タータンチェックのジャケットの角田光代に対し、蝶ネクタイ姿の奥泉光は教授然としていた(実際、近畿大学の特命教授でもある)。奥泉といえば、いとうせいこうとのコンビによる「文芸漫談」でも知られるが、今回のイベントは相手を違えてのバージョンともいえそう。

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ここ10年ほど、毎年のようにノーベル文学賞の噂がささやかれる村上春樹だが、意外というべきか芥川賞は受賞していない。デビュー作の「風の歌を聴け」が第81回(1979年上半期)、続いて「1973年のピンボール」が第83回(1980年上半期)の芥川賞候補にあがったものの、いずれも選から漏れている。

そんな村上について「もう何回か候補になっていればとったのではないか」と語るのは作家の奥泉光(「石の来歴」で1993年下半期の第110回芥川賞受賞)だ。何回か候補になればこの人は何をやりたいかが見えてくるから、というのがその理由である。実際、芥川賞選考委員(当時)の一人の大江健三郎は、その選評を読むと当初は村上の作品に否定的であったものの、2作目では評価を示している。

ただ、村上が芥川賞候補になったのはこの2回きり。3作目の『羊をめぐる冒険』は、芥川賞の対象はあくまで短編なので候補にあがらなかったのだろう。同作は野間文芸新人賞を受賞、村上はあれよあれよという間に“新人”の域を脱したこともあり、結局、芥川賞とは無縁のままであった。

――と、村上春樹の話も含め芥川賞の歴史を「選評」を通して顧みようというトークイベント、題して「芥川賞、この選評が面白い」が3月2日、「芥川賞&直木賞フェスティバル」(於:東京・丸ビル)にて開催された。登壇したのは前出の奥泉光と作家の角田光代(『対岸の彼女』で2004年下半期の第132回直木賞受賞)、それから進行役の鵜飼哲夫(読売新聞文化部編集委員)。事前にレジュメが配られ、鵜飼がその内容にしたがって進行、過去の芥川賞の選評について奥泉と角田が私見を述べるという内容は、さながら講義といった趣きで、前日からの2日間で計8組がトークセッションを展開した同フェスティバルにあってちょっと異色にも思えた。

現在、奥泉は芥川賞の選考委員、角田も野間文芸新人賞など複数の文学賞の選考委員を務めている(すばる文学賞では両者とも選考委員として名前を連ねる)。奥泉は今回、芥川賞の選評を第1回から読んでみて、「しっかり議論をしているという印象を受けましたね。昔だからいいかげんにやっていたんじゃないかという気がしていたら、そんなことはなかった」と驚いたという。

イベントでは、太宰治が落選したことでも知られる第1回(1935年上半期)から、いくつかの回を俎上にあげながら、芥川賞の傾向や選考委員の文学観が見出される。

非常にレアなケースとしては、第28回(1952年下半期)の芥川賞を受賞した松本清張「或る『小倉日記』伝」があげられる。というのも、「或る『小倉日記』伝」はもともと直木賞候補だったのが、当時べつの日に行なわれていた芥川賞の選考会に回されて受賞にいたったからだ。ここから、芥川賞と直木賞の志向性の違いみたいなものについて、鵜飼が2人に訊ねる。

奥泉「日本の戦前から戦後にかけての純文学のイメージはやっぱり身辺雑記的な私小説だと思うんですよ。でも必ずしもそういうものが芥川賞を獲っているわけではない。むしろそういうものを打ち破るような作品がやっぱり獲り続けている。芥川賞を獲った作品って結構エンターテインメント性の高いものが獲ってるというイメージをぼくなんかは持ちますね」
角田「私は正直よくわからなくて、芥川賞と直木賞の場合は長さが違うので、芥川賞はだいたい原稿用紙100枚前後だし、直木賞は本1冊分だからまあ250枚ぐらいと、長さの定義で考えているだけで、自分が書く立場とか読む立場で、これは純文学だっていう考え方をしたことはないですね」

もっとも、作品の長さについては結構いいかげんだったりする。奥泉いわく「400枚ぐらいの作品が候補にあがって議論になり、今後は250枚にしましょうと申し合わせたと(選評には)書いてあるのに、その次の回にまた400枚ぐらいのものが出てきたりして『あの申し合わせはどこ行っちゃったのか』と思うこともある」。ただし、奥泉自身はこうした「議論はまじめにやっているけど、外枠みたいなものはものすごくゆるやか」という芥川賞の性格に寛容である。

なお、清張の「或る『小倉日記』伝」が五味康祐「喪神」との同時受賞となった第28回芥川賞はいまにして見ればハイレベルな作品がそろった回だった。受賞作以外にも、小島信夫「小銃」、安岡章太郎「愛玩」などのちに傑作と呼ばれるような作品が候補にあがっていた。

奥泉「こういうハイレベルな回なのに、宇野浩二が何て選評に書いているかというと《一と通り読んでみて、今度も、(今度も、である、)該当作品ナシ、と思った》といきなり書いている。まあ見る目がないというふうになっちゃうかもしれないんだけど、何回か選考会やってみると、本当にわかんないもんですよね。意見が割れるっていうか、まさかこれが評価されるとはっていうものがすごく評価されたり、これは評価されるだろうと思ったら全然評価されなかったり」
角田「ありますよね。新人賞の場合だと、票が大きく割れた作品を書かれた人のほうがその後どんどん伸びたり、書けたりというのがあるような気がします」
奥泉「だから、つくづく文学賞の選考って難しいと思いますね」

