堀北真希をつかまえてドブコって、木皿泉さん!日曜劇場「おやじの背中」5話
堀北真希がBS-i(現・BS-TBS)の「ケータイ刑事 銭形舞」でドラマ初主演してから早11年。いまや美少女から美女へと成長した堀北が、8月10日放送のTBSの日曜劇場「おやじの背中」の第5話「ドブコ」(脚本・木皿泉)に主演した。ドブコとは、本作で堀北が演じるヒロイン・丸井三冬のあだ名である。堀北真希をつかまえてドブコって、いくら何でも木皿さん、ひどいよ! と思ったのだけれども、考えたら2005年の木皿作品「野ブタ。をプロデュース」(日本テレビ系)でも彼女は「野ブタ」とあだ名される女子高校生を演じていたんだっけ。
それはともかく、警察官になったいまでも呼ばれ続けるドブコというあだ名に、彼女は小学生のときより迷惑してきたのだ。クラスメイトからドブコと呼ばれ、最後まで本名で呼んでくれていた親友にも、とうとう「明日からドブコって呼んだら怒る?」と聞かれて、不承不承許す始末。
そもそもの原因は父の仕事にあった。父・正(遠藤憲一)は悪役専門の俳優で、芸名を鬼頭勇人という。時代劇では斬られ役、特撮ヒーローものでも「アリクイX」なる悪役を演じ、外出先ではいつも子供たちにつきまとわれる。そんな父の一番の当たり役が、かつてヤクザ映画で演じた「ドブネズミ」だった。そう、ドブコの名はこの父の役名に由来する。
父が斬られ役なら、自分は父の仕事のせいでいつも斬られてばかりだ、と彼女はもはやあきらめかけている。つい最近も、幼なじみで同僚の佐々木勝(溝端淳平)から、友人関係を解消したいと宣告されたばかり。何でも、勝はフィアンセから、ドブコの結婚式への出席も勝と友人でいることもやめてほしいと言われたらしい。ここでも彼女は不承不承、勝の言い分を飲んだのだった。
しかし父の正は、どこで聞きつけたのか、娘への一方的な別れ話に納得がいかない。ドブコに内緒で警察署から勝を連れ出すと、2人きりで河原で何やら話し込んでいた。そこへドブコが現れ、逃げ出す父を全速力で追いかける。商店街でようやく捕まえるのだが、制服を着たままだったので、まわりの人たちからは容疑者逮捕と勘違いされてしまう。
勘違いされやすいのも父親譲りなのか。そう思わせるのは、次のシーンだ。先の騒動のあと、父はドブコと一緒に帰る道すがら、ここでも子供につきまとわれ、「やられたー」とその場に倒れ込む。いつものように子供へのサービスで演技しているものと思い、放っておこうとするドブコだが、父がなかなか立ち上がらないので、やっと異変に気づく。動脈瘤破裂だった。
父の手術中、ドブコは母の弓子(薬師丸ひろ子)に父と結婚した理由を初めて聞く。つきあってしばらくした頃、母は父から「愛って何だと思いますか?」と聞かれたという。そこで母はこう答えたとか。
「たとえば帰り道、自分の家があかあかと灯っているのを見て、ああ私、いまからあそこでみんなでごはんを食べたり、くだらない話したり、何だか楽しいことがいっぱいあるなって、そういうのが愛じゃないかなって。そう言うと急にお父さん、涙ぐんじゃって」
周囲からはそのうちに捨てられると周りから言われていた母だが、やがて子供を宿し、それを知った父は結婚することを決意したのだった。それにしても、このセリフがいかにも木皿泉らしい。ここには、ありふれた生活こそが一番幸せだという人生観がうかがえる。だけどそれはけっして永遠に続くものではないことも、木皿はこれまでにも「すいか」(日本テレビ系、2003年)や「Q10」(同、2010年)などといったドラマで描き続けてきた。
ただし、ありふれた幸せな生活が終わってしまうことは、けっして悪いことではない、ということを繰り返し描いてきたのもまた木皿である。今回の作品では、そのことが、娘のいるどの家庭でもありがちな話を通して描かれた。
