子供の目からみた性の歪んだ世界は、それはもう恐怖だけれど『PiNKS』
小中学生の時は、エロ本を拾うのが冒険でした。
マンガだと遊人の『校内写生』がなぜかやたら落ちていたので拾っては、こっそりドキドキ見ていました。
写真のエロ本も昔は多かったので、雨でしけってペリペリしているのを、心臓破裂しそうになりながら読んだ記憶があります。
もうどんな写真を見たか全く覚えてないですが、その背徳感が、ぼくの原体験として大きく心に残っています。
とりあえず子供の時から、エロ本では、おっぱいよりおしりより、女の人の脚が好きだったのだけは鮮明に覚えてます。
しかし20歳を超え、先生という仕事を始めた時、ぼくは子供の敵にならなければいけなくなった。
「18禁雑誌は読んではいけない」
なんでこんなこと言ってるんだろう?
お前子供の時にエロ本拾ってたじゃないか。ワクワクしただろう、なに偉そうに言ってるんだよ。
男子は好奇の目でセックスやクラスの女子に興味を示して猥談を始める。女子はこそこそ興味は持ちながら男子に嫌悪の目を向ける。
立場上、「はいエロ本ですよ、見てみなさいな」と言えないけれども、その興味はわかる。
どうすればいいんですか。
その頃、女子生徒が言っていた、エロ本やエロメディアに対する「汚い」「キモい」という言葉は、色んな気持ちを呼び覚ましました。それもすごくわかるんだ。
お子さんを抱えた親御さんなら、子供が初めて触れる18禁メディアには、悩まされることでしょう。
「うちの子に限って」が通用しない。「いけないこと」とは言いたくない。
倉金篤史『PiNKS』は、小学5年生の少年少女が、えっち本入手のために仲間となり、廃屋で語り合う、小さな冒険譚です。
少年弥彦は割りとストレート。勃起を意識するようになり、性に対して止められないほど興味を持ってしまい、なんとかえっち本を見たいという、思春期らしいわかりやすい衝動です。
しかし彼の中には、猛烈な罪悪感と恐怖が渦巻いています。
えっちな本を初めて見る、と言うのはなぜか「怖い」。
家庭環境にもよると思うのですが、日本では比較的性を扱った本やメディアに対しての恐怖感が渦巻いている気がします。
もっともそれは、大人になってから思えば、騙されないようにするだとか、自衛教育の賜物でもあるので、うまく機能しているのはわかります。エロサイをトクリックして架空請求でひどい目にあう人も多いですし。風俗とかでぼったくられた日にはもう。
でもそれ以上の恐ろしさ。エロ本初めて拾った日に、『惡の華』ばりに「僕は悪だ!」「人殺しも同然だ!」みたいに感じたもんです。あれは純粋だったとかそういう次元じゃない。
弥彦も同じです。なので序盤は微笑ましく読むことができます。
あるある、こういう体験ある。
一方、少女更紗は、学校でもセックスの絵を描く変わり者。
もし自分が先生で、女の子がセックスシーンの絵を描いていたらどうする? 下品っていう?
彼女はえっち本を見たことがありません。しかし、家に飾られていた、アフロディテの性のまぐわいを描いた美術画を見て、感動しました。
性とは美しいものだ。愛の交換によって生まれた私は幸せものだ。
けれども、父と母は別れてしまった。
だから、私はセックスがみたい。大人の人の「愛」を確かめたい。
えっち本にはそれがあるはずだ。
なのに「いやらしい」「下品」と大人に言われ、なぜか恥ずかしい感情に襲われる。
なんでだろう? 子供が生まれるのは素晴らしいことなのに、なぜいかがわしいものだと言われなきゃいけないんだろう?
私は汚いんだろうか。
二人の考え方は、真逆のように見えて、背中合わせです。表紙が上手くそれを表現しています。
性への興味が、愛情や恋を産むことがあるのは事実。愛情への渇望故に性への興味がわくのも同じ。
ただ、それを大人が子供に上手く伝える術がない。
だって、大人だってわかんないんだもん、そんなこと。
少なくとも、大人は18禁本に、必ずしも「愛」があるとは限らないことを知っています。
現実的な問題。性的搾取の問題や、お金が絡んだ性問題、望まない妊娠、性病、トラウマ、価値観の歪み。
色々な問題を知っているから、子どもたちにはストップをかけます。
このマンガの中では、それらの性の「汚れた部分」もちゃんと描いています。子供の目からみた性の歪んだ世界は、それはもう恐怖です。
けれども、自分たちの体は成長して性的な興味を持つし、大人の人達が恋をすることが悪いとも思えない。
どうすればいいんだろう、という問いに対しては、大人も子供も、同じ答えから出発するしかない。
「悩め」。
途中、恋人と別れて望んでいなかった妊娠をした本屋のお姉さんが登場。子供の興味と、大人のリアルがぶつかり合います。
大人になったって、わけわかんないよ、性は。
まして子供にどう教えればいいかは、永遠の課題すぎます。
ただ、汚いとかいやらしいとかは、言いたくない。
「いやらしい」ことが、生きているってことだろうよ。
スクリーントーンを一切使わず、陰影の強いタッチでガリガリとペンで刻んでいるこのマンガ。是非私家カヲル『こどものじかん』とあわせて、読んでみてください。
性について「いけないこと」と描いたらだめでしょう『こどものじかん』私屋カヲルに聞く2(エキサイトレビュー)
ネット時代だし、エロ本もDVD付きで純然たる「えっち本」ってないけれども、個人的には「エロ本を拾う冒険」体験は、子供の時にしてほしいなあ。
エロはいいぞ! だけどハードルを超えたら、もっと楽しいぞ!
