「昼顔」の橋の演出にも注目。橋といえば、こちらは不倫ものの名作映画「マディソン郡の橋」Blu-ray
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「男の人とキスをしながら目を開けたのははじめてでした」

「もうこの蒼い空をなんの曇りもない気持ちで見上げることはないのだと思うと疼くような悲しみがこみ上げました」

ど〜します? 奥さん、もしくは旦那さん。すごい台詞ですよ。
これ、先週放送の「昼顔〜平日午後3時の恋人たち」(フジテレビ木曜22時〜)のラスト、上戸彩がひとり語りした台詞であります。
道ならぬ恋に走る妻の手記といった風情が漂いまくっています。

夫のいない午後(平日限定)の数時間だけ、夫以外の男性との逢瀬を楽しむことで、女としての輝きを取り戻し、夫にも優しくなれる、という考えのもと、結婚している身でありながら恋をするという「昼顔妻」を描いたドラマ「昼顔」。
上戸彩演じる主人公・紗和は、ベテラン昼顔妻・利佳子(吉瀬美智子)に誘われるまま、あぶない道に足を踏み入れていきます。
最初は、理科教師・北野(斎藤工)と手をつないだりお話したりするだけみたいなことを言っていたのに、4話の段階で、もう戻れないところに来てしまいました。

恋の相手・北野がなんというか、いい意味ではありますが、卑怯なのですよ。
昆虫にしか興味ない研究肌で、妻(伊藤歩)にも「いつまでたってもシャイなんだから」と言われ、フィジカルな行為に及ぶ際も妻主導です。たぶん、交際も結婚も妻に言われるままだったに違いありません。

高身長で、やや少年期を引きずっている薄めの体で、膚の色が白過ぎず黒過ぎず、コクのある絶妙な色合い。なんといっても顔が整っています。その上、右の胸にほくろがー。チラ見えする体のほくろって、ドキドキしますよねー。

彼のこの肉体的魅力は、雄がキレイで、雌の気を引くという生物の仕組みとまるで同じではありませんか。

ところが、本来ならギラギラ目立つはずなのに、この人、決してそれを前面に押し出しません。やや抑えめに調光し、服装も髪型も態度も地味。だからこそ、女性が安心して接近できるのです。
パソコンの前で寝落ちしている姿も愛らしいのだもの。
天然の、女たらしですよ。うらやましいくらいです(わたしおんなだけど)

そこのところが、貧乏画家・加藤(北村一輝)の、ギラギラ出しまくりとは違うところです。
とはいえ、加藤の場合、色気だだ漏れではありますが、甘い蜜のような色気に吸い寄せられてくる雌を、言葉責めで、ふるいにかけます。
ベテラン昼顔妻・利佳子は果敢に、ドS攻撃をかいくぐって交接に成功しますが、結果は「芸術家ってどんなのかと思ったけど案外ふつうで驚いたわ」。
利佳子、ベテランの貫禄ですなあ。

この回では彼女、こんな台詞も吐いています。
「男の恋はすべて肉欲よ
女の恋はすべてが執着」
「恋って女をきれいにするけど
不倫は女を強くする」

いやもう、へへー、とひれ伏すばかり。

ところで、もしや、貧乏画家のドSっぷりは、ふつうを隠すため? 
実は、シャイな理科教師のほうが、やってみたらすごいのかしら。紗和ちゃん早く試してみて! とアホな妄想を膨らませてしまいました。

というか、貧乏画家とセレブ妻は、精神的いじめといじめられの交歓を楽しんでいるような気もしないではありません。
カンタンに恋に落ちたら、つまんない。せっかくの非日常なのですから、押したり引いたりしながら燃え上がっているのでしょうか。

なんてことを思っていたのですが、案外、利佳子も口ほどでもないのかも、という展開に。

高級勝負下着を夫(木下ほうか)に見られて、尾行されたり、危ないサイトで、
恋人募集したら、ホテルに来たのは、元彼・智也(淵上泰史)だったり。

貧乏画家に、3万円を渡して「主婦が出せるのはこれが限界よ」と言って、「これっぽちの金でパトロン気どりか」と蔑まされてしまっています。
うん、ちょっと、3万円はどうかと思いますよ。あの勝負下着買うくらいなら、もっと出してあげて。
まあ、「割り切った関係? そんな手あかのついた言葉はいて恥ずかしくないのか」
「薄っぺらな情事」とかこれも言葉のいじめといじめられプレーなのか、悩ましいところです。
どっちにしても、どうも詰めが甘くて、微笑ましいです、利佳子さん。

このやり過ぎない、一般視聴者目線の描写こそが、「昼顔」の良さです。
しかも、ただただ俗悪なよろめきものではなく、ポピュラーな文学性をキープしているところが、社会派ドラマなども手がけている脚本家・井上由美子をこのドラマに起用した成果だと思うのです。

対岸の火事、檻に入ったハムスターなどを隠喩的に使っていることは、以前のレビューで書きました。昆虫の交尾の話も、そのひとつでしょう。
なんといっても、「橋」を効果的に使っているところに注目してみます。

紗和(上戸彩)と北野(斎藤工)は、3話の最後から4話の頭、橋(緑のかけ橋という名前がついている)の上で互いの感情を確かめ、手をつないで向こう岸に渡っていき、さらに、北野が「あの橋のむこうに、景色のいい高台があって」と誘います。
ふたりが次の段階へと向かうには、橋を超えないとならないのです。
それを見た、北野のあとをつけていた彼の生徒は「あいつら絶対後戻りできねえ」とほくそ笑みます。意味深です。

橋というのは、ふたつの異なる場所をつなげるところで、文学や演劇や映画の世界では象徴的に使われるアイテムです。
不倫ものの名作映画「マディソン郡の橋」なんて、タイトルに「橋」が入っちゃってます。
「2つの異なる世界を結ぶもの、ドラマが生まれる舞台である」と言って「中野京子が語る橋をめぐる物語」という本も出版されているくらいですし、三島由紀夫には、満月の晩、7つの橋の上で願掛けする女たちを描いた「橋づくし」という小説があります。
なんといっても、近松門左衛門の「心中天の網島」の「橋づくし」。道ならぬ恋に逃亡をはかる恋人たちが、いくつもの橋を渡ります。まあ、これは、心中という悲劇の結末で、「昼顔」はそこまでヘヴィーにはならないとは思いますが、
今いる世界にあきたらず、別世界を求めるという点においては同じ。そこには、必ず橋がかかっているのです。

加藤の絵を、利佳子の夫が「品格のあるエロティシズム」と表するように、
「昼顔」も、こういった文学的な要素を盛り込むことで、やや「品格」を残しているように思います。あくまで「やや」ですけど。
今晩、5話。物語の中盤です。連ドラの5話といえば、たいてい、前半から後半戦へと向かう架け橋のような役割を果たす重要な回です。はたして、文学性を死守するか、もっと際どくいくか、「昼顔」がどの橋を渡るか、気になります。
(木俣冬)