「ニュー・シネマ・パラダイス」監督が書いた『鑑定士と顔のない依頼人』は三次元嫌いの恋愛小説
ジュゼッペ・トルナトーレは『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)の脚本家で監督だ。
『みんな元気』(1990。舞城王太郎の『みんな元気。』[新潮文庫・Kindle版]はここから取ったのかな?)は、最後のほうちょっと泣けて、いっしょに行った人に恥ずかしかったなー。
そのトルナトーレが『鑑定士と顔のない依頼人』(柱本元彦訳、人文書院)という小説を書いた。
『鑑定士と顔のない依頼人』というのは、監督の映画のほうの最新作の日本語題だ。こういうのって配給会社が決めるんだよね?
登場人物は全員英語話者なので、映画は英語。イタリア語題も英語題も訳すと「最良のオファー」。イタリア語で書かれた小説版の原題もそう。
1冊の本として刊行されてはいるけれど、短篇小説だ。短篇のくせに、生意気に作者の序文がついている。
この序文によると、脚本家でもあり監督でもあるトルナトーレは、着想がかなり固まってからでないと、プロデューサーに話を持っていかない(売り込みを始めない)そうだ。
トルナトーレのネタ帳のなかに、監督デビュー当時から──つまり四半世紀以上にわたって──別個に存在していたふたりの人物がいた。家に閉じこもっている若い娘と、気むずかしい美術品競売人。
キャラは立っているのだけれど、うまくストーリーで動かせないふたりの人物が、あるとき彼のなかで結合したのだという。
中途半端なメロディのようだったふたつの未完成ストーリーを、対位法のように重ね合わせてみたら、あらびっくり、
〈まるで奇跡のように、わたしが長年追い求めてきた物語を奏ではじめた〉
というのだ。そんなこともあるのか。
興奮した監督は、べつに出版する気もなく、ただ、忘れないうちにきっちりと物語を定着させたいというだけの気持ちで、物語の形式で書いた。
その後この書きものを人に見せることは(たぶん)なく、プロデューサーを説得するための企画書を書き、企画が通ってクランクイン、クランクアップ、編集、といつもの制作が続く。
そのあと、ある出版社が、この映画の脚本をノヴェライズしてみないかと監督に打診、監督はとまどった。そして言った。じつは脚本より前に、散文の形で書いたものがあるのだと。
こうやって書かれたこの短篇小説は、小説というには少々簡素に過ぎ、むしろ近代小説以前の短いフィクション、たとえばチョーサーの『カンタベリ物語』(西脇順三郎訳、ちくま文庫、上下[Kindle版])やボッカッチョの『デカメロン』(柏熊達生訳、同前、全3巻 [Kindle版])、またバートン版『千夜一夜物語』(大場正史訳、同前、全11巻)のなかの1話、とでもいったような素っ気なさがある。
主人公のヴァージル・オールドマンは鑑定士であり、やり手の競売人(オークショニア)。裕福で気むずかしい、ほとんど人間ぎらいと言っていい63歳独身。
しかもちょっと変わったヘキの持ち主だ。室内の壁には古今の画家が描いた女の肖像画をぎっしりとかけている。この秘密の部屋で、絵に描かれた女たちの視線を一心に浴びるのが、彼の快楽なのだ。
要は三次元の女が嫌いな人なのだと考えれば、そこらにいそうな気もする。アニメやゲームの女性キャラの「カメラ目線」限定の愛好者、といった感じなんでしょうか。
ヴァージルといえばウェルギリウスの英語名であり、イタリア人ならだれしも、『アエネーイス』(泉井久之助訳、岩波文庫、上下)でローマ建国伝説を叙事詩化した実在のローマ詩人ウェルギリウスというよりもむしろ、ダンテの『神曲』(三浦逸雄訳、角川ソフィア文庫、全3巻)の、地獄・煉獄で主人公を導くウェルギリウスを思い浮かべるだろう。
ところが『鑑定士と顔のない依頼人』のヴァージルは、むしろ『神曲』の主人公ダンテに似ている。ダンテがベアトリーチェへの思いに導かれて冥界をさまようように、ヴァージルも謎の女にいわば振り回されてしまうのだ。
彼のもとに、謎の女性クレア・イベットソンから、秘密めかした依頼がくる。相続した屋敷にある美術品を処分したいそうなのだが、イベットソン嬢は電話や、閉じた室内からの声でのみ、ヴァージルに指示を出す。
ただでさえ短気なヴァージルは、どうしても姿をあらわさない彼女にイライラしっぱなし。けれどイベットソン嬢に振り回されているうちに、だんだんと三次元の女性の魅力に開眼していくという、これって本田透の恋愛資本主義批判『電波男』(講談社文庫)が転向して、批判対象だった『電車男』(新潮文庫)の恋愛資本主義に屈したらこうなる感じだろうか?
最初の対立が恋へと発展する、というのはもうフォースターの『眺めのいい部屋』(西崎憲+中島朋子訳、ちくま文庫)から2013年秋のNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』まで変わらないセオリーなんだけど、ラストはちょっとびっくりです。内容が、というよりも、その素っ気なさが。こんな××な終わりかたってあるか?
