最近、便利に使われすぎな西田敏行を心配していたが、これはいいじゃないか。日曜劇場「おやじの背中」3話
最近のテレビや映画は、西田敏行をちょっと便利に使いすぎではないだろうか。
いきなり業界の各方面を敵に回しかねない書き出しで恐縮である。だが、これは一視聴者としての私の偽らざる気持ちだ。
そりゃまあ、西田敏行が出れば、現代劇でも時代劇でもドラマが締まるというのはよくわかる。たとえ端役であっても、十分な存在感を発揮してみせる。そんな西田が重宝されるのは当然といえば当然だ。しかしなかには、なぜ彼を起用したのか、その必然性がよくわからない作品もちらほらあったりする。たとえば、何年か前に某局で放映された忠臣蔵では、田村正和の大石内蔵助に対して、西田が吉良上野介を演じた。だが田村のほうが年上であることからいっても、私には、この配役は逆のほうがよかったのではないかと思われてならない(まあ正和様に悪役をやらせるわけにはいけないという事情があるのは、重々承知なのですが)。
もうひとつ私が不満なのは、ここ何年かの西田敏行の役回りは脇役が多く、主演を張ることがあまりないことだ。もちろん、「タイガー&ドラゴン」での大御所落語家や、昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」における西郷頼母など、脇役とはいえ西田のパーソナリティを生かしたものもあるので、ひとくくりに批判はできない。しかし、西田のファンとしては、やはり彼が主演する姿を見たい。1980年代前半の「池中玄太80キロ」や「淋しいのはお前だけじゃない」に間に合わなかった世代としては、西田にとって新たにテレビでの代表作といえる作品が、それも時代劇だけでなくもっと出てきてほしいと思うのだ。
そこへ来て、TBS系の日曜劇場「おやじの背中」のうち、倉本聰が脚本を担当する第3回「なごり雪」で西田が主演を務めるという。ドラマのオフィシャルサイトで登場人物紹介などを見ると、西田演じる小泉金次郎は70歳と、西田の実年齢より4つ上だ。すでに結構大きな孫もいるらしい。でも、10年前に西田が「ジイジ」というNHKドラマで祖父役を務めたときよりは、ずっと実年齢も風貌も老人に近づいているので、抵抗感なく見られそうだ。
■いきなりの黒澤オマージュ
果たして、7月27日に放送されたドラマは、西田の耳のアップと、徳光和夫によるこんなナレーションで始まった。
「これは、この物語の主人公の耳である」
おお、「耳」を「胃袋」に変えたら、まんま黒澤明の「生きる」の冒頭のナレーションではないか。ひょっとして西田演じる金次郎は、「生きる」の志村喬のように余命いくばくもないのだろうか……と思いきや、そうではないらしい。
金属加工会社の創業社長である金次郎は、長年工場で騒音に包まれながら仕事を続けてきたせいで、ここ最近、めっきり耳が遠くなってしまったようだ。人の話も聞き取りづらくなっているのに、その事実を認めたくないのか、かんしゃくを起こすこともしばしだ。
会社の主力製品は、受勲者が祝賀パーティなどで配るメダル。大方の人は、そんなものに需要があることも、つくる会社があることも知らなかったことだろう。おそらく倉本聰はあらかじめ取材したうえで、ドラマに反映させたに違いない。
当の金次郎には受勲の話は来ず、すでに紫綬褒章を受章した中学の同級生で元テレビディレクターの南寛(大杉漣)に嫉妬したりしている。それでも会社はめでたく創立40年を迎え、その祝賀パーティーを開くことになった。
