戸田奈津子、通訳を始めたきっかけは映画評論家の故・水野晴郎さん
映画字幕翻訳家・通訳の戸田奈津子が2日、六本木アカデミーヒルズで行われたトークイベント「戸田奈津子さんと語るハリウッドビジネスの英会話」に出席し、通訳になったきっかけに映画評論家の故・水野晴郎さんの存在があったと明かした。
映画字幕翻訳家の菊地浩司が、自らの経験を基に確立した語学習得法「K-メソッド」を用いた英会話レッスン「東京バイリンガルサービス」を始めることを記念して行われた本イベント。戸田は映画字幕翻訳家を志した20代を、「当時、プロの字幕翻訳家は20人くらいで、食べていけるのはそのうちの10人くらい。しかも全部男性。そんなところに大学を出たばかりの女の子が入れるわけなかった」と振り返る。
それでも諦めずにチャンスを狙っていた彼女は、30歳を超えたころ、映画会社のビジネスレターをタイプする仕事に就くことに。そんなとき、映画関係者の来日が決定し、急きょ通訳が必要になった。「そこにいた(当時の)宣伝部長が水野晴郎という人。『タイプが打てるなら英語もしゃべれるでしょ』と言う。でもわたしは文字でしか勉強してこなかったから、英語をしゃべったことがない。今とは時代が違うからね。結局、あの人は押しが強いから、嫌だ嫌だと逃げていたのに、無理やり前に出された」と笑う。
「結果はメタメタ。せっかく映画の仕事に就いたのにクビだと思った。でもなぜかクビにはならず、それから通訳をやるようになった」と戸田。「結局、大切だったのは英語力ではなく、映画の知識があるかどうかだった。それから日本語の勉強ができないと駄目。外国語だけ知っていてもプロにはなれないんですよ」と付け加えた。
戸田が映画字幕翻訳家としてブレイクするのは1980年に日本公開された『地獄の黙示録』から。戸田がガイド兼通訳を担当したフランシス・フォード・コッポラ監督の後押しが大きかったという。大学を卒業してから20年ほどたったときの話だ。それから年間数十本の映画を手掛ける売れっ子となった戸田だが、「うまい字幕というのは、最後まで字を読んだという意識を観客に抱かせないもの。もし字幕に意識がいくなら、それは字幕が下手なの。だから、字幕をやって『どうだ、うまいだろう!』と思うことはないですね」と強調した。(取材・文:壬生智裕)
「東京バイリンガルサービス」は11月4日よりレッスン受付開始