それは、ドブコが子供の頃、父から一緒にお風呂に入ってもらえなくなった日のこと。それまで楽しみにしていた父との入浴を、突然もう一緒に入らないと拒絶されたのが、彼女にはショックだった。そのことを彼女は、病院で父が入浴しながら「星影のワルツ」を歌うのを聞いて思い出す。あの日もまた、自分を浴室の外に残して父はこの歌をくちずさんでいたのだ。
じつは斬られ役専門の父にとっては、これが唯一自分から人を斬った経験であった。彼が先に勝を呼んで打ち明けようとしていたのも、このことだった。父が自分との入浴を拒んだ真意は何だったのか? 娘は大人になったいま初めて問いただす。無事生還した父が、病院の屋上で復職めざして演技の練習をしていたときのことだ。父いわく、いずれ娘とは一緒に風呂に入れなくなるのだから、いっそ娘から拒絶されるより先に、自分から斬ろうと思ったのだという。しかしその想いがいまひとつドブコには理解できない。今度は「何で私がいいって思うことはずっとずっと続かないのかな」と寂しそうに訊ねる娘に、父は少し間をおいて答える。
「それはおまえ、生きてるからだよ。ずーっと子供のままじゃいられないし、人はいずれ死ぬようにできている。変わってくんだよ、俺もおまえも。勝も、勝と結婚するやつも。ここ(屋上から見える町)に全員住んでるやつ、みんなそうだよ。変わるのがいやだって怖がっててもしょうがねえよ」
かつて「すいか」の最終回のラストシーンでは、「また、似たような一日が始まるんだね」と言う馬場チャン(小泉今日子)に対し、その親友で主人公の基子(小林聡美)が「似たような一日だけど、全然違う一日だよ」と返していた。ありふれたように思える日常も、日々少しずつ変わり続けている。それを受け入れることこそ生きるということなのだ。それは、「ドブコ」での先の父のセリフにも共通しよう。
ただ、ここでちょっと疑問に感じたのは、なぜ父が風呂場で歌うのが「星影のワルツ」なのかということだった。千昌夫の歌うところのこの曲のレコードが発売されたのは1966年と、いま53歳の遠藤憲一にはちょっと懐メロすぎる気がしたのだ。が、その歌詞をあらためて聴いて納得した。「別れることはつらいけど しかたがないんだ 君のため(中略)冷たい心じゃないんだよ」という歌詞は、たしかに父の娘への想いと見事に重なり合う。
ドラマの終盤、ドブコは勝とも、また彼のフィアンセの静香(谷村美月)ともきちんとけじめをつける。父も仕事に復帰し、その帰りがけドブコの前に現れた。家までの坂道を娘と歩いていた父は、一瞬立ち止まり「今度は逃げずに斬られてやるからな。見事に斬られてやるからな」と言う。いつか娘が自分のもとを離れる日を覚悟しての言葉だ。そう告げたのち、父は再び歩き出す。そこでくちずさむのはやはり「星影のワルツ」。父の後ろを歩きながらドブコは、「父さんの背中は無防備すぎて、私には切れないと思った」と心のなかでつぶやき、父と一緒に歌いつつ帰宅の途につくのだった。
往年の名曲を物語のなかに織りこむというのは、これまでの「おやじの背中」でも第3話の「なごり雪」、第4話の「ともしび」の例があった。だがシリーズタイトルに掲げられた父の背中がモチーフとなったのは、意外にも今回が初めてではないか。このことも含め、木皿泉の職人魂みたいなものをあらためて感じた一作だった。