しかし金次郎の描いていたプランはことごとく、長男で専務の金一(光石研)や、娘婿で常務の武田一平(梨本謙次郎)らによって却下されてしまう。南のつくってくれた会社のドキュメント映画の上映が進行表から消されたほか、金次郎の大好きな「なごり雪」を歌手のイルカを呼んで歌ってもらうという希望も、先方の都合がつかなくて無理だと言われる。金次郎にとってこの歌は、故郷の富山から東京に出てきて以来、人生のターニングポイントでいつも流れていたという。が、その記憶すら、秘書の竹中(市川実日子)から「この歌の発表は1975年だから、社長が上京したときにはまだなかったはずですが」と否定されてしまう始末。
ついに腹に据えかねた金次郎は、パーティーは中止だと言い残して、行方をくらましてしまう。一体、父はどこへ行ってしまったのか。家族はどうすべきなのか。それを話し合うべく、急遽、金次郎夫婦(妻・秋子を演じるのは由紀さおり)と長男一家(妻・歌子を中島ひろ子が演じる)の住む家に、次女のエリ(木村多江)と一平夫婦、それに次女の夕子(MEGUMI)が集まる。翌日には、金次郎の中学の同級生で、元警視庁の刑事の大塚喜平(小林稔侍)も呼ばれた。騒ぎが大きくなるのを避けて、警察には通報しなかったので、その代わりに相談に乗ってもらうためだ。
■バラエティあふれる登場人物
こうしてあげてみると、本作の登場人物は「おやじの背中」の第1話や第2話とくらべてもかなり多い。しかしその一人ひとりに倉本はきちんと役割を与えている。元刑事の喜平はちゃんと金次郎の行き先を推理して当ててみせるし、南は南で、金次郎の心を惹くため一家でひと芝居打つにあたり演出を買って出る。オフィシャルサイトの人物相関図には金次郎の愛犬・ベンまで掲載されていて、「えっ?」と思ったのだけれども、本編を見たらベンにもちゃんと見せ場があった。
しかしそのなかでも際立った存在感を示していたのは、何といっても金次郎の孫のしのぶ(広瀬すず)だ。喜平が家族から事情を聴取した際、しのぶはその前夜に両親(金一と歌子)や叔母たちがここぞとばかりに金次郎の悪口を言っていたことを告発、祖父想いのところを見せる。この構図、老いた老夫婦が上京して子供たちから邪険にされるなか、唯一息子の嫁だけが厚くもてなしてくれるという小津安二郎の映画「東京物語」をふと思い起こさせた。
劇中においてしのぶは、いまどきこんなピュアな子がいるかしらと思うぐらい、セリフや行動がいちいちキラキラしていて、まぶしい。それは、演じる広瀬すずの演技やキャラクターに負うところが大だろう(ちなみに彼女は、前クールの日曜劇場「ルーズヴェルト・ゲーム」に出演していた広瀬アリスの妹である)。
金次郎を、家族の誰より先に見つけたのもしのぶだった。会社の駐車場で孫娘を見つけた金次郎は、社内に彼女を招き入れ、パーティーで妻に渡すつもりの特製メダルとそれを入れるオルゴール・ケースをこっそり見せる。ケースのフタを開けると流れてくるのはもちろん「なごり雪」。
メロディを聴いているうちに、「おじいちゃん、やさしい」と感極まるしのぶ。「これをつくるためにおじいちゃん、4日間も隠れてたんだ」。だが孫のねぎらいの言葉も、金次郎には耳が遠くて聞こえない。「ごめん。もう一度言ってくれ」。しのぶは言葉を繰り返す代わりに、金次郎を抱きしめるのだった――。
私自身、おじいちゃんっ子だっただけに、ラストシーンでのこの描写にはグッとくるものがあった。いや、祖父想いの孫のやさしい言葉にグッときたのだから、むしろ私は金次郎のほうに感情移入しているのか……。ともあれ、老境に入り耳が遠くなってきた主人公の設定を見事に生かした名シーンだった。その後、さらに録画でドラマを再見したとき、このシーンには、もうひとつ工夫が隠されていることに気づいた。
■感動の場面は「なごり雪」の歌詞にもリンクしていた?
