでいけば、とんでもない強さを発揮するチームですからね。
―そんなマリーンズのなかでも、里崎さんは歌を歌うわ、単独ディナーショーをやるわ、と前代未聞の伝説を残してきました。
里崎 まあ、ボクも含めてあの頃のマリーンズは「目立ちたい」っていう思いがみんな強かったですからね。巨人や阪神ではヒット1本でも新聞の1面だけど、ロッテじゃ3本打っても写真すら載らない。「あかん、野球だけしてても有名にはならへん」って思ったんですよ。
―そこで、あの05年5月29日。ヒーローインタビュー後、球場外の特設ステージで歌うパフォーマンスを行なったと。
里崎 あの頃は球界再編問題の直後で、パ・リーグ全体が盛り上げていこうという雰囲気でした。(当時の監督だった)ボビー(・バレンタイン)はそういうことに理解がある。マリン(当時は千葉マリンスタジアム、現・QVCマリンフィールド)はステージもある。歌えるな、と。あとはタイミングやと思っていたら、満員の日、初回に満塁ホームラン打った。こりゃ、やるしかないと。
―当時は北海道日本ハムの新庄剛志(しんじょう・つよし)さんなども積極的にパフォーマンスをしていましたが、グラウンドで結果を残すことが大前提でした。重圧もあったのでは?
里崎 やっぱりリスクは非常に高いですよ。やってダメになったら、「そんなことやってるからだ」と断罪される。でも、ボクは「ダメだったらどうしよう」とか考えない。面白そうならやってみる(笑)。それが自信につながるんです。失敗を考えていたら、何もアクションを起こせない人間になっていくんですよ。何もしなければ何も変わらない。「何もしないことは失敗」ですよ。
―名言いただきました! 自己啓発本もイケますね。
里崎 何が起きても責任を取るのは自分。だから思い切ってやればいい。人の目なんて気にしてたら、どうにもならんのです。
―しかし、人間は嫌われることを極度に恐れます。
里崎 ボクはまず、嫌いな人間がいないんですよ。
―いきなり天使的な発言。
里崎 「好き・普通・興味ない」にしか分かれない。もしボクのことを嫌いだと言われても、逆に「おまえ、どんなに俺のこと好きやねん」って思うんです。そんなに俺のことを見とんのかいって。
―なんでしょう。すさまじいアイドル気質ですね。
里崎 その代わり、好きなヤツでも怒りますよ。仕事のできる、できないは好き嫌いと関係ない。実績や年齢が上の人間にペコペコして、下の人間にエラそうにしても説得力ないですから。言い方は変えるにしても、みんなの前で上の人や同級生を怒れば下も納得する。同じ年の俊ちゃん(今季は米独立リーグでプレーした渡辺俊介投手)なんて、どれだけ怒ったことか(笑)。
―人を怒るならその分、自分にも厳しくしないと不満が出てきますよね。
里崎 ええ。「低め投げろコラ!」って怒っといて、ワンバン後逸しちゃダメでしょ。誰も話なんて聞いてくれません。だから重圧は激しかったですね。
―そういう考え方が、1000試合以上出場の捕手で史上最少の捕逸数という結果を生んだと。歌って踊れる野球選手と同じ話とは思えません。
里崎 応援歌で「歌え」「踊れ」っていわれる選手なんてボクぐらいでしょ(笑)。喜んでもらえるならそれもいいかなって。
―引退試合の日も、最後にステージで引退ライブをした選手なんて聞いたことないですよ。
里崎 俺はジャニーズじゃないよっていうね。
―その割に、顔写真入りのウチワを配ってましたけど…。引退スピーチでもスタンドに向かって、「皆さんの期待に応えられたでしょうか?」。ディナーショーの最後のあいさつみたいでした。やっぱり、球場は里崎さんにとってステージだったんですか。
里崎 そうですね。だけど、ステージが成功するかどうかはお客さんにかかってるんです。ボクは劇団四季とか、いろいろな舞台やライブを観て研究してきましたが、いいステージは演者がお客さんと一緒に楽しめる。歌手が気持ちよく歌えるのは、お客さんがペンライトを振ったり手拍子をしたり、一緒に歌う雰囲気づくりをしてくれるから。そういう意味で、マリンは最高の環境でした。ものすごい一体感でしたから。
―確かに、マリンとロッテファンのグルーブ感はすごいです。
里崎 結局、ボクらはファンを味方につけて、後押ししてもらって、それが力になるんですからね。残った選手には、もっと自分を出してほしい。それができる環境にあるのに、やらないのはもったいないですよ。プロ野球選手なんだから、そういうこと考えてもバチは当たらんのちゃうんかって。
―そう考えると、里崎さんが抜けた穴は単純な戦力以上に大きいような気がします。
里崎 「みんなと一緒にお手手つないで」じゃダメ。そんなヤツはどこにでもいる。ひとりになって後ろ指さされても、どこまで突っ走れるか。そこが大事なんです。
―その力こそが、05年のソフトバンクとのプレーオフ第5戦の決勝打をはじめ、大事な場面でことごとく結果を残してきた里崎さんの真骨頂。野球の神様が降りてくるというか。
里崎 いや、降りてはこないです。ただあの場面、神様は言うとりました。「おまえが決めろ」。
―また天使的な発言!
