女は気持ち悪い生き物だよ「失恋ショコラティエ」8話
爽太くん
気をつけないと
女は気持ち悪い生き物だよ
いやあ、すごいセリフですねえ(これ、水城せとなの原作まんまです)。
3月3日放送の月9「失恋ショコラティエ」第8話(CX)は、ピュアでちょっとおバカで、チョコレートの匂いのする妄想男子・爽太(松本潤)が、結局、3人の魔女に狙われまくっている話だというような展開でした。
爽太の魔女と妄想との攻防が、テンポのよいカット割と劇伴によって、ユーモラスに描かれていました。
ツボにはまってしまった妄想演出については、後述するとして、まずは、魔女語りいってみます!
ひとりめの魔女は、既婚者サエコ(石原さとみ)。
彼女を10年以上思い続ける爽太を真綿で首を締めるように、つかず離れずを繰り返し、
翻弄しまくります。
爽太がついに吹っ切って、他の女の子とつきあおうとした時に引き止める、そのやり方が辣腕。
家を出てきて、爽太の店にスーツケースもっておしかけてきちゃうのです。
そして、シャワーを借りて、バスタオル一枚で爽太の前に。わわわ。
この回で、爽太に片思いしている薫子(水川あさみ)が、サエコが野球や将棋のように恋愛をゲームに勝ち抜く感覚でやっていることを指摘。
サエコは、好きになってもらうためにひたすら、自分を磨いたり、作戦を考えたりして頑張っているそうです。
サエコは恋のアスリートなのですね。
第2の魔女は、薫子。
冒頭のセリフは彼女のものです。
爽太のことをただただ黙って見つめているだけの臆病な女子だった彼女が、ここへ来てやばくなってきました。
元々毒舌ではありましたが、好きが高じたのか、日々のイライラが激しくなってきて、店のものに当たるわ(やたら大きな音をたてて物を扱かっているという演出になっています)、爽太と彼に関わる人たちの不幸を願いはじめます。
ここで、人を好きになるとはどういうことか?という命題がクローズアップされます。
相手の幸せを願うこと。
これが究極の愛なのですが、サエコも薫子も
自分がチョコレート王子・爽太に好かれたい、という思いで突き進んでいるのです。
そういう意味では、えれな(水原希子)は、爽太の思いを優先させてあげています。
爽太にホワイトデーの予定を聞かれ「夜ならいいよ」と言うのは、第1話で、サエコが
バレンタイン前日(当日は他の人と会う)ならいいよ、ということと、大きな違いです。
とくに、8話では、爽太が自分を「バカ」と自虐した時、「大丈夫、バカなの知ってるから」と冗談で返すところが、良かった。原作では「別にバカじゃないよ」と真面目に返します。
原作のセリフは圧倒的に良いのですが、ここはドラマが勝った気がします(脚本は越川美埜子)
えれなは、いい子、天使だと思うじゃないですか。
が! やっぱり、正式につきあっていないのに、体の関係をもってしまったところが問題のようで。
先日、このドラマが好きだという男子に話を聞いたところ、えれなの、孤独を埋めるために誰かと抱き合いたいという、まるでデザートは別腹だよ、のようなさばけた態度は、他の男子ともそうなってしまうかもしれなくて心配である、とのことでした。
確かにね。原作が連載中の、月刊「フラワーズ」3、4月号で、えれなと関谷くん(薫子とちょっといい関係になりそうな男子)がいっしょにタクシーに乗るというエピソードがありまして、ドキドキしましたもの(どうなったかは読んでみてくださいね)。
えれなも、潜在的に魔女要素ももっていると言えそうです。
サターンは堕天使ルシファーと同一人物とも言われ、ルシファーは元天使ですしね。
つまりは、魔女と天使は紙一重であるということであり、ドラマでも、恋人とフィジカルパートナーは、紙一重であるという定義が、
フランス人オリヴィエ(溝端淳平)によってなされました。
冗談でも名前つけたら
名前のとおりになるよね(オリヴィエ)
言霊信仰に基づいた話ですね。
言葉にしたことが現実化されてしまうという。
オリヴィエが、最初に、えれなのことを「彼女」と呼べば、爽太にとって彼女になっていたかもしれないと反省するエピソードがあります。
オリヴィエは、行動が現実を変える主義者として描かれていて、薫子が行動していたら、
爽太との関係は変わっていたかもしれないと言っています。
実際、オリヴィエ本人は、まつり(有村架純)に積極的かつ紳士的に告白し、つきあいはじめましたので、信憑性がありますね。
(って言っても、オリヴィア、イケメンだからなあ)。
薫子は、オリヴィエの「行動」を促す言葉で、だんだん行動をはじめてしまい、悪魔化してきたとすれば、実はオリヴィエも悪魔かもしれません。
そういえば、第2話で、爽太にサエコを手に入れたければ「もっと悪い男にならないといけないよ」と夢でけしかけた時は、悪魔ぽかったですね。