それは、金次郎が愛してやまない「なごり雪」の歌詞とのリンクだ。この曲の歌詞には、東京を列車で発つ「君」が、車窓越しに「僕」に向かって別れの言葉を言おうとする場面が出てくる。「君のくちびるが『さようなら』と動くことが」と歌われていることから察するに、きっと窓から「君」の声は聞こえていないのだろう。でも、言葉は交わさずとも、きっと2人の気持ちは通じ合っているはずだ。
「なごり雪」の「僕」と同じく、金次郎も言葉は聞き取れなくても、きっと孫の気持ちを十分に汲み取ったに違いない。「なごり雪」の歌詞まできちんとストーリーに織りこんでみせるとは、さすが倉本聰! と思わず膝を打った。名脚本家と新進女優演じる相手役を得て、ここに西田敏行の新たな代表作が生まれた、そう断言してもよいだろう。
「おやじの背中」で競作する10人の脚本家のうち、1934年12月生まれの倉本聰は、同年6月生まれの山田太一に次ぐ年長者だ。同い年ながら先にブレイクしたのは倉本で、山田に先立つこと6年前、1974年にはNHKの大河ドラマの脚本家にも抜擢される。が、その作品「勝海舟」は、NHKスタッフとの衝突から途中降板、倉本は東京を去る。このとき彼が行き着いたのが北海道だった。
TBS系の日曜劇場はいまは連続ドラマ枠となっているが、1993年以前は単発ドラマの枠だった。倉本はこの枠で多くの名作を残している。地方のネット局制作のものも多く、名古屋のCBC制作の時代劇「おりょう」(1971年)を手始めに、北海道へ移住後には、大滝秀治主演の人気シリーズ「うちのホンカン」(1975〜81年)、田中絹代と笠智衆と大物俳優の共演が話題を呼んだ「幻の町」(1976年)など、北海道・HBC制作のものが大半を占めた。
脚本家や各放送局が切磋琢磨しながら毎週作品を送り出すという体制は、名作や傑作を多数生み出す土壌となっていたことだろう。いま、単発ドラマ枠というと、たいてい2時間もの、それもサスペンスが中心だ。しかし1時間で幅広いドラマをとりあげる、「おやじの背中」のような枠があれば、脚本家を育てたり、また、とかく刑事ものや医療ものに偏りがちな昨今のテレビドラマの状況を打破するのにも貢献するような気がする。
さて、前出のNHK大河「勝海舟」では主演を渡哲也が務めたものの、病気により途中で松方弘樹に交替している。倉本と渡はのちにテレビ朝日のドラマ「浮浪雲」(1978年)であらためてタッグを組んだ。次回、8月3日放送の「おやじの背中」第4回では、その渡の弟・渡瀬恒彦が、中村勘九郎とともに主演する。脚本はこれまたベテラン、きょう8月1日で77歳を迎えた鎌田敏夫だ。TBSでは「金曜日の妻たちへ」「男女7人夏物語」などのヒット作を生んでいる鎌田は、今回どんな父子像を見せてくれるのだろうか。
(近藤正高)
いきなり業界の各方面を敵に回しかねない書き出しで恐縮である。だが、これは一視聴者としての私の偽らざる気持ちだ。
そりゃまあ、西田敏行が出れば、現代劇でも時代劇でもドラマが締まるというのはよくわかる。たとえ端役であっても、十分な存在感を発揮してみせる。そんな西田が重宝されるのは当然といえば当然だ。しかしなかには、なぜ彼を起用したのか、その必然性がよくわからない作品もちらほらあったりする。たとえば、何年か前に某局で放映された忠臣蔵では、田村正和の大石内蔵助に対して、西田が吉良上野介を演じた。だが田村のほうが年上であることからいっても、私には、この配役は逆のほうがよかったのではないかと思われてならない(まあ正和様に悪役をやらせるわけにはいけないという事情があるのは、重々承知なのですが)。
そこへ来て、TBS系の日曜劇場「おやじの背中」のうち、倉本聰が脚本を担当する第3回「なごり雪」で西田が主演を務めるという。ドラマのオフィシャルサイトで登場人物紹介などを見ると、西田演じる小泉金次郎は70歳と、西田の実年齢より4つ上だ。すでに結構大きな孫もいるらしい。でも、10年前に西田が「ジイジ」というNHKドラマで祖父役を務めたときよりは、ずっと実年齢も風貌も老人に近づいているので、抵抗感なく見られそうだ。
■いきなりの黒澤オマージュ
果たして、7月27日に放送されたドラマは、西田の耳のアップと、徳光和夫によるこんなナレーションで始まった。
「これは、この物語の主人公の耳である」
おお、「耳」を「胃袋」に変えたら、まんま黒澤明の「生きる」の冒頭のナレーションではないか。ひょっとして西田演じる金次郎は、「生きる」の志村喬のように余命いくばくもないのだろうか……と思いきや、そうではないらしい。