宇野浩二については、このあとも話題にのぼる。遠藤周作「白い人」が受賞した第33回(1955年上半期)では、宇野は《芥川賞の係りの人が、(一時は、「今回こそ該当作なし」と大方きまりかかったのに、)粘りに粘ったために、この『白い人』が賞ときまってしまった》と選評に書いている。係りの人というのは、毎回選考会の司会を務めるのが恒例となっている「文藝春秋」の編集長のことだが(ちなみに直木賞の選考会の司会は「オール讀物」の編集長が務める)、宇野が受賞作決定までの経緯を結構生々しく書いていることに驚いた。そんな宇野の戦況について「実況中継みたいで面白い」と言う鵜飼に、角田も同意する。

角田「昔の選評はすごく自由ですよね。いまの選評って、もうちょっと慎重に書かなければいけないというのもあるし、さんざん落とされてきた自分の立場からすると、選評で本当に傷つく。私はあまりにも落とされてきた回数が多いので、(新人賞の選評では)落ちた人が次に小説を書きたいと思えるような、ここがいけないっていうんじゃなくて、こうすればもっとよくなるっていうふうな実践(的な選評)を心がけています」

デビューして芥川賞候補になること3回、その後10年の研鑽を経て直木賞を2度目の候補作で受賞した角田だけに、実感のこもった発言である。

選考会における司会の役割については、かつて「文藝春秋」の編集長としてこの役を担った半藤一利が「司会者の仕事はただ一つ「『受賞作なし』にしないこと」ということを語っていたそうだ。「文藝春秋」は文芸誌ではなく総合誌であるだけに、ジャーナリスティックな立場から半藤は、毎回必ず賞を出すことを自らに課したのだろう。

今回のイベントでは「該当作品なし」の回の選評もいくつかとりあげられた。なかでも第60回(1968年下半期)は、阿部昭「未成年」、黒井千次「穴と空」、後藤明生「私的生活」などのちに「内向の世代」と呼ばれる一連の作家の作品が候補にあげられたことで特筆される。だが、これらを含めた候補作9編に対する選考委員らの選評はかなり厳しいものであった。

石川達三は《候補作九篇を通じて、自分自身に対する闘いの姿も、社会に対する闘いの姿も、まるで見られなかった》と書き、また三島由紀夫も《今度の予選通過作品を通読してみて、その文学精神の低さに驚いた。大学も荒廃しているが、文学も荒廃している、という感を禁じえなかった。(中略)こんなことではバス一台はおろか、三輪車を転覆させることも覚束ない》との選評を残している。折しも、大学紛争が激化していた時期だけに、「内向の世代」の作家たちに代表されるような日常生活を主題としたような作品は、志が低いととられたのだろう。しかし、「該当作品なし」となることで、かえってこの回は日本の近代文学史の転換期を象徴することになったともいえる。

角田「私、第1回から(選評を)読んでると、何年かごとに小説のあり方というものが時代とともに変わっていく転換が見えるような気がするんですね。(中略)小説の感じというのがどんどん変わっていって、60回あたりで、いったん昔の文学からこの時代の文学へというふうに変わったのかななんて印象がとても強いですね」

終盤は駆け足で、やや消化不良気味であったが(そもそもこのテーマは1時間ではとても収まらなさそうだ)、最後に鵜飼が投げかけた「芥川賞における新人、新しさをどう考えるか」という質問に対する、奥泉と角田の回答がまったく違っていて面白かった。

奥泉「ぼくは新しい何かが古いものを打ち破っていくというロマンチックな物語をまったく信じていないんですよ。だから選考委員にも向いていないと思う。(中略)そういうスタンスの選考委員がいても、このいいかげんな感じで、しぶとく続いていくんじゃないかな、という印象を持ちましたね」
角田「第1回から(選評で)一貫して言われているのは『新鮮な作品』ってことですね。もう一つ(選評を)読んでいて面白いなと思ったのは、『明るい小説』っていうことがずっと言われてるんですよね。いやな気持ちにさせる小説ではなくて、明るい小説がずっと求められてるっていうことに、『あ、そっか、新鮮で明るければいいんだな』と思って。私も直木賞を獲ったときに『次は芥川賞だね』ってたくさんの方に言われたので、これから新鮮で明るい小説を書いて、芥川賞の方に注目してもらえるようにしようかなと思います(笑)」

角田の話は、鵜飼が紹介した吉村昭が読売文学賞を受賞したときの逸話(受賞が決まった直後に行った床屋で「次はいよいよ芥川賞ですね」と言われてがっかりした、という話)を受けてのものだ。もちろん、すでに直木賞を受賞している角田が芥川賞を受賞することはできない。しかし将来的に、ベテランも中堅も関係なく、あくまで作品を対象に(だから一度受賞しても再度受賞する資格もある)、一年でもっともすぐれた小説に贈る賞があってもいいのではないか……などとふと夢想してしまった。もっとも、そんな賞がつくられたからといって、それが芥川賞・直木賞を超える知名度を得て、両賞のように80年近くにわたって継続するなんてことはけっして容易ではないだろうが。
(近藤正高)

●電子書籍で「奥泉光」
『シューマンの指』
『坊ちゃん忍者幕末見聞録』

●電子書籍で「角田光代」
『空中庭園』
『対岸の彼女』
『八日目の蝉』
『三月の招待状』
『森に眠る魚』

『それもまた小さな光』
『空の拳』
『ツリーハウス』
『薄闇シルエット』
『かなたの子』