里崎 1−2で負けていた8回表。1死一、二塁で打席が来たとき、つくづく思いました。「ああ、神様はやっぱり俺に風を送ってくれてる」って、ギャグじゃなく真剣に思っちゃった。だからあの打席、「打ちたい」じゃなく「打てるもんや」と思って入ってるんです。
―すごいメンタルですね。「史上最大の下克上」と呼ばれた10年のCS(クライマックスシリーズ)で、西武を大逆転したときも同じ?
里崎 9回表に4点差を追いついた同点タイムリー。あれ、2ヵ月ぶりの打席なんですよ。
―そうですね。背中の故障で休んでいました。
里崎 おいおい、ここでも来るのかと。しかも前の8回裏にボクがマスクをかぶった途端、4点取られて、完全に戦犯になりかけていると。神様は試してきよりました。「どうだ、おまえ、ここで打てるのか」って。ここで打ったら俺は持っとる。打てなかったら俺の野球人生おしまい。分岐点ですわ。
―で、打った。翌日の試合も9回に同点ホームラン。やっぱり持っていらっしゃったと。
里崎 ……今思い出したんですけど、06年のオールスターのとき、バスの中で新庄さんに「俺もけっこう持ってるけど、サトも持ってるよね」って言われたんです。あの新庄さんが言うんなら、何かあるのかな。
―06年といえば、記念すべき第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で優勝し、ベストナインに選ばれた年です。
里崎 これはね、持ってるというか、ボク、本当にそういう場面が回ってくる。運がいいんですよ。そもそも前年に日本一になったタイミングでWBCが始まった。正捕手候補の城島(健司)は、メジャーに行くから出場辞退。監督は前年のプレーオフで戦わせてもらったソフトバンクの王(貞治)さん。しかもパ・リーグの投手が多いから、よく知ってるボクが使われる。そしたら打っちゃった、勝っちゃった、優勝しちゃった、っていう幸運のスパイラルですよ。
―打率4割超えで、第1回WBCの最優秀捕手ですよ。
里崎 日本ではベストナインどころか、規定打席すら一回も達していなかったのに、先に世界一を取っちゃった。これはレアですよ(笑)。
―確かに、信じ難い強運。
里崎 ボクが知る限り、人間の運には3通りの理論があるんです。ひとつは「10年運がよければ、次の10年は悪い」という周期理論。もうひとつは「人生における運の総量は決まっている」という一定量理論。
―ここまではよく聞きますね。
里崎 3つ目のボクの理論では、運の総量は人によって違う。10の人もいれば、100の人もいる。
―里崎さんは?
里崎 ∞(むげん)。
―ちょっと!
里崎 いや、ボクは本当に強運の星の下に生まれてきてるから、何度取り逃しても次から次へと運が押し寄せてくるんですよね。やっぱり、普段の行ないがいいというか、お墓参りもマメに行ってるからね(笑)。
―そんな無限に降り注ぐ幸運なら、監督としての復帰もなおさら期待したいです。
里崎 もちろん、やりたい気持ちはあります。でも、それは“頂点の夢”じゃありません。
―えっ!? なんでしょう。ものすごく気になるんですが。
里崎 あらゆる可能性を探しに行くところです。楽しみにしていてください。
―まさかアイドル? 週プレはグラビアもありますよ。
里崎 見せる裸はありません!
―本当は、もうやりたいことがある程度決まってるんじゃないですか?
里崎 ……言いたくないっス。
―な……(絶句)。何になろうとしてるんですか?
里崎 だから、言ったらバレちゃうんです。自分の腕一本でやれた今までとは違う。これからは繊細な、本当に繊細な世界に入っていくんですから(真顔)。
―スパイ? 総理大臣? 大司教? コミッショナー? SMAP?
里崎 時が来ればわかりますよ。今の段階では、本当にやれるのかどうかもわかりません。これから何個も来る運の中の1個でも、ボクがつかめるかどうかです。
―神様はささやいてますか?
里崎 はい。「やれるのか、やれないのか。どうなんだ?」って。ホントにそうやって真剣に思っちゃってるんですから(笑)。
■里崎智也(さとざき・ともや)
1976年生まれ、徳島県出身。右投げ右打ち。鳴門工業高校、帝京大学を経て、98年、ドラフト2位で千葉ロッテ入り。2003年から出場機会を増やし、05年の日本一に大きく貢献。06年には第1回WBC日本代表の正捕手として世界一に輝く。2010年も無類の勝負強さで再び日本一に貢献。通算19補逸は、1000試合以上出場した捕手の中で最少記録
(取材・文/村瀬秀信 撮影/佐賀章広 写真/千葉ロッテマリーンズ)