金属加工会社の創業社長である金次郎は、長年工場で騒音に包まれながら仕事を続けてきたせいで、ここ最近、めっきり耳が遠くなってしまったようだ。人の話も聞き取りづらくなっているのに、その事実を認めたくないのか、かんしゃくを起こすこともしばしだ。
会社の主力製品は、受勲者が祝賀パーティなどで配るメダル。大方の人は、そんなものに需要があることも、つくる会社があることも知らなかったことだろう。おそらく倉本聰はあらかじめ取材したうえで、ドラマに反映させたに違いない。
当の金次郎には受勲の話は来ず、すでに紫綬褒章を受章した中学の同級生で元テレビディレクターの南寛(大杉漣)に嫉妬したりしている。それでも会社はめでたく創立40年を迎え、その祝賀パーティーを開くことになった。
しかし金次郎の描いていたプランはことごとく、長男で専務の金一(光石研)や、娘婿で常務の武田一平(梨本謙次郎)らによって却下されてしまう。南のつくってくれた会社のドキュメント映画の上映が進行表から消されたほか、金次郎の大好きな「なごり雪」を歌手のイルカを呼んで歌ってもらうという希望も、先方の都合がつかなくて無理だと言われる。金次郎にとってこの歌は、故郷の富山から東京に出てきて以来、人生のターニングポイントでいつも流れていたという。が、その記憶すら、秘書の竹中(市川実日子)から「この歌の発表は1975年だから、社長が上京したときにはまだなかったはずですが」と否定されてしまう始末。
ついに腹に据えかねた金次郎は、パーティーは中止だと言い残して、行方をくらましてしまう。一体、父はどこへ行ってしまったのか。家族はどうすべきなのか。それを話し合うべく、急遽、金次郎夫婦(妻・秋子を演じるのは由紀さおり)と長男一家(妻・歌子を中島ひろ子が演じる)の住む家に、次女のエリ(木村多江)と一平夫婦、それに次女の夕子(MEGUMI)が集まる。翌日には、金次郎の中学の同級生で、元警視庁の刑事の大塚喜平(小林稔侍)も呼ばれた。騒ぎが大きくなるのを避けて、警察には通報しなかったので、その代わりに相談に乗ってもらうためだ。
■バラエティあふれる登場人物
こうしてあげてみると、本作の登場人物は「おやじの背中」の第1話や第2話とくらべてもかなり多い。しかしその一人ひとりに倉本はきちんと役割を与えている。元刑事の喜平はちゃんと金次郎の行き先を推理して当ててみせるし、南は南で、金次郎の心を惹くため一家でひと芝居打つにあたり演出を買って出る。オフィシャルサイトの人物相関図には金次郎の愛犬・ベンまで掲載されていて、「えっ?」と思ったのだけれども、本編を見たらベンにもちゃんと見せ場があった。
しかしそのなかでも際立った存在感を示していたのは、何といっても金次郎の孫のしのぶ(広瀬すず)だ。喜平が家族から事情を聴取した際、しのぶはその前夜に両親(金一と歌子)や叔母たちがここぞとばかりに金次郎の悪口を言っていたことを告発、祖父想いのところを見せる。この構図、老いた老夫婦が上京して子供たちから邪険にされるなか、唯一息子の嫁だけが厚くもてなしてくれるという小津安二郎の映画「東京物語」をふと思い起こさせた。
劇中においてしのぶは、いまどきこんなピュアな子がいるかしらと思うぐらい、セリフや行動がいちいちキラキラしていて、まぶしい。それは、演じる広瀬すずの演技やキャラクターに負うところが大だろう(ちなみに彼女は、前クールの日曜劇場「ルーズヴェルト・ゲーム」に出演していた広瀬アリスの妹である)。
金次郎を、家族の誰より先に見つけたのもしのぶだった。会社の駐車場で孫娘を見つけた金次郎は、社内に彼女を招き入れ、パーティーで妻に渡すつもりの特製メダルとそれを入れるオルゴール・ケースをこっそり見せる。ケースのフタを開けると流れてくるのはもちろん「なごり雪」。
メロディを聴いているうちに、「おじいちゃん、やさしい」と感極まるしのぶ。「これをつくるためにおじいちゃん、4日間も隠れてたんだ」。だが孫のねぎらいの言葉も、金次郎には耳が遠くて聞こえない。「ごめん。もう一度言ってくれ」。しのぶは言葉を繰り返す代わりに、金次郎を抱きしめるのだった――。
私自身、おじいちゃんっ子だっただけに、ラストシーンでのこの描写にはグッとくるものがあった。いや、祖父想いの孫のやさしい言葉にグッときたのだから、むしろ私は金次郎のほうに感情移入しているのか……。ともあれ、老境に入り耳が遠くなってきた主人公の設定を見事に生かした名シーンだった。その後、さらに録画でドラマを再見したとき、このシーンには、もうひとつ工夫が隠されていることに気づいた。
■感動の場面は「なごり雪」の歌詞にもリンクしていた?