誰が天使で誰が悪魔なのか、わからなくなってきましたが、このドラマは、恋をするなら悪魔になろう、という話のような気がします。
まったく、週のはじめの月曜から、鼻息荒いドラマです。ま、チョコレートのドラマだしね、鼻血覚悟でね。
さて、最後に、妄想演出について。
爽太がサエコとの恋の展開を延々、妄想したり、シュミレーションしたりするシーンがこのドラマの見どころのひとつです。
「モテキ」や「鈴木先生」に次ぐモノローグドラマなのです。
モノローグドラマを得意とするのは、森山未來や長谷川博己のような舞台で鍛えた俳優ですが、松本潤も健闘しています。
力み過ぎず、少女漫画らしいポエムな感じを残しつつ、ひとり語りし続ける様は、ドラマを見ている女性の気持ちを大切にしようと、気遣って演じているように思えます。
これは、恋とは相手を思いやること、に近いかもしれません。
8話の、爽太の傑作場面は、
ホワイトデーが終わって、結局サエコから連絡がなかった時、店の入り口に出た爽太の視線にサエコが、という場面。
サエコのカットに、ドキドキの劇伴がかかったかと思うと、巻き戻したように、爽太が入り口に出てきたカットに戻ります。
また妄想? と思わせて、現実だった、という演出です。
ここでは、爽太はわいわいノリツッコミをしません。静かです。そこが効果的です(演出は品田俊介。ショコラティエ、初の登板です。「リッチマン、プアウーマン」では演出補をやっていたようです)
その後、サエコがバスタオルで立っている場面でも同じ演出があります。
このフェイントはかっこいい。
「時をかける少女」で主人公がふっとちょっと前の時間に戻ってしまった時のような感じです。
恋する(とくに片思い)という行為は、たくさんの選択肢をああでもないこうでもないと行ったり来たりしながら、いくつもの宇宙(可能性)と、独自の時間を作り出す。
そんなことを感じさせる演出です。
余談ですが「時をかける少女」(大林宣彦監督)では、ヒロイン(原田知世)に片思いする男の子(尾美としのり)は醤油店の息子で、体に醤油の匂いが染み付いていることを気にしているのですが、「失恋ショコラティエ」の爽太は、サエコに「チョコレートの匂いがする」と喜ばれるのでした。
悪魔の好物はチョコレートなのでしょうか。
9話では、爽太とサエコの道ならぬ恋(?)が、どんな悪魔を生み出すのか?
(木俣冬)
第一話はコチラ
第9話へ
気をつけないと
女は気持ち悪い生き物だよ
いやあ、すごいセリフですねえ(これ、水城せとなの原作まんまです)。
3月3日放送の月9「失恋ショコラティエ」第8話(CX)は、ピュアでちょっとおバカで、チョコレートの匂いのする妄想男子・爽太(松本潤)が、結局、3人の魔女に狙われまくっている話だというような展開でした。
爽太の魔女と妄想との攻防が、テンポのよいカット割と劇伴によって、ユーモラスに描かれていました。
ツボにはまってしまった妄想演出については、後述するとして、まずは、魔女語りいってみます!
彼女を10年以上思い続ける爽太を真綿で首を締めるように、つかず離れずを繰り返し、
翻弄しまくります。
爽太がついに吹っ切って、他の女の子とつきあおうとした時に引き止める、そのやり方が辣腕。
家を出てきて、爽太の店にスーツケースもっておしかけてきちゃうのです。
そして、シャワーを借りて、バスタオル一枚で爽太の前に。わわわ。
この回で、爽太に片思いしている薫子(水川あさみ)が、サエコが野球や将棋のように恋愛をゲームに勝ち抜く感覚でやっていることを指摘。
サエコは、好きになってもらうためにひたすら、自分を磨いたり、作戦を考えたりして頑張っているそうです。
サエコは恋のアスリートなのですね。
第2の魔女は、薫子。
冒頭のセリフは彼女のものです。
爽太のことをただただ黙って見つめているだけの臆病な女子だった彼女が、ここへ来てやばくなってきました。
元々毒舌ではありましたが、好きが高じたのか、日々のイライラが激しくなってきて、店のものに当たるわ(やたら大きな音をたてて物を扱かっているという演出になっています)、爽太と彼に関わる人たちの不幸を願いはじめます。
ここで、人を好きになるとはどういうことか?という命題がクローズアップされます。
相手の幸せを願うこと。
これが究極の愛なのですが、サエコも薫子も
自分がチョコレート王子・爽太に好かれたい、という思いで突き進んでいるのです。
そういう意味では、えれな(水原希子)は、爽太の思いを優先させてあげています。
爽太にホワイトデーの予定を聞かれ「夜ならいいよ」と言うのは、第1話で、サエコが
バレンタイン前日(当日は他の人と会う)ならいいよ、ということと、大きな違いです。