ただエロ本を河原にこっそり捨てたら、それも不法投棄になっちゃうね。
切ないね。
倉金篤史『PiNKS』
(たまごまご)
マンガだと遊人の『校内写生』がなぜかやたら落ちていたので拾っては、こっそりドキドキ見ていました。
写真のエロ本も昔は多かったので、雨でしけってペリペリしているのを、心臓破裂しそうになりながら読んだ記憶があります。
もうどんな写真を見たか全く覚えてないですが、その背徳感が、ぼくの原体験として大きく心に残っています。
とりあえず子供の時から、エロ本では、おっぱいよりおしりより、女の人の脚が好きだったのだけは鮮明に覚えてます。
「18禁雑誌は読んではいけない」
なんでこんなこと言ってるんだろう?
お前子供の時にエロ本拾ってたじゃないか。ワクワクしただろう、なに偉そうに言ってるんだよ。
男子は好奇の目でセックスやクラスの女子に興味を示して猥談を始める。女子はこそこそ興味は持ちながら男子に嫌悪の目を向ける。
立場上、「はいエロ本ですよ、見てみなさいな」と言えないけれども、その興味はわかる。
どうすればいいんですか。
その頃、女子生徒が言っていた、エロ本やエロメディアに対する「汚い」「キモい」という言葉は、色んな気持ちを呼び覚ましました。それもすごくわかるんだ。
お子さんを抱えた親御さんなら、子供が初めて触れる18禁メディアには、悩まされることでしょう。
「うちの子に限って」が通用しない。「いけないこと」とは言いたくない。
倉金篤史『PiNKS』は、小学5年生の少年少女が、えっち本入手のために仲間となり、廃屋で語り合う、小さな冒険譚です。
少年弥彦は割りとストレート。勃起を意識するようになり、性に対して止められないほど興味を持ってしまい、なんとかえっち本を見たいという、思春期らしいわかりやすい衝動です。
しかし彼の中には、猛烈な罪悪感と恐怖が渦巻いています。
えっちな本を初めて見る、と言うのはなぜか「怖い」。
家庭環境にもよると思うのですが、日本では比較的性を扱った本やメディアに対しての恐怖感が渦巻いている気がします。
もっともそれは、大人になってから思えば、騙されないようにするだとか、自衛教育の賜物でもあるので、うまく機能しているのはわかります。エロサイをトクリックして架空請求でひどい目にあう人も多いですし。風俗とかでぼったくられた日にはもう。
でもそれ以上の恐ろしさ。エロ本初めて拾った日に、『惡の華』ばりに「僕は悪だ!」「人殺しも同然だ!」みたいに感じたもんです。あれは純粋だったとかそういう次元じゃない。
弥彦も同じです。なので序盤は微笑ましく読むことができます。
あるある、こういう体験ある。
一方、少女更紗は、学校でもセックスの絵を描く変わり者。
もし自分が先生で、女の子がセックスシーンの絵を描いていたらどうする? 下品っていう?
彼女はえっち本を見たことがありません。しかし、家に飾られていた、アフロディテの性のまぐわいを描いた美術画を見て、感動しました。
性とは美しいものだ。愛の交換によって生まれた私は幸せものだ。
けれども、父と母は別れてしまった。
だから、私はセックスがみたい。大人の人の「愛」を確かめたい。
えっち本にはそれがあるはずだ。
なのに「いやらしい」「下品」と大人に言われ、なぜか恥ずかしい感情に襲われる。
なんでだろう? 子供が生まれるのは素晴らしいことなのに、なぜいかがわしいものだと言われなきゃいけないんだろう?
私は汚いんだろうか。
二人の考え方は、真逆のように見えて、背中合わせです。表紙が上手くそれを表現しています。
性への興味が、愛情や恋を産むことがあるのは事実。愛情への渇望故に性への興味がわくのも同じ。
ただ、それを大人が子供に上手く伝える術がない。
だって、大人だってわかんないんだもん、そんなこと。
少なくとも、大人は18禁本に、必ずしも「愛」があるとは限らないことを知っています。
現実的な問題。性的搾取の問題や、お金が絡んだ性問題、望まない妊娠、性病、トラウマ、価値観の歪み。
色々な問題を知っているから、子どもたちにはストップをかけます。
このマンガの中では、それらの性の「汚れた部分」もちゃんと描いています。子供の目からみた性の歪んだ世界は、それはもう恐怖です。
けれども、自分たちの体は成長して性的な興味を持つし、大人の人達が恋をすることが悪いとも思えない。
どうすればいいんだろう、という問いに対しては、大人も子供も、同じ答えから出発するしかない。
「悩め」。
途中、恋人と別れて望んでいなかった妊娠をした本屋のお姉さんが登場。子供の興味と、大人のリアルがぶつかり合います。
大人になったって、わけわかんないよ、性は。
まして子供にどう教えればいいかは、永遠の課題すぎます。
ただ、汚いとかいやらしいとかは、言いたくない。
「いやらしい」ことが、生きているってことだろうよ。
スクリーントーンを一切使わず、陰影の強いタッチでガリガリとペンで刻んでいるこのマンガ。是非私家カヲル『こどものじかん』とあわせて、読んでみてください。
性について「いけないこと」と描いたらだめでしょう『こどものじかん』私屋カヲルに聞く2(エキサイトレビュー)
ネット時代だし、エロ本もDVD付きで純然たる「えっち本」ってないけれども、個人的には「エロ本を拾う冒険」体験は、子供の時にしてほしいなあ。
エロはいいぞ! だけどハードルを超えたら、もっと楽しいぞ!
ただエロ本を河原にこっそり捨てたら、それも不法投棄になっちゃうね。
切ないね。
倉金篤史『PiNKS』
(たまごまご)