映画版は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『英国王のスピーチ』でおなじみジェフリー・ラッシュ主演で、来月(2013年12月)から各地順次公開とのこと。音楽がエンニオ・モリコーネなので、こんな××なストーリーなのに無駄に泣かされそうな気もして、行こうかどうしようか迷ってます。
(千野帽子)
『みんな元気』(1990。舞城王太郎の『みんな元気。』[新潮文庫・Kindle版]はここから取ったのかな?)は、最後のほうちょっと泣けて、いっしょに行った人に恥ずかしかったなー。
そのトルナトーレが『鑑定士と顔のない依頼人』(柱本元彦訳、人文書院)という小説を書いた。
『鑑定士と顔のない依頼人』というのは、監督の映画のほうの最新作の日本語題だ。こういうのって配給会社が決めるんだよね?
登場人物は全員英語話者なので、映画は英語。イタリア語題も英語題も訳すと「最良のオファー」。イタリア語で書かれた小説版の原題もそう。
この序文によると、脚本家でもあり監督でもあるトルナトーレは、着想がかなり固まってからでないと、プロデューサーに話を持っていかない(売り込みを始めない)そうだ。
トルナトーレのネタ帳のなかに、監督デビュー当時から──つまり四半世紀以上にわたって──別個に存在していたふたりの人物がいた。家に閉じこもっている若い娘と、気むずかしい美術品競売人。
キャラは立っているのだけれど、うまくストーリーで動かせないふたりの人物が、あるとき彼のなかで結合したのだという。
中途半端なメロディのようだったふたつの未完成ストーリーを、対位法のように重ね合わせてみたら、あらびっくり、
〈まるで奇跡のように、わたしが長年追い求めてきた物語を奏ではじめた〉
というのだ。そんなこともあるのか。
興奮した監督は、べつに出版する気もなく、ただ、忘れないうちにきっちりと物語を定着させたいというだけの気持ちで、物語の形式で書いた。
その後この書きものを人に見せることは(たぶん)なく、プロデューサーを説得するための企画書を書き、企画が通ってクランクイン、クランクアップ、編集、といつもの制作が続く。
そのあと、ある出版社が、この映画の脚本をノヴェライズしてみないかと監督に打診、監督はとまどった。そして言った。じつは脚本より前に、散文の形で書いたものがあるのだと。
こうやって書かれたこの短篇小説は、小説というには少々簡素に過ぎ、むしろ近代小説以前の短いフィクション、たとえばチョーサーの『カンタベリ物語』(西脇順三郎訳、ちくま文庫、上下[Kindle版])やボッカッチョの『デカメロン』(柏熊達生訳、同前、全3巻 [Kindle版])、またバートン版『千夜一夜物語』(大場正史訳、同前、全11巻)のなかの1話、とでもいったような素っ気なさがある。
主人公のヴァージル・オールドマンは鑑定士であり、やり手の競売人(オークショニア)。裕福で気むずかしい、ほとんど人間ぎらいと言っていい63歳独身。
しかもちょっと変わったヘキの持ち主だ。室内の壁には古今の画家が描いた女の肖像画をぎっしりとかけている。この秘密の部屋で、絵に描かれた女たちの視線を一心に浴びるのが、彼の快楽なのだ。
要は三次元の女が嫌いな人なのだと考えれば、そこらにいそうな気もする。アニメやゲームの女性キャラの「カメラ目線」限定の愛好者、といった感じなんでしょうか。
ヴァージルといえばウェルギリウスの英語名であり、イタリア人ならだれしも、『アエネーイス』(泉井久之助訳、岩波文庫、上下)でローマ建国伝説を叙事詩化した実在のローマ詩人ウェルギリウスというよりもむしろ、ダンテの『神曲』(三浦逸雄訳、角川ソフィア文庫、全3巻)の、地獄・煉獄で主人公を導くウェルギリウスを思い浮かべるだろう。
ところが『鑑定士と顔のない依頼人』のヴァージルは、むしろ『神曲』の主人公ダンテに似ている。ダンテがベアトリーチェへの思いに導かれて冥界をさまようように、ヴァージルも謎の女にいわば振り回されてしまうのだ。
彼のもとに、謎の女性クレア・イベットソンから、秘密めかした依頼がくる。相続した屋敷にある美術品を処分したいそうなのだが、イベットソン嬢は電話や、閉じた室内からの声でのみ、ヴァージルに指示を出す。
ただでさえ短気なヴァージルは、どうしても姿をあらわさない彼女にイライラしっぱなし。けれどイベットソン嬢に振り回されているうちに、だんだんと三次元の女性の魅力に開眼していくという、これって本田透の恋愛資本主義批判『電波男』(講談社文庫)が転向して、批判対象だった『電車男』(新潮文庫)の恋愛資本主義に屈したらこうなる感じだろうか?
最初の対立が恋へと発展する、というのはもうフォースターの『眺めのいい部屋』(西崎憲+中島朋子訳、ちくま文庫)から2013年秋のNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』まで変わらないセオリーなんだけど、ラストはちょっとびっくりです。内容が、というよりも、その素っ気なさが。こんな××な終わりかたってあるか?
映画版は『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『英国王のスピーチ』でおなじみジェフリー・ラッシュ主演で、来月(2013年12月)から各地順次公開とのこと。音楽がエンニオ・モリコーネなので、こんな××なストーリーなのに無駄に泣かされそうな気もして、行こうかどうしようか迷ってます。
(千野帽子)