今回、父娘を演じた遠藤憲一と堀北真希は、同じ日曜劇場で2010年に放送された「特上カバチ!!」以来4年ぶりの共演だった(ただし父娘の役ではない)。次回、8月17日放送の第6話「父の背中、娘の再婚」の主演である尾野真千子と國村隼は、尾野にとって女優デビュー作だった「萌の朱雀」(河瀬直美監督、1997年)でもやはり父娘を演じている。それ以降もNHKの朝ドラ「カーネーション」などたびたび共演している両者が、今回はどんな演技を見せてくれるのか楽しみだ。脚本の橋部敦子も、これまで「僕シリーズ3部作」をはじめ、「フリーター、家を買う」「遅咲きのヒマワリ」などといった話題作で、個人や家族の再生・再出発を描いてきただけに、タイトルから察するに同様のテーマを共有していそうな本作がどうなるのか、期待がふくらむ。
(近藤正高)
そもそもの原因は父の仕事にあった。父・正(遠藤憲一)は悪役専門の俳優で、芸名を鬼頭勇人という。時代劇では斬られ役、特撮ヒーローものでも「アリクイX」なる悪役を演じ、外出先ではいつも子供たちにつきまとわれる。そんな父の一番の当たり役が、かつてヤクザ映画で演じた「ドブネズミ」だった。そう、ドブコの名はこの父の役名に由来する。
父が斬られ役なら、自分は父の仕事のせいでいつも斬られてばかりだ、と彼女はもはやあきらめかけている。つい最近も、幼なじみで同僚の佐々木勝(溝端淳平)から、友人関係を解消したいと宣告されたばかり。何でも、勝はフィアンセから、ドブコの結婚式への出席も勝と友人でいることもやめてほしいと言われたらしい。ここでも彼女は不承不承、勝の言い分を飲んだのだった。
しかし父の正は、どこで聞きつけたのか、娘への一方的な別れ話に納得がいかない。ドブコに内緒で警察署から勝を連れ出すと、2人きりで河原で何やら話し込んでいた。そこへドブコが現れ、逃げ出す父を全速力で追いかける。商店街でようやく捕まえるのだが、制服を着たままだったので、まわりの人たちからは容疑者逮捕と勘違いされてしまう。
勘違いされやすいのも父親譲りなのか。そう思わせるのは、次のシーンだ。先の騒動のあと、父はドブコと一緒に帰る道すがら、ここでも子供につきまとわれ、「やられたー」とその場に倒れ込む。いつものように子供へのサービスで演技しているものと思い、放っておこうとするドブコだが、父がなかなか立ち上がらないので、やっと異変に気づく。動脈瘤破裂だった。
父の手術中、ドブコは母の弓子(薬師丸ひろ子)に父と結婚した理由を初めて聞く。つきあってしばらくした頃、母は父から「愛って何だと思いますか?」と聞かれたという。そこで母はこう答えたとか。
「たとえば帰り道、自分の家があかあかと灯っているのを見て、ああ私、いまからあそこでみんなでごはんを食べたり、くだらない話したり、何だか楽しいことがいっぱいあるなって、そういうのが愛じゃないかなって。そう言うと急にお父さん、涙ぐんじゃって」
周囲からはそのうちに捨てられると周りから言われていた母だが、やがて子供を宿し、それを知った父は結婚することを決意したのだった。それにしても、このセリフがいかにも木皿泉らしい。ここには、ありふれた生活こそが一番幸せだという人生観がうかがえる。だけどそれはけっして永遠に続くものではないことも、木皿はこれまでにも「すいか」(日本テレビ系、2003年)や「Q10」(同、2010年)などといったドラマで描き続けてきた。
ただし、ありふれた幸せな生活が終わってしまうことは、けっして悪いことではない、ということを繰り返し描いてきたのもまた木皿である。今回の作品では、そのことが、娘のいるどの家庭でもありがちな話を通して描かれた。
それは、ドブコが子供の頃、父から一緒にお風呂に入ってもらえなくなった日のこと。それまで楽しみにしていた父との入浴を、突然もう一緒に入らないと拒絶されたのが、彼女にはショックだった。そのことを彼女は、病院で父が入浴しながら「星影のワルツ」を歌うのを聞いて思い出す。あの日もまた、自分を浴室の外に残して父はこの歌をくちずさんでいたのだ。