それは、金次郎が愛してやまない「なごり雪」の歌詞とのリンクだ。この曲の歌詞には、東京を列車で発つ「君」が、車窓越しに「僕」に向かって別れの言葉を言おうとする場面が出てくる。「君のくちびるが『さようなら』と動くことが」と歌われていることから察するに、きっと窓から「君」の声は聞こえていないのだろう。でも、言葉は交わさずとも、きっと2人の気持ちは通じ合っているはずだ。
「なごり雪」の「僕」と同じく、金次郎も言葉は聞き取れなくても、きっと孫の気持ちを十分に汲み取ったに違いない。「なごり雪」の歌詞まできちんとストーリーに織りこんでみせるとは、さすが倉本聰! と思わず膝を打った。名脚本家と新進女優演じる相手役を得て、ここに西田敏行の新たな代表作が生まれた、そう断言してもよいだろう。
「おやじの背中」で競作する10人の脚本家のうち、1934年12月生まれの倉本聰は、同年6月生まれの山田太一に次ぐ年長者だ。同い年ながら先にブレイクしたのは倉本で、山田に先立つこと6年前、1974年にはNHKの大河ドラマの脚本家にも抜擢される。が、その作品「勝海舟」は、NHKスタッフとの衝突から途中降板、倉本は東京を去る。このとき彼が行き着いたのが北海道だった。
TBS系の日曜劇場はいまは連続ドラマ枠となっているが、1993年以前は単発ドラマの枠だった。倉本はこの枠で多くの名作を残している。地方のネット局制作のものも多く、名古屋のCBC制作の時代劇「おりょう」(1971年)を手始めに、北海道へ移住後には、大滝秀治主演の人気シリーズ「うちのホンカン」(1975〜81年)、田中絹代と笠智衆と大物俳優の共演が話題を呼んだ「幻の町」(1976年)など、北海道・HBC制作のものが大半を占めた。
脚本家や各放送局が切磋琢磨しながら毎週作品を送り出すという体制は、名作や傑作を多数生み出す土壌となっていたことだろう。いま、単発ドラマ枠というと、たいてい2時間もの、それもサスペンスが中心だ。しかし1時間で幅広いドラマをとりあげる、「おやじの背中」のような枠があれば、脚本家を育てたり、また、とかく刑事ものや医療ものに偏りがちな昨今のテレビドラマの状況を打破するのにも貢献するような気がする。
さて、前出のNHK大河「勝海舟」では主演を渡哲也が務めたものの、病気により途中で松方弘樹に交替している。倉本と渡はのちにテレビ朝日のドラマ「浮浪雲」(1978年)であらためてタッグを組んだ。次回、8月3日放送の「おやじの背中」第4回では、その渡の弟・渡瀬恒彦が、中村勘九郎とともに主演する。脚本はこれまたベテラン、きょう8月1日で77歳を迎えた鎌田敏夫だ。TBSでは「金曜日の妻たちへ」「男女7人夏物語」などのヒット作を生んでいる鎌田は、今回どんな父子像を見せてくれるのだろうか。
(近藤正高)