とくに、8話では、爽太が自分を「バカ」と自虐した時、「大丈夫、バカなの知ってるから」と冗談で返すところが、良かった。原作では「別にバカじゃないよ」と真面目に返します。
原作のセリフは圧倒的に良いのですが、ここはドラマが勝った気がします(脚本は越川美埜子)
えれなは、いい子、天使だと思うじゃないですか。
が! やっぱり、正式につきあっていないのに、体の関係をもってしまったところが問題のようで。
先日、このドラマが好きだという男子に話を聞いたところ、えれなの、孤独を埋めるために誰かと抱き合いたいという、まるでデザートは別腹だよ、のようなさばけた態度は、他の男子ともそうなってしまうかもしれなくて心配である、とのことでした。
確かにね。原作が連載中の、月刊「フラワーズ」3、4月号で、えれなと関谷くん(薫子とちょっといい関係になりそうな男子)がいっしょにタクシーに乗るというエピソードがありまして、ドキドキしましたもの(どうなったかは読んでみてくださいね)。
えれなも、潜在的に魔女要素ももっていると言えそうです。
サターンは堕天使ルシファーと同一人物とも言われ、ルシファーは元天使ですしね。
つまりは、魔女と天使は紙一重であるということであり、ドラマでも、恋人とフィジカルパートナーは、紙一重であるという定義が、
フランス人オリヴィエ(溝端淳平)によってなされました。
冗談でも名前つけたら
名前のとおりになるよね(オリヴィエ)
言霊信仰に基づいた話ですね。
言葉にしたことが現実化されてしまうという。
オリヴィエが、最初に、えれなのことを「彼女」と呼べば、爽太にとって彼女になっていたかもしれないと反省するエピソードがあります。
オリヴィエは、行動が現実を変える主義者として描かれていて、薫子が行動していたら、
爽太との関係は変わっていたかもしれないと言っています。
実際、オリヴィエ本人は、まつり(有村架純)に積極的かつ紳士的に告白し、つきあいはじめましたので、信憑性がありますね。
(って言っても、オリヴィア、イケメンだからなあ)。
薫子は、オリヴィエの「行動」を促す言葉で、だんだん行動をはじめてしまい、悪魔化してきたとすれば、実はオリヴィエも悪魔かもしれません。
そういえば、第2話で、爽太にサエコを手に入れたければ「もっと悪い男にならないといけないよ」と夢でけしかけた時は、悪魔ぽかったですね。
誰が天使で誰が悪魔なのか、わからなくなってきましたが、このドラマは、恋をするなら悪魔になろう、という話のような気がします。
まったく、週のはじめの月曜から、鼻息荒いドラマです。ま、チョコレートのドラマだしね、鼻血覚悟でね。
さて、最後に、妄想演出について。
爽太がサエコとの恋の展開を延々、妄想したり、シュミレーションしたりするシーンがこのドラマの見どころのひとつです。
「モテキ」や「鈴木先生」に次ぐモノローグドラマなのです。
モノローグドラマを得意とするのは、森山未來や長谷川博己のような舞台で鍛えた俳優ですが、松本潤も健闘しています。
力み過ぎず、少女漫画らしいポエムな感じを残しつつ、ひとり語りし続ける様は、ドラマを見ている女性の気持ちを大切にしようと、気遣って演じているように思えます。
これは、恋とは相手を思いやること、に近いかもしれません。
8話の、爽太の傑作場面は、
ホワイトデーが終わって、結局サエコから連絡がなかった時、店の入り口に出た爽太の視線にサエコが、という場面。
サエコのカットに、ドキドキの劇伴がかかったかと思うと、巻き戻したように、爽太が入り口に出てきたカットに戻ります。
また妄想? と思わせて、現実だった、という演出です。
ここでは、爽太はわいわいノリツッコミをしません。静かです。そこが効果的です(演出は品田俊介。ショコラティエ、初の登板です。「リッチマン、プアウーマン」では演出補をやっていたようです)
その後、サエコがバスタオルで立っている場面でも同じ演出があります。
このフェイントはかっこいい。
「時をかける少女」で主人公がふっとちょっと前の時間に戻ってしまった時のような感じです。
恋する(とくに片思い)という行為は、たくさんの選択肢をああでもないこうでもないと行ったり来たりしながら、いくつもの宇宙(可能性)と、独自の時間を作り出す。
そんなことを感じさせる演出です。
余談ですが「時をかける少女」(大林宣彦監督)では、ヒロイン(原田知世)に片思いする男の子(尾美としのり)は醤油店の息子で、体に醤油の匂いが染み付いていることを気にしているのですが、「失恋ショコラティエ」の爽太は、サエコに「チョコレートの匂いがする」と喜ばれるのでした。
悪魔の好物はチョコレートなのでしょうか。
9話では、爽太とサエコの道ならぬ恋(?)が、どんな悪魔を生み出すのか?
(木俣冬)
第一話はコチラ
第9話へ