じつは斬られ役専門の父にとっては、これが唯一自分から人を斬った経験であった。彼が先に勝を呼んで打ち明けようとしていたのも、このことだった。父が自分との入浴を拒んだ真意は何だったのか? 娘は大人になったいま初めて問いただす。無事生還した父が、病院の屋上で復職めざして演技の練習をしていたときのことだ。父いわく、いずれ娘とは一緒に風呂に入れなくなるのだから、いっそ娘から拒絶されるより先に、自分から斬ろうと思ったのだという。しかしその想いがいまひとつドブコには理解できない。今度は「何で私がいいって思うことはずっとずっと続かないのかな」と寂しそうに訊ねる娘に、父は少し間をおいて答える。
「それはおまえ、生きてるからだよ。ずーっと子供のままじゃいられないし、人はいずれ死ぬようにできている。変わってくんだよ、俺もおまえも。勝も、勝と結婚するやつも。ここ(屋上から見える町)に全員住んでるやつ、みんなそうだよ。変わるのがいやだって怖がっててもしょうがねえよ」
かつて「すいか」の最終回のラストシーンでは、「また、似たような一日が始まるんだね」と言う馬場チャン(小泉今日子)に対し、その親友で主人公の基子(小林聡美)が「似たような一日だけど、全然違う一日だよ」と返していた。ありふれたように思える日常も、日々少しずつ変わり続けている。それを受け入れることこそ生きるということなのだ。それは、「ドブコ」での先の父のセリフにも共通しよう。
ただ、ここでちょっと疑問に感じたのは、なぜ父が風呂場で歌うのが「星影のワルツ」なのかということだった。千昌夫の歌うところのこの曲のレコードが発売されたのは1966年と、いま53歳の遠藤憲一にはちょっと懐メロすぎる気がしたのだ。が、その歌詞をあらためて聴いて納得した。「別れることはつらいけど しかたがないんだ 君のため(中略)冷たい心じゃないんだよ」という歌詞は、たしかに父の娘への想いと見事に重なり合う。
ドラマの終盤、ドブコは勝とも、また彼のフィアンセの静香(谷村美月)ともきちんとけじめをつける。父も仕事に復帰し、その帰りがけドブコの前に現れた。家までの坂道を娘と歩いていた父は、一瞬立ち止まり「今度は逃げずに斬られてやるからな。見事に斬られてやるからな」と言う。いつか娘が自分のもとを離れる日を覚悟しての言葉だ。そう告げたのち、父は再び歩き出す。そこでくちずさむのはやはり「星影のワルツ」。父の後ろを歩きながらドブコは、「父さんの背中は無防備すぎて、私には切れないと思った」と心のなかでつぶやき、父と一緒に歌いつつ帰宅の途につくのだった。
往年の名曲を物語のなかに織りこむというのは、これまでの「おやじの背中」でも第3話の「なごり雪」、第4話の「ともしび」の例があった。だがシリーズタイトルに掲げられた父の背中がモチーフとなったのは、意外にも今回が初めてではないか。このことも含め、木皿泉の職人魂みたいなものをあらためて感じた一作だった。
今回、父娘を演じた遠藤憲一と堀北真希は、同じ日曜劇場で2010年に放送された「特上カバチ!!」以来4年ぶりの共演だった(ただし父娘の役ではない)。次回、8月17日放送の第6話「父の背中、娘の再婚」の主演である尾野真千子と國村隼は、尾野にとって女優デビュー作だった「萌の朱雀」(河瀬直美監督、1997年)でもやはり父娘を演じている。それ以降もNHKの朝ドラ「カーネーション」などたびたび共演している両者が、今回はどんな演技を見せてくれるのか楽しみだ。脚本の橋部敦子も、これまで「僕シリーズ3部作」をはじめ、「フリーター、家を買う」「遅咲きのヒマワリ」などといった話題作で、個人や家族の再生・再出発を描いてきただけに、タイトルから察するに同様のテーマを共有していそうな本作がどうなるのか、期待がふくらむ。
(近藤正高)